なろう系というものはあらゆる人から誤解されている
なろう系は流行っている。
その存在はもはや、オタクであるならば、あまりにも避けて通れない。
今期アニメ一覧を見ればなろうなろう。
漫画も見渡せば各所になろうなろう。
そしてweb小説界隈に至っては、最早なろう系以外には人権すら存在していない。
しかし、その支配的な流行度に比べて、理解は全然されていない。
「なろう系とは結局何なのか?」というのは、何故か、(筆者も含めて)本当に誰もよく分かっていないように思う。
なろう系に興味のない人は、なろう系の事をよく誤解している。
おそらく世間の大半の人達はこのくらいの事しか思っていないだろう。
「なろう?ああ、あの異世界に転生するやつね」
『小説家になろう』の中では異世界転生ジャンルなんてもはや化石みたいなものなのに、世間の人達はおそらく、そんな事などは何も知らない。
ただ純粋にどうでもいいので、興味がない。
なろう系の事が大嫌いな人は、なろう系の事をよく誤解している。
例えば、なろう系が皆から叩かれている場所を覗くと、よくこんな事を言われている。
「こいつらは女がエロければ何でもいいのだろう」
筆者からすれば、その見解は論じるのもバカらしい程に的外れだ。
なろう系は基本的にエロいと売れない。
無職転生みたいに主人公がパンツを崇めている話は本当に例外中の例外だ。
なろう系の中では基本的に、主人公が女の子のパンツにドキドキしている姿よりも、主人公がそんなものに興味は無いと恰好付けているシーンの方が求められる。
自分を愛してくれる王子様がどれだけエロいかではなく、王子様がどれだけ偉いかが大事にされる。
(逆説的に言えば「自分自身の性的魅力」や「周囲に羨まれる為の所有物としての性的価値」などは描く事が求められるのだが、それはやはり、エロ小説のように己のリビドーを喚起する事が求められている訳ではない)
彼らは異性に、まずは己の誇りを求める。
そして恋人に、ブランド品としての価値を求める。
なろう系の読者には基本的に性欲がなく、そしてそれ以上に、性癖がない。
「俺はエロいからこの話が好きなだけ」
これはむしろ、アンチ以上に信者が照れ隠しで言っている事が多い。
なのでそういう人達に向かってエロ猿扱いするのは、なんなら喜ばれる事の方が多い。
一部の人達の間では、なろう系はどれだけバカにしてもいいものとされている。
だからなろう系の傍には、ただ何かを叩きたいから叩いているだけの人達が集まってくる。
彼らはなろう系に全く詳しくないし、やはり結局興味もないので、否定意見の内容は浅く、時々滑稽な程に的を射ていない。
なろう系の事が大好きな人は、なろう系の事をよく誤解している。
その理由は、上2つと比べて説明するのがとても難しい。
けれど、このエッセイとか朝三暮四様の神記事とかを読んでくれた人は、何となくその理由は伝わってくると思う。
彼らは誤解されたがっている。
自分を特別な人間だと思い込み、本当の自分からとにかく目を逸らそうとする習性がある。
そして、そもそも頭もあまりよくないので、自分がどのような人間なのかを自分でも理解していない。
「俺が好きなものはなろう系じゃない」
なろう系が好きになる人ほど、こう言って回り、そして自分でもそう信じてしまう。
なろう系に興味のない人。
なろう系が嫌いな人。
なろう系が好きな人。
どんな入口から入った人でも、なろう系がどういうものなのかは、上手く理解出来ない。
だから、なろう系というものはあれ程までに流行っているのに、それがどういうものなのかは結局、誰も上手く説明出来ない。
筆者はなろう系の面白さを、「惨めさを誤魔化してくれる事」だと思っている。
しかし、「惨めさの誤魔化し」という行為は、触れれば溶けてしまう綿雪のような繊細さを伴う。
仕事でミスをしてしまった人がいるとしよう。
そしてその人が、自分の失敗の責任を誰かに擦り付けたとしよう。
それによってその人は、安心感などを得る事が出来て、救われる事が出来たとしよう。
しかしそれは、バレてしまった瞬間に意味がなくなる。
本当は自分が悪いと気が付かれてしまった瞬間、周囲からの怒りは倍になって自分に跳ね返ってくる。
なので、責任転嫁をした人は、その瞬間からとにかくその事をひた隠しにしなければならない。
また、それがバレてしまってはダメなのは他人だけではない。
自分が責任転嫁をしている事は、自分自身にも、バレてしまってはならない。
「誰かのせいにして救われる」
この気持ちは要するに、「自分のせいではない」と思えているから発生している。
つまり、自分で自分を騙せているからこそ初めてそこに発生している。
なので、冷静になって自分の行いを振り返ってみてしまったらその時点で、責任転嫁とは最早意味をなさない。
なろう系は、面白い。
しかしその面白さの本質は、それに救われている人程、理解してはいけない。
だから、なろう系が好きな人達は、自分がそれを好きな気持ちを決して誇らない。
誤魔化す。
ひた隠しにする。
自分が本当に感じているものとは全然違う事を常に口にする。
「なろうは普通だ」と。
「俺が好きなものはなろうじゃない」と。
もはや自分が嘘を付いている自覚すらないままに、そんな事を言い張り続ける。
そして、なろう系とはどういうものなのかを、世間に対して誤魔化そうとする。
なろう系に興味のない人達は、そんなに熱量もないので、彼らの言葉を結局鵜呑みにしてしまう。
筆者は正直、なろう系が好きな人達の事が好きではない。
なので、(とても醜く恥ずかしい事だが、)彼らへの否定意見が集まっているような場所に度々目を通しに行く。
しかし、そこで求められるものは大抵の場合、「考察」でも「理解」でもない。
ただ、おもしろおかしく相手を罵倒出来る事。
それによって、相手を一方的に悪者に出来る事。
ストレス解消になる事。見下して安心出来る事。自分より下の人間がそこにいる事。
それだけが求められている。
なろう系を何が何でも叩きたい人。
その人達がやりたい事もまた、結局は、なろう系が好きな人と本質的には同じになっていく。
つまり、「惨めさの誤魔化し」だ。
なろう系には、追放モノというジャンルがある。
そのジャンルの中で描かれる追放者は、とにかく悪でなければならない。
自分以下であって、ただの悪者であって、どれだけ落ちぶれてもざまぁとしかならない相手でなければならない。
だから、追放者達は人間として描かれない。
本当は物語上とても重要なポジションである筈なのに、キャラクターとして何の面白味もない、ただ主人公の正当性を担保する為だけの引き立て役にしかならない。
…それと、結局は同じなのだ。
なろう系を叩きたいという気持ちもまた。
web小説の世界は、永遠に先鋭化していく。
より過激なものが尊ばれ、それに付いていけない人は脱落し、全体のバランスを調整してくれる人が誰もいないので、それに歯止めがかからない。
そして、なろうを叩く場所でも、結局それと同じ事が起きる。
より過激なものが尊ばれるので、叩きたい気持ちの中にも理性や良心が残っている人はどんどん脱落していく。
そして、おそらく現実の何かにイライラしているのであろう人達だけが残っていき、叩く事自体が目的であるという部分がどんどん先鋭化していく。
時間が経つ毎に、もはや何を叩いているのかもよく分からない場所になっていく。
なろう系は、神秘のベールに包まれている。
誰の目にも触れているのに、誰にも理解されず、誰からも理解したいとさえ思われない。
だから、なろう系というものについて考えるのは、本当に難しい。
筆者のこのエッセイも結局は、おそらくどうしようもないくらい、主観や偏見にまみれてしまっている。
人というものが抱えているものを理解する行為は、あまりにも難しい。
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