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何故かは知らないが山本は地図だとか路線図の類が無性に好きだ。弓子の神社に寄ったときなど、

弓「何読んどるん?」

山「NY地下鉄の路線図」

 何が面白いのかさっぱりわからない。

 山本が最近読むものと言えば、ナショナルジオグラフィック等の理系雑誌だった。

山「物理って慣れるとおもろいな」

 彼は一時期物理基礎と漢文だけ得意だった時期がある。


弓「そうか、なんとなく言いたいことはわかるわ。同じようなこと考えとった」

山「形だけ定期的に集まっとるけどさ、結局何する場なの? って思っとって」

 3年前か、再会したのって。

山「あれから何したいかようやく明らかになってきた気するんや」

 自分はかねてから複数で動く経験とか、社会に影響を与えることに飢えていた。別に大きなことでなくてもいいから、地元のために何かできたらなーって思っとった。今がその時ちゃうかなーって。

弓「もっと領域拡げたいね」

山「今シャッター商店街とかコミュニティ崩壊みたいに、いろんな地域課題あるけど、それに取り組む団体もあるわけやん、そこ潜り込もうかと」


 西神データセンターの建設は着々と進み、新聞などでも報道されるようになった。海外巨大ITプラットフォームの初の日本進出として注目されている。山本らのBフロントは、新病院建設やマンション修繕等の受注に追われていた。

岩「最近急に景気良くなったな」

山「岩ちゃんの力量によるところが大きい思うよ。あと、神戸でアルミフロントやってる会社ってうちくらいやし」

岩「採用の方はどない?」

山「今のところ問題ないわ。知ってる会社の人事とも接触して皆でイベントしようとしとる」

 一般に、採用イベントと言えば、大手ナビサイト会社が主催し、そこへ企業がブース出展するのが一般的である。しかしそれのみならず、地元企業たちが集って小規模なイベントを開催することがある。そういうのはだいたい自治体が支援していたりする。

山「地元志向の学生は後者に集まるはずや。そこを狙う」

 自分もそうやったからな。

岩「それでどのへんでやるんや? 三宮? 元町?」

 想像に任せる、と山本は返した。


 地下鉄駅員は通常、勤務する駅に常駐しているが、ほかの駅の見回りも行う。移動する際は、ほかの客と同様地下鉄で移動。

弓「山ちゃんは地下鉄のこの雰囲気好きや言うとったっけ」

 山本はホームに電車が入ってくる際の、壁がヘッドライトで照らされる光景が一番心躍るのだそう。

弓「1000系のモーター音が一番気にいってるんやて」

 地下鉄の運転席後方は遮蔽幕が下りており、客室から前面展望を見ることはできない。

 車内は相変わらず携帯の画面を見る主婦と仕事帰りと学生で占められている。足の組み方でその人が何を考えているかはだいたいわかる。

 弓子は地下鉄を始めとして鉄道にはさほど興味がなかった。しかし、山本と会うたびに彼は地下鉄や地元の話をしてくれた。もともと極度の人見知りのはずなのだが、その時だけは自身をさらけ出してくれるのである。なぜだろう。


岩「ホテルのビュッフェってなんであんな美味いんだろうな」

 今度ホテルで何人かと食事会なんよ。

山「あれは別に特殊な材料使っているとかいうわけではないと思うぞ」

 ただ雰囲気がそうさせるだけや。まあ料理人がきっちり作っとるからまずいわけないんだが。

山「それより昨日の夕刊見たか?」

岩「市役所が公金渡してたやつ?」

山「地元団体に不透明な補助金支出が7000万円。絶対裏に誰かおる」

 行政職員でも頭上がらん人物がおって、皆そいつを恐れてそいつの言ったことは皆実現するとかな。

岩「そんな話あり得るのか?」

山「世の中はまだまだ権謀術数なんや。社会なんて所詮人間の集まりやからな」


 岩谷は最近たまの週末にビジネスホテルに通う。日常に飽き切っているのか。そうすることでちょっとした開放感を得るのだ。ルーティンはだいたい決まっている。チェックインしたらまず缶ビールを冷やし、一人晩酌。そして、ただひたすら非日常空間で借りてきた韓流ドラマ等を楽しむ。

 何か所か通っているとやがて相違点が見えてくる。

 まれに他のホテルの人員が手伝いに来ていることがある。専門用語や手つきで分かる。

 

 今日食事会するのはPホテルであった。主に観光向けで、値段は高めだ。雑誌や公式観光マップでも必ず紹介されているし、かつてのS財閥の資本も入っている。

 岩「なんだあれは?」

 岩谷が入り口に付くと何やらスーツ姿の男たちが整列していた。協議会だか外郭団体だか知らないが何かの団体の御偉方が来るらしい。

 岩「極道かいな」

 食事会の内容は事前に伝えたとおりだった。目的は、市内の同業他社で今後の経営方針や協力体制に関し、共通の認識を形成することだった。いかにして大手や中韓等の勢力にシェアを奪われないよう対抗するかが目下の課題だった。

 岩「ところで皆さん、新規採用の方はどないですか」

「うちも、業績はええんやけど、なかなか若い人が来ないですね」

「岩谷さんとこは、なんか熱心に取り組まれていると聞いております」

岩「まあ、まだ始まったばかりなんですけどね」


 西山はいつもの通りジムのランニングマシーンで汗を流していた。そのジムはGグループが運営している。

西「調子はどないですか?」

 世話になっているトレーナーがミネラルウォーターを渡す。

西「まだまだやね。すぐに音を上げちゃう」

 この時間帯までお仕事? 大変ですね。

「いやあ、前はもっと遅くまで現場にいましたから」

西「前職はどちらでしたっけ?」

「パチンコホールだったんですよ、系列の」


山「それは何か妙やな」

岩「自分もそんな気がしてきた」

 いつもの喫茶店のTGIFである。

山「調べたんだが、例の地元団体の会長が高木というんだが、そいつはGグループと仲がいいらしい。加えて、あいつが会長に就任した時期は、市内で急増した生活保護の申請が激減した時期にほぼ重なる」

 高木はもともと市内の大企業勤務だった。定年退職後、NPO法人やボランティア活動に専念、数年前に例の地元団体の会長となった。うわさでは不動産で成功し、市内にも彼が購入した物件や土地がたくさんあるらしい。投資用か何かだろうな。

山「同じころから、市内に外資系企業や倉庫、工場の移転が次々に決まった。岩谷が転職する前だから知らないだろうが、Bフロントでも急に大型案件が増えたもんだから、翌年から新規採用に踏み切ったんや」

岩「それらは市の政策によるものちゃうんか?」

山「それもあるが、経済政策自体は何年も前からやっているし、特にテコ入れされた形跡も見つからない。となると、何か裏で黒幕が関わっているという可能性がある」

 仮説はこうや。高木は街角の生活困窮者やネカフェ難民、路頭に迷っている技能実習生などに近づき、彼らの相談に乗る。多くは水道も電気も止められ、明日の衣食住すらままならないような人たちや。そこで、自分は資産家で所有する家に住まわしてあげるし、知り合いの会社が正社員を募集しているから紹介しようと申し出る。特に高齢者はなかなか安定した仕事に就けないのが問題になっているからな。もちろん、行政も生活保護や支援事業を行っているが、そこから零れ落ちる人たちもいる。ボサツはそういうところに目をつけているんや。

岩「それ今流行りの貧困ビジネスじゃないだろうな」

山「それはない。詐欺なんかじゃなくて、実際部屋だとかリノベした空き家をタダで贈与するし、彼は市内の会社とコネがあるからブラックな職場はすぐ見抜ける。あくまで本人が向いている職場に行かすんや」

 そうすれば人手不足に悩んでいる中小企業も得をするから、結果的にウィンウィンになるし、経済活性化にも成功する。

岩「めちゃくちゃええことやっとるやん」

山「本題はここからや」

 安定した生活ができるようになったら、だんだん彼らに協力を依頼するんや。例えば、会社のデータを入手せよとか、情報を握ってそうな人間と接触して内部機密を聞き出せみたいな。あいつらは衣食住を提供してもらっているから、ボサツに対して忠誠心がある。

岩「まさか俺からUSB 盗んだ奴も……」

山「可能性は否定できない」

 あるいは、工作員とまではいかないが、属するコミュニティや近隣住民に影響を及ぼすような活動をする。ナッジという言葉聞いたことあるやろ? そうやって知らず知らずのうちに周囲の人間の行動を操るんや。例えば、普段運動不足の人間にラヂオ体操に行くよう促したり、重役に接触できる立場なら、特定の企業の工場や本社を移転するよう仕掛けたり。

岩「CIAの諜報員や工作員みたいなやつをあちこちにばらまくんか」

山「そうやって、裏で神戸を操っているということもありえる。なんなら、市役所を乗っ取ろうとしている可能性すらある」

 役所が社会人採用を進めていることは知っとるやろ? 民間のエース社員を引き抜いて行政の即戦力にするやつ。そこに彼らを応募さすんや。そうすれば、行政内部のデータや戦略を筒抜けにできる。あるいは市議会でもいい。議員選挙に立候補すればメディアが注目するし、たとえ落選しても周囲にはヒトや情報が集まる。

岩「一つ聞きたいんだが、それなら集団のアジトみたいなところがあるんちゃうんか?」

山「わからん。北区の山奥のどっかにあるのかもしれんし、思い当たるところも見つかってないから場所は特定できない。あるいは、アジトさえない可能性もある。キャンピングカーみたいに常に移動しているとか、オンライン上で活動しているとかな」

岩「7000万の公金支出とも関係があるんか?」

山「ボサツが市の経済成長や大勢の困窮者を救った見返りに……という趣旨で金が動いている、とすれば何ら不思議なことではない」

 市内の人口の1%に当たる1万人近くが生活困窮者という統計もある。それらを囲い込めば、巨大な裏組織を作ることなど容易だ。


 岩谷が訪れたのは、とある市議会議員のオフィスアワーだった。食事会の席で紹介されたのだ。

「彼は中小支援にも力を入れているし大学生からも支持がある。岩谷さんも行ってみては? 登山好きだからそういう話は好きだと思う」

 

 山本は今度改正される市バスの路線図を読んでいた。今年は3路線ほど新設される。ざっと見た感じでは、平野部を走る区間を再編し、駅と山麓部を結ぶルートがメインになったといえるか。


「新長田アクセス便が増えるんか。また乗りに行かなあかんな」

 市バスで新しい路線ができると必ず乗りに行くのが彼のお約束だった。

「でもこの路線ルートはなぜやろな。今度弓子に聞くか」

 そういいながら数学の参考書を開ける。彼は資格マニアをやめたのだが、相変わらず入試数学や予備校の大学別模試に顔を出す。何故か高校を卒業してから面白く感じるようになった。

 山本は特に面白いと感じているのは、順像法と逆像法、数列全般(特に漸化式)、整数(方程式の整数解)。そんなところか。


 入試の数学は、「見たことある形に持ち込む」のが全てだといえる。参考書の例題を網羅しておけば難関国立の数学もだいたい解けるようになる(東大京大は知らん)。数学の参考書の解答を読んでいると、そういった「美しい言い換え」がたくさん出てくる。数学の醍醐味はそこにある。一見よくわからない解法にもそういった思考の背景があるのだ。


山「つまり、溝口と部下の利用するバス停を知りたいと」

岩「そう。しらみつぶしに行くには効率が悪すぎる」

山「逆像法って知ってる? 最近の高校数学の教科書には載ってないが」

そういうと彼は白板に問題を書いた

x.y がそれぞれ実数全体を動くとき、点(x+y, xy)の動きうる領域は?

岩「なんやこれ、x=1の時は、x=2の時は……って調べるんか?」

山「普通はそうやん」

 一つは、x座標を固定し、スライスする方法だ。ふつうはまずこちらを思いつくだろう(順像法)。

 もう一つは、実数aが存在する=ABが通過 と考えるのである。いわば、「火のないところに煙は立たぬ」「ひねくれ」「言い換え」「見た目に騙されない」とでもいえようか(逆像法)。

(解答を打つ)


 見た目に騙されないというのは、かつて弓子が教えてくれた。彼女はQRコードの如く、人の性格や職業などを瞬時に読みとる。


「要はこういうことやろ? を見つけ、そこから解を特定していく」

それで現時点では何か条件とか手掛かりみたいなんは見つかっているん?

岩「知り合いの議員によると車持たずに鉄道市バスだけで生活しているらしい。彼のSNSから大体の行動特性とかルーティンは割り出せそうなんだが」

例えば、三宮にいるという投稿のn分後に自宅で晩酌という投稿。住んでいるところが坂の多い 市バスの何系統の話題が多い、今迄に寄った酒場リストなど。


弓「へえ、今は妹さんが会社の後継を」

西「そうですね。なんか最近は森林保全のボランティアやってますね」

弓「わざわざ探してね。友人も今似たようなことやっとるわ。もともとそんな性格じゃなかったはずやけど」


山本は

整数問題の絞り込み方 問題の特定 漸化式

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