山本と西山の2人は総合運動公園の駅を降りた。一般にこの駅で降りるのは試合観戦の客が主と思われがちだが、駅の北側には物流センターが立ち並ぶ。また、学園都市東端の住民も一部はこの駅を経由して通勤している。

山「あの建物か。Gグループというのは」

 USBのGPSから検出されたのは、とある企業の本社屋であった。

西「ディスカウントストアのGスーパーってあるやん。あれの市内の店舗は一部ここがやってる」

 あとはバイク販売とか、最近だと食品事業もやっとる。フランチャイズが得意。

山「いわゆるホールディングス制ってやつやね」

 それでこれからどないするんや?

西「情報通がターゲットと接触する前にやることって何やと思う?」

山「将を射んとする者はまず馬を射よってやつか?」

 We trust that more important is struggle, most important is strategy.

西「私の好きな英国海軍の言葉」


 こんなとこスーツ姿で歩いとったら目立つで、と西山が苦言をいう。

西「山本はここは来たことあるん?」

山「小学生のころに。もう記憶のかなたや」

西「自分なんかは体動かす人間やしね。この辺住んでるからよう来るわ」

 西山は早朝6時の総合運動公園に行ったことがあるらしい。自分しかいないだろうと思いきや、高齢者の集団がウォーキングしていた。展望台から見えた住宅群の灯が印象的だった。

西「確か神戸傾斜地の会っていうやつやった」

 山本はふと、高架を走る6000系に目を向ける。

西「あれからどう? 人前で話すのは」

 そういえば山上祭で初めて会ったのを忘れていた。

山「まだまだや。自分はCDOやからな」

 ※CDO=Communicating Disorder Officer

西「まだ地下鉄好きなんやね」

山「なんかずっと昔からなんよ。この年なっても未だに駅員とかにあこがれとる」


 いまとなっては珍しく、その駅には伝言板が置いてある。

「5時間を経過したものは消去します」

 その下には、例のごみ処理場建設反対の書き込みが消された跡があった。


岩「神戸に昔財閥があったというのはホンマなんか?」

 山本はふと岩谷の言葉を思い出していた。

山「かつて明治期にS財閥というのが存在した。製糖や樟脳で大もうけしたんや」

 K製鉄っていうでっかい会社あるやろ? あれはもとをたどるとS財閥の持ち物。昭和恐慌で破綻したんや。

山「でもその末裔がまだ神戸にいるとかいないとか」

 神戸はもともと重工業で発展したのだ。しかし昭和から平成にかけて、重厚長大産業の衰退により、都市も人口減や経済低迷などに見舞われている。今神戸で隆盛を見せているのは、水素ビジネスやベンチャー支援、データ産業やメディカルバイオテクノロジーといった、数十年前は考えもしなかった分野だ。会社でもそういった絡みの案件が増えている。


 苅藻にごみ処理場の建設計画が持ち上がったのは、つい最近の事だったはずだ。

西「おかしいと思わない? その時点では検討段階だったはずだし、まだ一部の幹部職員しか知らなかったはず」

 発端は1人の住民が起こした行政訴訟だった。ごみ処理場の建設計画があることをかぎつけ、行政に対し建設予定地の開示を請求したが、取り下げられた。その後、住民は行政を相手に裁判したが、やはり認められなかった。ところが、計画文書とみられるものが流出した。行政側は公文書ではないとしたが、反対運動が起きた。

西「考えられるのは二つ。行政内部や議員にスパイがいるか、何者かがサイバー攻撃などで内部に侵入したか」

 貴方の会社だって十分狙われているで。外部者からすれば市のプロジェクト携わる会社は情報の宝庫や。


岩「神戸にもこんなところあったんやね」

 来たのは甲南市場であった。山本におすすめされたのだ。アーケードにアルミフロントが使用されている。

 食堂に入るとひげをそろえた男性がスポーツ新聞を読んでいた。お手洗いに入っていく。


 帰りは市バス2本を乗り継ぐ。実は今日の目的はこちらにある。

 甲南山手から阪神御影まで市バスで行くルートがあるのだが、途中で乗り換える必要がある。土曜午前の33系統は3人ほどしか乗っていない。魚崎南町2丁目で乗り換えたが、ここで乗り換えるものは岩谷のみだった。さほど需要はないそうだ。

 市バスは1時間に1本という路線も多い。赤字の路線のほうが多い。それでも、一定数利用者が存在する。


 弓子の受け持つ神社は北区山田町と言い、おそらく世間が想像する里山のイメージそのものである。田畑が広がり、茅葺屋根の住宅が存在する。もっとも、都心へ直通するバスがあり、さほど不便さは感じない。

 ここに来るのは、コアな神社仏閣マニアか、地元の自治会くらいだ。まれに携帯の使い方がわからないというので弓子に聞きに来るものがいる。高齢化率が20%を超えるようなところではそれが普通だ。

弓「最近はみんな外歩くようになったな~」

 弓子は昔からインドア派だ。高齢者のフレイル進行が問題視されているが、最近は改善傾向にあるらしい。しかし、彼女は決して手放しで喜んでいるわけではない。

 行政側はその期間、特に集中的な対策を行っているわけではなかったらしいのだ。過去の広報誌を読んでいても、さほど健康増進策を強化したようには見えない。つまり、彼らが自発的に始めたか、“第3勢力”が彼らに何らかの影響を及ぼしているということになる。当事者たちに聞いても、

「まあなんか、周りの皆さんががそういうのを始めているし、自分もっていう感じですね」

 というように、的を得ない回答しか帰ってこない。


山「えっ、自分がですか?」

 社内会議で、山本に新卒採用を任せたいという話になった。

山「しかし、私はコミュ障ですが……」

 山本は新卒時代、早期就活で民間企業のISや選考を50社受けまくっていたのだし、採用界隈の事はいろいろ知っているだろうからと言われた。こういう根拠のない期待が1番迷惑である。とはいえ、何か新しいことや明確な目標が欲しいと思っていた彼には好機だった。プライベートで地元他社とのつながりもある。

早速頼まれてもいないのに人事戦略を作成し始めた。こういうことだけは得意だ。

 どこの新卒採用にも共通するのは、コミュ力とチームワークを強調するということだが、山本はそういった単純な目線で人を見るのはあまり好きではない。改革意識や本質を見抜く力、背景を読み取る力や常識流行を疑う力、これは中小零細企業であっても同じである。

そういった適性を見極めるには、従来型の面接でよく聞かれる質問はまずありえない。“ガクチカ”など聞いてどうするのだと学生のころ感じていた。


 帰宅して録画したワールドニュースを再生すると、CCTVが現地の旧正月の様子を伝えていた。向こうにも餅つきの文化があるのだと知る。

 岩谷から電話があった。

岩「どうやら、西山の推理は正しいようだ」

 甲南市場の男と酒を飲んだところ、あっさり彼が例のUSB窃盗の男と働いたことがあると話した。やはり酒は魔物だ。

「それで彼の眼鏡にGPSを付けたんだが、たどり着いた場所は同じ、例の弥栄台の建物だ」


山「どうやら厄介なことに巻き込まれたんかあ?」

 こういう裏社会じみた展開は、どこか映画の中の世界と思っていた。世の中には、学校教育などで表向きに触れられていないが、実社会で生きていくのに避けて通れない世界がある。なぜダブルスタンダードじみた世界になったのか不思議でならない。

山「正直者が馬鹿を見る時代なんだろうな」

 別にそれが悪いとかいいとかいうつもりはない。うがった見方をすることは時に有効策になりうる。結局は、自分を守るものなど自分の努力だけなのだと、彼は高校の時に気づいた。


西「神社の巫女ってどんなことするんです?」

弓「基本は社務所やね。祈祷の予約があれば対応するし、あとは、市内の神社仏閣で会合みたいなのあるからそれの理事もしとる」

西「それ兼業してて忙しくないんですか?」

弓「西山さんのほうが倍くらい忙しいんじゃない?」

 と言って笑った。一緒に働くほど謎の多い人物である。

 分からないことを全てわかるようにしたい、西山はそんな人物だった。自然の法則を知りたいという理由で理系に進んだ。しかし実際、彼女が興味を抱くのは、追いかけても分からないことだらけの世界であった。

 真理とは松明である。揺さぶるほどその輝きを増す。


 山本は皆に人事戦略を説明した。今までのプレゼンで初めて称賛された。

岩「お前そんなこと考えとったんか! 見直したわ!」

 新しいことをやっててよかったと思うのは、今まで見えてこなかった自分の内面が見えてくることだろう。やりたいことは2つ3つもつべきか。慣れに慣れるのが一番嫌いだ。

岩「それで募集はどうやってかけるん?」

山「ナビサイトへの掲載記事は9割方完成して後は公開するだけ。狙うんは大学3年や。彼らは3年の6月ごろに動き出すから、その時期に大型合同説明会とかISを実施する。で、秋ごろから早期選考も。よかったら一緒にイベント出てくれへん?」

岩「ええで」


岩「あいつがイベントに出ている姿など想像できへんけどな」

 岩谷は帰りの地下鉄でスポーツ誌(電子版)を見ていた。相変わらず誰が勝ったとか何戦何勝とかそんな話だ。岩谷は一時の勝利や過去の栄光にすがるのは嫌いだ。

山「臆病な人間やからさ、なんかきっかけがないと動こうとしないんよね。きっかけがあっても1カ月くらい迷っちゃう」

 岩谷は考える前にまず行動する人間なので、何をそんなに悩む必要があるのかと思ってしまう。山本は昔からそんなところがある。実生活での必要以上に頭を使おうとする。

 スポーツなどたいてい瞬間瞬間で行動しなければならない。山本が運動音痴なのが何となくわかる気がする。ドッジボールをしていても大体彼が一番最初にぶつけられる。

 携帯を開くと例の傾斜地の会からDMがあった。

 Q:暇な人間に対してうける運動不足解消ビジネスを考えよ

山「なんやそれ?」

弓「個人的に考えている命題」

 副業のメリットとはこういうところにあるようだ。

山「金曜夕方が来るまでに考え付くかな。その時には結論出すわ」

 歯を磨きながらぼんやり考える。

 そういや例の地下組織? はどういった経緯であんな活動をしているのだろうか。何かに対する復讐なのか、あるいは新たな社会運動なのか。それか暇つぶしか。

 暇であることは基本怠惰と結びつけられがちだ。しかし過去の歴史を見ていると、暇が新たな文化を生んだ例というのが多いらしい。江戸時代の算額、平安時代の文学、あの頃の人々は相当退屈だったに違いない。今のようにメディアコンテンツにさらされることもないだろうし。

自分の学生時代の資格マニアだってそうで、その頃は帰宅部だったので、勉強するか地図読むか紅茶入れるか勉強するかしか選択肢がなかったのだ。そうなると必然的に資格取得に走りたくなる。

山「交通局が喜びそうなのなら、1つある」


西「調べるほど謎は深まるばかりね。どうやら金やテロ目的ではないみたい」

 西山が接触したのはGグループの役員だった。ともに仕事した経験があったのだ。

「ずっと前から彼のことは知っているらしいんだけど、特におかしな点はないみたい」

「前職は?」

「子会社だって。最近持株会社に入った」

 メカ好きで、バイク修理店の店員などもやっていたらしい。

「でもまだ鵜呑みにしないほうがいいわよ」

「というと?」

 例えば、もし彼が何かの特殊機関の職員で、当局の指示で民間人のふりしてその会社に潜り込んでいるとしたら?


「岩谷が見つけた甲南市場の人間とのつながりは?」

「わからない」

 明確な組織すら存在していない可能性もあるわ。個人個人で活動していて、必要に応じてつながったり離れたりする。何年か前に問題になったでしょ、ネット上でサイバー攻撃を行う技術者集団がいるって。

「海外のニュースに出てたな」


 オバハンの結束力には目を見張るものがある。

 岩谷が参加した次の傾斜地の会は、高取山であった。何やらすごいところに社殿が建っている。会員はそういったことには気にも留めず、ずんずん上っていく。

 年寄りになるほど山登りやスポーツといったビッグプロジェクトに打ち込むようになるのはなぜなのか。

山「自分はわかる。あれは暇になるからじゃない。人は死が見えてくると後悔するんや。もっとこういう経験を積んでおけばよかったとかな」


岩「やはり皆さんウォーキングとかしはるんですか」

「そうやね」

「朝早くに歩いとるとよう知り合いと会うんよ」

 そういや、こないだ登山で奇妙な経験をしてね、

 山本は金曜、帰りにじっと考え込んでいた。

「なにかとふらついた適当な人生を送ってきた気がする」

 あらゆる人生の分岐点において、確信をもって正しい決断などできたためしがない。マークシートの選択肢みたいに、よくわからんけど多分これかな、みたいな感じで20年も生きてきた。後から振り返ってもっとこうすればよかったと思うのが落ちである。いったいいつになったら学習するのか。それで今まで何の支障も出ていないのが不思議だ。

 仮に適当でいいんだとしても、自分らしさは一貫していたいものだ。本当は何を目指していて、そのために何をするのか。それさえぶれなければまあ及第点ということにしている。

 いつもは新長田で海岸線に乗り換えるのだが、今日は三宮へ用がある。

「自分は何を目指してあのコミュニティにいるのだろう。そもそもあの集団で何を成し遂げた?」

 もう一度明らかにする、考え直す必要がある。何がしたくて、何をするのか、集団を再定義する。

 どうせ死ぬんだ、やりたいことはやろう。

「さあて、ごみ拾いや」


 山本は都心が嫌いだ。なぜみな都心に行きたがるのか不思議でならない。街歩きでもよることはない。来るのはほぼビジネス目的だ。しかし今日、彼が仕事帰りここに来るのには理由があった。

諜報活動について詳しいのは二つ、公園ウォークする高齢者と、都心でごみ拾いする人々だ。一般に、二時間も都心をうろついていたら警戒される。しかし、ごみ拾いなら、怪しまれることなく扮することができる。

 駅前広場でそれらしき人に声をかけた。

「こういう会は良くいかれるんですか?」

山「や、今日が初めてで」

皆、ゴミ袋とトングを用意し、広場で整列していた。もはや夜警である。5人ほどが参加していた。専用のゼッケンを着用し、列になって歩く。が、隊列は開始二秒で分離した。人の多さが災いした。

 たばこの吸い殻は、大抵道路と歩道の境目にある。あとはなんかのビニール袋や包み紙だ。空き缶も多い。基本的に下を向いているわけだが、慣れている人間なら人の顔を見分けるなど容易だ。どこまでが三宮なのか地元民でも理解していない。2時間ほど歩いただけでゴミ袋4つ分がいっぱいになった。


弓「アイデア読んだわ。ええやん」

 そういや西山さんが言うてた地下組織って実在するん?

山「それもはっきりしたで」

 岩谷が接触した傾斜地の会やゴミ拾いのメンバーは、確かに公園の調査や山奥に出入りする人々を見たと証言している。

弓「インフルエンサーみたいな感じなんやろな。社会に影響を及ぼしたいっていう」

山「悪意性のあるもんなんやろか? それすら不明」

 ちなみになんだが、こういう会もあるらしい。


 その後、地下鉄公式SNSにクロスワードパズルが投稿された。そこには市バスの停留所名が入り、ヒントはすべて、現地に行かないと、あるいはダイヤを丹念に調べないと読み解けないものになっている。市バスオタクや街歩きがしたい人間にはうってつけであろう。実際、これを片手に市バスを利用するものが増えた。


 山本が次に歩いたのは、山田町小河だった。

山「地図にも乗らないような小さな集落を見つける方法って何やと思う?」

 幼いころ、彼は周囲の友人にそんな話をした。

 一番簡単なのは水道経路や郵便ポスト。小さな集落だと地図帳を見ても載っていない。しかし、人が住んでなさそうなところでも、郵便ポストがあるということは、そこに住んでいる人がいるということになるね?

 山本が市内の郵便ポストを検索したところ、北区の区界のこの地域は過疎地であるはずなのにポストが存在した。実際調べてみると、30人ほどの集落があるらしいのだ。これは地図好きの彼でも知らなかった。

当然近くに鉄道バス路線などはなく、最寄りの駅から結構歩く。

山「謎の組織がアジトを構えるとすればこういうところやな」


 アジトと言えば、彼はゴミ拾いのメンバーからこんな話を聞いた。

「それやったら山の中とかええよ。僕六甲山で木を切るボランティアしとるんや」

 そういったところにも人が住んでいる。山中で活動中、彼は水道管らしきものや、古びた廃屋みたいなものを何度も見かけたらしい。当然、市販の地図帳では空白地帯とされているし、ネット上のストリートビューにも載っていない。

「そういうところは住所や居場所が特定されにくい。そもそも歩ける道があるかどうかさえ怪しいわけやし」

山「なるほどね」


 曲がりくねった道を歩いていると景色が開けてゆき、やがて何軒かの民家が連なっているのが見えた。自家用車もあり、確かに人が住んでいるのが確認できる。

「あの商店の前にあるのが例のポストやね」

 ポストにはそれぞれ回収時刻が決められており、場所によって1日何度回収に来るか、時間帯などが異なる。都市の住宅街などでは1日3回というところが多いが、ここのように過疎地では1日1回しか回収に来ないこともある。このポストは平日の朝10時に回収されるのみである。やはり人口が少ないとそうなるのだろう。


岩「六甲山にアジトねえ……。見つけられるんちゃうかな、俺やったら」

 そう言って彼は、傾斜地の会でもらったハイキングマップを取り出した。

We trust that more important is struggle, most important is strategy.

岩「久しぶりにはしゃいだろか」

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