毒を餐む

詩人

Cramped night

 夜が明けると私は小さくなる。


 魔法とかファンタジー的なお話ではなくて、単なる器とか威厳とかそういう面白くもない気怠けだるい真実だ。0時を迎えると元の姿に戻ってしまうシンデレラでも、刹那の幸せは得られているのだからまだ良い。


 陽が落ちて夜になると私は大きく、強くなる──というわけではないのだから。


 元々矮小わいしょうな私は、日に日に命が小さくなる。


「先生…………助けてくださいよ」


 診察室。


 日中のさらに惨めな私は、身を縮こめながら必死で主治医にすがり付く。

 定期カウンセリングを重ねる毎に悪化していく私の症状を見て、最初は気を遣わずに接してくれていた主治医もいよいよ「可哀想だ」という憐れみの眼差しを向けた。


「そうは言いますがね、薬の効果はきちんと出ているんですよ? そんなに現状が嫌なら服用量を増やしますか?」

「嫌……薬はもう嫌ですっ!! やだ、ごめんなさい……お願いします……!」


 薬は毒だ。あればあるだけ飲んでしまう。もうほとんど薬物中毒の半狂乱のようになってしまう。一時の快楽、快復のためにその後の苦しみを味わいたくはない。


「夜眠ることが怖いのに、薬を飲んだら死んだように寝てしまう……。朝起きて生きてた時の絶望が、先生に分かりますか!?」

「自殺願望は危険です。酷いようであれば病院内での監察処分も辞さないですよ」


 精神科医のくせに、こいつは私をイライラさせることしか言わない。私の気分を害することばっかり……医者にかかってから、これっぽっちも私の暗い毒は消えやしない。

 人生に苦悩を抱いている、とかそんな理由ではない。むしろそんな明確な理由があった方が私の苦しみを都合よく説明できたかもしれない。

 けど、現実はそんなに易しくない。


「消えろ……ヤブ医者!!」


 ただ漠然ばくぜんと暗いのだ。説明のできない、気味の悪いわだかまり。

 芥川風に言語化するのなら、「唯ぼんやりとした不安」だ。


 七日間のテンプレートをこなすだけ。

 毎日やかましい目覚まし時計を止め、毒を飲み学校へ行く。虐められているわけでもないし、みんなと仲が良いわけでもない。奇抜な絵や小説を書いているわけでもなく、人気の曲を聴いているだけ。


 心の独は、消えやしない。


 この制服が私の全てを締め付けているのだと考えると、今すぐにでも破り捨てたやりたいと思う。

 私はフィクションの主人公でもなければ、精神異常者でもない。教室で発狂する勇気なんてないし、諦めることもできない。


「大丈夫だよ」


 そう優しい言葉をかけてくれる人なんて、私にはいない。

 たとえその台詞が鍵括弧で一纏めになっていたとしても、それは私が願っているだけ。

 私の頭の中で言い聞かせた誰かの独白モノローグであり、実際に放たれた言葉ダイアローグじゃない。


「それで君が救われるのなら、それでいいよ」

「うるさいなぁ、不在だってことが一番の罪なの!」

「君みたいなはまだまだいるよ?」


 読々どくどくと──心が蝕まれてゆく。

 たぶん、薬の副作用だろう。


 吐き気がするし一旦教室を出よう。

 顔面蒼白だろうから、きっと授業中に教室を出ても怪しまれない。


「授業中だぞ」


 全てを凍らせるような冷たい先生の言葉。これこそ幻聴であって欲しかった。

 でも、先生の無慈悲で空気の読めない言葉のせいで視線が四十ほど私に刺さる。


 ごめんなさい。もう許してください。


 やめてよ。

 私はみんなと同じだって。


 違うところなんて探せば探すほど見つからないんだから。

 謝ったらどうにかなる?

 いいや、そんな生易しい世界じゃないもんね。そんな世界ならとっくに平和になってるもんね。

 でも、ごめんなさい。私が悪かったから。

 そんないぶかしむような目で見ないで…………



 呼吸がアクセル全開になって、すぐさま過呼吸を起こす。

 教室を飛び出し、むせび泣きながら屋上に向かった。

 嗚咽おえつが止まらない。呼吸もままならない。

 一定のリズムを刻もうと思うと、かえってテンポがちぐはぐになってしまう。不協和音を精神安定剤として服用したい。そうすれば心が落ち着くはずなのに。


「死にたいよ……」


 屋上の扉を強引に開け、まだ自分にこんな力が残っていたのかと思ったのも束の間、立入禁止の屋上に先客がいたことを視認する。


 不良と名高い金髪のギャルだ。一緒にいて居心地が悪いタイプだ。仲良くしているその裏でどんな悪口を言われているか分からないから。


「死ねばいいじゃん?」


 ギャルは澄ました顔でそう言ってみせる。

 私には反論の余地がまるでないといった様子である。私の決意を馬鹿にされたみたいで余計に苛立ちをおぼえた。早くしないと──幻聴が催促する前に。


「出来ないよ……っ!!」


 私は馬鹿みたいな大声を出した。普段出し慣れていないことを悟られてしまいかねない。

 いや、もうそんなことなんてどうでもいいんだ。絶対に飛び降りてやる。全員に迷惑をかけて死んでやる。

 最後くらい毒を吐いて死なせてくれよ。


 でも、出来ない。だって、


「君がそこから、どいてくれなきゃ!」


 屋上と空中とを分離する安全柵のギャルはいるのだ。

 靴は──丁寧に両足が揃えられて置かれている。

 私が死ぬ前に人が死ぬのなんて見たくない。十何年も生きてきて一度も見たことのない人の死に際に、どうして私の死に際で出逢うんだ。


「じゃあさ、一緒に逝く?」


 グイッとその口角が上がる。まさかの提案を受け取った時、いつしか私の不規則は治っていた。

 ノイズキャンセリングの要領だと思った。

 私のノイズと、彼女のノイズが相殺し合った結果、永遠の凪が訪れた。


 そもそも誰でもない虚空に捧げるつもりだった命だ。それならばこのくだらない無価値な私は彼女の舞台装置マクガフィンになろう。

 最期くらいは優美に終わらせてもらおう。


「逝くよ」


 私は彼女に倣って安全柵の外側──あちら側に立つ。

 靴を両足綺麗に並べて、制服の上着も脱いで靴の近くに置いた。

 四階分の恐怖が目に映り、途端に汗が噴き出す。気色悪い。


「抱き合って」


 ギャルは突然私を抱き締めた。彼女もまた私と同じように汗ばんでいて、二つの死体は熱をはらむ。


 もう彼女の顔は見えない。可笑おかしかった。

 あとは彼女に命を委ねた。


 ジェットコースターが落ちる時のように、ふわりと内臓が跳ねた。

 そういえば遺──






 ──冗談かと思うほど大袈裟に私はベッドから跳ね起きた。


 また始まる私の七日間。


 毒に溺れた、現実うつつの低空飛行。



『今日未明、公立高校の敷地内で女子生徒がぐったりと倒れているとの通報を受

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毒を餐む 詩人 @oro37

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