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新開地というのは弁論術の聖地らしい。
山本が美術館でモネと対話していた週末、彼は喜楽館にいた。議員や行政幹部、タレントには新開地出身が多いのだ。落語というのは最高の教養だ。つまらない出来事でさえも、エンターテイメントに変える力がある。そのくせ、平均年齢は高い。しかし、仕事帰りの者もいることからすると、エリート層には落語愛好家が多いのだろう。
何かと悲観や不安症だという我々の欠点を補ってくれる。
岩「そういやいつだったかイタリアかどっかに興味があると言っていたな」
何でも最近外国人流の暮らし方考え方に興味があって、そういう系の雑誌を読んでいた。あいつの雑談はたいていあそこから出題される。さしずめこの国の文化に嫌気を感じたのだろう。あちらに生まれていれば楽観して過ごせるなどと言って。金がなくても幸福度が高いなどと言って。若年失業率が30%のイタリアの話をよくした。
岩「神戸でいうとどのへんなんだろうな」
さしずめ西区とか北区、大沢や淡河のあたりか。さぞ時間の流れがゆったりしているのだろう。信号でぶつかって口論になることもない。そもそも人が歩いていない。
弓子は友人が八多にいたこともあり、何度か訪れたことがある。同じ北区でも、大池の北と南で見える景色が変わる。吉尾インターから歩いて15分の所に住んでいた。
こんなところで不便しないのか、と訊くと、高速バスが寄るし、岡場駅に出ればモールも役所もある。本だって近くで受け取れる。特に不自由はない。と話した。いわゆるノマドだ。基本携帯とPCさえあればどこでも仕事できる。人が自然を作るのではなく、自然が人を規定するのだ。人と自然が同一線上にある。
同様に、そこでは個人の時間と仕事の時間を区別することもない。オフィスの自分は居間にいるときの自分と同じ。人生の中に仕事があり、仕事のためにモチベーションを上げる必要などない、息を吸うように文書を書き、紅茶をいれる感覚で会議する。仕事が趣味みたいなものなのだ。「仕事は苦役」などという発想が生まれるわけない。文化人類学など本来そう言うもので、人と自然を分離するのではなく、溶解させるものなのである。
弓子も割とそうだが、たいていは楽観的に生きている。事実は動かせない。しかし解釈など気の持ちようでどうにでも編集できる。たいていのことは気にしすぎなのである。
山「見えてきたぞ、我々の探るべき真打が」
社会コミュニティをハシゴして一カ月がたったころ、彼は気づいた。この都市は、何者かを操り、何者かによって操られている。そのことに、多くに市民は気づいていない。
その「何か」は、人ではない、組織ではない可能性もある。ネットミームのような社会的現象かもしれないし、全能的な神のような超越的存在かもしれない。人々はそれを「世間」と呼ぶ
我々は日々の意思決定はすべて自分の意志で行っていると考えているかもしれない。しかし、実際は大部分は外部からの影響である。
大手プラットフォームの広告と同じで、日々無意識のうちに情報にさらされている。あるいは誰かと会話するとき、その人の価値観に何となく近づく。微々たるものだが、それが積み重なるとやがて行動に出るようになる。自分は周りの影響など受けないと思っている人ほどそういう傾向がある。自己決定など机上の空論なのである。
もちろん宗教の勧誘などのようにあからさまな形や攻撃的なものではない。そよ風のように何気ないものだ。そういうのは友人のふりをして近づくのである。なので何らかの集団や思考思想に誘導するようなものですらない。しかしそれはやがて、大きなうねりとなる。
タダそうだと仮定して、神戸で果たしてそれがどれほど成功するのだろう? 自分は誰のまねもしない、という人間が150万も集まった土地だ。
「先進的なスタートアップって計画的に見えて路線バスのように行き当たりばったりな反応の積み重ねだったりする」
市バス46系統の車内でそんなことを考えた。しかしわかる気がする。神戸とイタリア人の共通点は寄り道しながらその都度のプロセスというか、その場での楽しみを享受するのだ。
自分が人生で充実していたと感じる瞬間は、ほとんどない。しかしそういう時は、路線バスみたいな感触だった。与えられた課題を解決するのも悪くはないが、どちらかというと自分で問いを立てて勝手にあれこれやりたい性分のようだ。
岩「そうか、また連絡する」
地下鉄の階段を上がった。彼は決して残業をしない。なので夕方のニュース前には必ず台所に立てる。
岩「知らんかったな、そんな乗り換えルートあるとは」
先日新設された路線バス系統では、中央市場から長田まで一直線で行けるのだそう。
山「言い換えると、この二者を結びつける何らかの必要性が生じたことになる」
例えば市場とかな。青物市と魚市。食都神戸推進を考えれば何ら不思議なことではない。すべてはそういった背景に起因している。
地元紙を開くと、相変わらず中小企業倒産や経済低迷を伝える社説が掲載されている。グローバル化という言葉がはやったのは、山本が中高生の時だった。ネットの発達で多様性が増したと同時に、自分の見たい情報しか入手しなくなり、逆に閉鎖性が増したような気もする。同じ出身の人間と1秒でつながれる時代なのだ。
神戸の没個性化は、言い換えれば地域やそこに住む人々が錆びついていることを表す。干からびた運河のように人の流れが途絶え、交流がなくなり、そこでは常識と非常識がぶつかることもない。結果として、同じような地区の集まりになってしまう。
我々の生活は平日休日問わずかなりの割合がワンパターンで占められている。乗る電車、仕事の中身、話す人、行く店、驚くほど変化がない。信号待ちの車両のように惰性になってしまう。山本は子供のころからこういうあり方に唾を吐いてきた。好奇心の塊のような人物だったのだ。
岩「こんな路地いくん?」
路線バスはギアを変え、路地を右へ左へと曲がる。エンジンの振動が背中に伝わる。山本はこの感覚が好きなんだそう。
山「なんか頭かきむしりながら解く大学への数学みたいな感覚なんよね。あ、FP2級でもええわ」
土日の昼間は、1人しか乗客がいないこともままある。
岩「だとすればこの路線は何のために存在しているのだろう」
いや、そう問いかけること自体がもはや時代遅れなのかもしれない。
山本はよく、そのうち能力不足で首だろうと話していた。こんなコミュ障で人とぶつかった社会経験のない人間が今日の組織で昇進するわけがない、と。しかし彼は本当にそう思っていたのだろうか。
山本が証明したいのは自分の無能さではない。コミュ障でも活躍できるということではないのか。営業仲間など数えきれない。快活で誰とでも話せる営業マンだけではない、根暗で、人と目を合わせるのも困難で、しかし結果を出している営業マンもいるのだ。実は岩谷の前職の上司もそうだった。彼はあからさまなコミュ障だった。営業について行っても、特別なことをしているわけでもなく、ただ淡々と話しているだけ。ところが、その日行ったすべての契約がまとまったのだ。
コミュ障は病気や野菜嫌いや赤点と同様、好ましくないもの、克服すべきものとよく捉えられている。岩谷もそう考えていた。しかし山本を見ている限り、彼はこれをどこまでもガン無視しているとしか思えない。彼は“コミュ障のまま”評価されてきたからだ。「コミュ障を克服して成功しました」ではない。彼はいまだに治っていない。治るかどうかも分からない。下手したら一生付き合っていくしかない。平気で「人と話すのは3分が限界だ」と公言する。でもなぜかうまくいっている。「その方が現実的ではあるわな」などと言って。
岩「相変わらずちゃぶ台返しだよな」
勝てないならテーブルごとひっくり返す。勝てないなら別のレーンに移動する。勝とうともしていないのかも。他人と比較せず昨日の自分と比べるような奴だ。相変わらずどこからそんな考えが出るのかわからぬ。
運転席の無線が鳴る。
「こちら魚崎357号車」
「えー住吉駅止まりにして上り回送、上り回送で…」
岩「山本に聞いたら何言ってるかわかるやろか」
ダイヤ乱れのようだった。
山「そんな情報無いで?」
携帯を見つつ答える。位置情報システムは正常通りだ。
まずダイヤ混乱時に37系統が途中折り返しすることはない。
岩「ってかお前きょう川掃除とか言ってなかった?」
山「ああ、手を引いた」
コミュ力チームワークが上がらないからな。
山「いろいろ試すが、メリットにならないと感じたらすぐ撤退する。要はその見切り」
参考書とか投信と同じ。多すぎても良くない。最後は手札を収束させてシンプルに
岩「例の件だが、やはり手掛かりがつかめへんでなあ」
山「ダイヤを解析したんだが、これがその結果」
岩「なんだこれ? 線がいっぱい」
山「行路表や。それでどのバスがいつどこですれ違うとか全てわかる。エクセルで作った」
過去の溝口のツイートだとか手下の目撃情報をもとにマップ上に整理した。
山「するとある系統だけ彼はしょっちゅう利用している」
岩「それがこの路線ってことか」
かつての神戸市バス10系統は、かねてから山本が気がかりな路線であった。全線が平地であるうえ、鉄道駅も近くにあり、もはやだれが利用しているのかよくわからない。乗客数は市バス全路線の中でも芳しくなく、空気を運んでいると揶揄されることもある。次の改正で廃止になるだろうとも予想されていた。
実際に改正では、区間を新長田駅から駒ヶ林町を通り、鷹取駅南口へ向かう路線として再編され、それを新長田発着であった13系統にくっつける形で、10系統は廃止された。しかし、それなら13系統延伸などせずに、野田町を通る区間も含め廃止でよかったはずだ、ところが路線は残されることとなった。しかも、鷹取南口のバス乗り場が、この路線のためだけにわざわざ新設された。
山「つまりあの辺に市バスを残す必要があったってことや」
周辺には民家と工場地帯しかないし、近くの駅まで歩いていくことも可能である。わざわざ路線バスを残す必要は薄い。
岩「考えられるのは、何か将来施設を造る計画があるとか、すでにそういう極秘施設があるとかやな」
103系統なんかは西郷に酒造博物館を造る計画があるらしいが。
山「市バスはたいてい市住の近くを通っていることが多いんや。しかしあの辺にそんな計画があるとも思えん」
いや、誰かが市住を誘致しているとすれば?
人はなぜ、自分から情報の渦に飲まれようとするのだろう
しみずはそれが不思議だった。そんなものは9割方気にしたところで無意味だ。自分に何の影響も及ぼさない。休日は携帯の電源など切っている。その方が心地よいではないか。疾走する地下鉄や路線バスの全面展望宜しく、何か目標があると彼女はわき目も降らず突進したくなる。
山本は最近、資格マニアを再開したらしい。と言っても、秘書1級とFP2級で打ち止めにするらしいが。いや、彼のことだからもしかしたらまた新たに興味を持って何か取りたいというかもしれない。
「税額制度はステンドグラスの様な美しさ」
西山はふと、マレー料理のレシピを読みつつ、山本のそんなセリフを思い出していた。どんな光景に酔いしれているのだろうか。
コミュニケーション主義と、よく言われる。すっかりこの国を覆いつくしてしまった。チーム対人経験を積み、周りを巻き込むことが優秀者の条件、そういわれて久しい。自分もそれを目指してきたつもりだ。
しかし、それが万能ではないことに気付いている。コミュ力だけでびっせるが優勝するのか、川重が発展するのか、おもろい住民が増え続けるだろうか?
岩「確かに俺に言わせれば彼は口下手で、伝える力は最低や。いつでもあがりまくっている」
彼はつづけた
岩「でもな、彼は本物のコミュ力を会得しとる思うで」
コミュ力と言えば伝える力や思うとるやろ? そこで9割の人間は本質を見失っている。視点を変えてそれ以外、人の心理を見抜いてぐーっと動かすとか、相手の背景知識を仕入れて心をつかむとか、それかて立派なコミュ力やん。勝てないから別のレーンで勝負ってことや。
「コミュ障」だけどコミュ障じゃない。寡黙なコミュ力抜群男。
そんな矛盾が、彼女をわくわくさせた。
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