第扒話・親子

※激しい血の描写に注意です。

あと時代的に女性差別ともとれる表現がありますが、消して推奨しているわけではないのでご了承下さい。


ーーーーー

「母上のことは気の毒だが、別れてしまった

今はもう私には関係のないこと。こちらから弔問に行く道理はない」

 かの現場に立ち合った同僚から話を聞き、記録簿も目を通していたので大体の事をギョヌは知っていた。しかし、冷淡に阿波野を突き放す。

「そもそも軍服のままでここに来るなと言ってるだろう」

「着替えるの面倒で悪いな。…でもまぁ何があったか知らんけど、少しだけでも顔を出してやってくれ。みぃちゃんも弱ってはいるけど、お前に謝りたいと言ってたし」

「……」



「自害だったらしい。酒や食い物が残っていたが、最後の晩餐てやつかなぁ。その後毒を飲んだんだろう。俺も後から現場を見たけど、すげえ血の海だったねぇ…」

 煙草に火をつけながら、阿波野は眉をひそめてみせる。ゆらゆらと浮かぶ白い煙が、曇り空に消えていくのを、二人で見送っている。

「ギョヌ殿、なあ」

「何だ?」

 倭人街へと続く、鬱蒼と生える竹藪の道。前方を歩いていた阿波野がくるりと振り返る。

「お前って、真っ直ぐな奴に見えても、どこかきな臭いよな」

 どういうわけか、彼は由良の殺害を疑っているようで、カマをかけているのがわかる。それでも。

 ギョヌは特に動じなかった。

「藪から棒だな。…きな臭いも何も。私は任務とはいえ人を斬ったり罪人を尋問にかけたりと、人殺しに忙しないからな」

「まさに、『一人殺すも百人殺すも同じ』という感じか?」

「もしや、この件を疑っている?」

「少しな。でも…証拠も無いし、特に俺からはなにもしねえよ」

 仮にもしお前が殺ったのなら。

 後は、みぃちゃんに極力ばれないようにして、さっさと二人して日本に行けばいいだけだ。

 ただ、俺が協力出来るのは、ここまで。

 今や日朝両国はおろか、清国やロシアの脅威もあって、状況がいくらでも変化する。

 お前もこれ以上は派手な動きを見せない事だ。

 一歩間違えば、俺らはいずれ敵対することになるかも知れないからな。

「阿波野殿、おぬし」

「なんだ?」

 おもむろに阿波野はマッチの燃えかすを眺める。ああ、思い出す。嫌だけど忘れやしない、幼き日の自分が主役の絵巻物。

「そもそもお前は私の味方か敵、どっちのつもりだ?」

「どうかねえ」

 竹藪が邪魔すぎて歩きにくい、と。阿波野は軍刀を取り出し、目の前の竹を斬ってみせた。

 普段は小銃を扱うが、太刀筋は悪くない。しかしながら、これまで何度か二人で手合わせをした事はあったが、阿波野より実戦を積むギョヌに大概敗れている。

 とはいえ、土壇場に強いとうたわれる日本人だ。本気で敵に回せばどう出るだろう。

 底知れぬ怖さと、一層の興味深さをギョヌは感じていた。




「もう二度と来て下さらないと思いました…」

 ギョヌの厚い胸にしがみつき、三鈴は泣きじゃくる。

「流石にこの前は腹が立ったぞ。でもきっかけは何だが…会えて良かった」

「すみません…うぅっ」

 三鈴を抱きしめたまま、ギョヌは視線をちらりと居間から隣室に向ける。

 自ら殺めた三鈴の母・由良が顔に白い布を被ったまま、最早動かない。

 後悔はない。むしろ、汚物が一つ消えてくれて嬉しい。

 自分こそ、三鈴を幸せにできる保証など有りはしない。それでも、彼女の不安要素や枷になるものを、出来るだけ取り除きたいと思う。

 しかし、あの夜は思い出してもおぞましくて吐きそうだーー。



 ーーーーー

『なに?何か変だわ…一体何をッ!』

 かの夜のその後の顛末。

 叫ぶやいなや、ぼたぼたと大量の血が、由良の鼻や口から吹き出す。

 効果覿面。流石は日本製の殺鼠剤といったところか。

 初めて三鈴と出会ったあの時に、自宅の鼠駆除のために買ったもの。しかしギョヌの用途はそれだけでなく。危険と隣り合わせの生活ゆえの防衛手段の一つともなっていた。最早手段は辞さなかった。

『おや、奥さんも労咳でありますか?』

 しれっと返すギョヌに由良は驚愕と怒りの形相で、血と共に罵詈雑言を吐きまくる。

『やったねぇ!何のつもりだいっ…ゲホッゲホッ!』

『私は年増を相手にはできません。まして常々娘の人柄を否定して、更には恋人を寝取ろうとする母親など、この先も彼女の害にしかならぬでしょう』

『だからってこんな仕打ち…異常だよあんた!かはっ、く、苦し…!』

 ガリガリと、己の首や床板を引っ掻きながら這いつくばり、由良は目の前に佇む男の道咆トポの裾を掴む。が、直ぐ様足払いをかけられて。

『私が好きなのは三鈴、貴様の娘の方だ。役立たずとも頭が足りぬとも思わぬ。私を気遣い、いつも心配をして癒してくれた。それで十分だ。ここで少しは悔い改めるならば、首を切って楽にしてやろう』

 これ見よがしにギョヌは刀を拾い上げ、鞘からちらりと引き出してみせる。銀色が禍々しく光る。

『そうやって…かっこつけたいだけだろ。口だけ良くてその実中身が空っぽ闇で…、おなごの美味しいとこだけを搾り取ったら、はいさようなら、て。男なんて…みんな同じだぁ!』

『…貴様がどのような生い立ちかは存ぜぬ。それでも生まれてきた子を育てるならば、巣立つまで守るべきではなかったか。せめて旦那と娘には、その醜い感情を隠し通すことは出来なかったのか?』

 蔑むように哀れむように、由良を見下ろしている。その表情に彼女の感情は更に逆撫でされ、絶叫した。金切り声で、きんきんと。

『畜生…呪ってやる。苦しめ!精々生き長らえて苦しめばいい!源助…、ごめんよ…お前だけは、母ちゃんを呪っていいからねえぇ!!』

 結局由良にとどめの刃を刺すこともなく。ギョヌは断末魔の女をそのまま放置し、小屋を後にした。

 由良に飲ませた毒入り酒の器は、足でかち割り川へ投げ捨てた。酒や媚薬に酔ってはいても、証拠を消すのは抜かりない有り様であった。

 ーーーー


 今宵はもう弔問客は来ないようだった。

 今こやつの屍の前で、三鈴を抱いてあられもない姿を見せつけてやろうか?

 一瞬思いつき、三鈴の着物の胸元に手をかけたが、やはりこの場所は嫌なようで首をふられた。

「そうだな」と了承して、二階の彼女の自室へと向かう。そのまま暫く部屋から出なかった。

 三鈴の大きめの乳房、女陰をも露にし、そこを幾度も舌や指を這わせて愛撫した。久しぶりに触れる三鈴の肌は柔らかい。しかし以前より痩せたようだった。

 ミシミシうるせえな、と階下の父は一言ぼやいたが、最早もう何も言うまいと思い直し、外へと出ていった。

 その足で屋台に行く途中にて、阿波野と行き逢った。手には番傘を持ち、頭に『ハンチング』と呼ばれる平たい造りの帽子、黒色の着物と袴に着替えた彼の姿を見て、初めて私服見たなぁと軽く会話をして別れた。





 ーーーーー

 阿波野は今や天涯孤独の身である。

 親族とも縁がないため、彼の没後は恐らく無縁仏となるであろう。

 父の記憶もほぼない。散切り髪で丸い眼鏡をかけてこちらに笑いかける姿のみ、朧気にあるだけだ。

 武装していたであろうか。幼き息子の頭を撫でて、そのまま踵を返して何処かへ行ってしまったのだ。

 次に思い出すのが、号泣する母と、母の前に仁王立ちしてみせる男。

 父の弟を名乗る彼は、兄と共に田原坂の戦におもむき、そこで兄が果てるのを見たという。骨を拾って帰る余裕もなかったとの事。

 更にどういうわけか、その男は我が家に住み着くようになる。

「これからはこの方を『父上』と呼ぶように」

 母に強く言われた。

 阿波野が成人するまでの間、母は幾度か子を孕んだらしい。しかし、継父となった叔父によりその度産むことを諦めさせられていた。子種を流すためにマッチの芯を飲まされ、三日三晩苦しむ母を黙々と看病するも、継父に放っておけ、勉強はどうした、と追い払われる。

 学校での試験の点が悪いと、その度に折檻を受ける。どんな生傷が絶えなくとも、『教育』『しつけ』と見なされ、母はおろか誰も継父を咎める者はいなかった。

「この家を立て直すには、お前が利口に暮らさねばなりません」

 母にもきつく叱られる。

『利口』とは何なのか。親の意見・意向に逆らわず、従順に生きよという事なのか。没落した我が家を、それで再建させる事が可能なのか。

 継父も母もとにかく士族という身分に固執し、武士の誇りを守れ、新政府に媚びる真似をするなと、念仏のように訴え続けていた。


 少年の阿波野は少し身体が弱かったが、『武士の誇り云々』という理由で剣道や古武道を習わされた。ただでさえ貧しいのだ、その分の金を家計に回せば良いのに、とも言わせてもらえず。

 それでも、稽古の時間は割と楽しく、初めこそは弱々しく仲間から馬鹿にされる事もあったが、次第に身体が順応し、力をつけていく。

真作しんさくはきっと強い軍人になれるて」

 古武道の道場に通う、松野という年上の少年が阿波野の腕前を褒める。

「そうね?親はきっと反対するけん」

「徴兵令になんぼなんでも逆らえんじゃろ。大丈夫かて」

 松野は、どこか寂しげな幼き阿波野を何かと構ってくれた。駄菓子をおごってくれたり、共にカブト虫を探しに出かけたりと。

 阿波野も彼を兄のように慕っていた。そして少しだけ元気になれた。


 やがて時は経ち。

 成人した男子には一定の事由を除き、徴兵令が下される時代であったが、阿波野は自ら志願し政府軍に入隊することに。じきに二十歳になる頃であった。

 やはりと言ったところか。継父と母に激しく反対された。

 しかし以前のひ弱な面影はすっかり消え、長身で体型も引き締まり、気も強くなった阿波野は、それを押しきって荷造りを始める。

「いつまでも武士の誇りとか、なんぼ拘るかね。もうここらでよかろが!」

「真作!ほんまに、情けなか…」

 母がよよと泣き崩れたが、意に返さず。


 阿波野が黙々と家を出る準備を進め、漸く終わらせたある日のこと。

 何やら夫婦で揉める声が聞こえる。

 またか、といい加減にうんざりしたが、今日はいつもと様子が違うようだ。

 居間の前にて聞き耳を立てる。

「もうよか。もう、おいはあやつを殺すがね。田原坂のどさくさ紛れに兄上を消したふうに」

「私を欲しさに、うちの人をわざわざ…あんた、何て男なんです!」

「かしましいわ!こうなりゃお前も要らんけん、あんなぽんこつに育てよってからに。あやつと共に失せい!」

「わ、私こそ要らんけん…もうあんたら二人とも要らんがねー!!」

 この時、互いに刃物を持ち出していたのだ。まずは男の苦悶の声が聞こえ、続いて明らかに肉を切り裂くような鈍い音。

 阿波野が襖を開けると、既に血水でいっぱいに。

 母は左肩から斜め下に、日本刀による傷を受けて横たわり、継父は横腹を深く刺されていた。

 継父は後ろで呆然と佇む息子の姿を見て、更に神経を逆撫でされたのか。満身創痍のまま、言葉にもならぬ声をあげて彼に斬りかかっていく。

 しかし、今の今まで身に付けてきた古武道で跳ね返され、刀を奪われた。

「今や老いがきた貴様きさんらより、若造のおいが強いはずじゃて。やる気か?」

 阿波野が挑発する。やや三白眼な目元も相まって、般若にも劣らぬ鋭い形相で。

 母は母で、命乞いをしてくる。

「真作、おやめ…!私の腹にはやや子がおるのです。今すぐ医者を呼びなはれや」

 やや子だと?一瞬怯んだように見せて、直ぐ様に母を鼻で笑う。

「今更じゃろ。お家再建の為だけにやや子作ったかて、気の毒なだけだがね。生まれてこん幸せだってあるはずなんじゃてぇ!!」

 そこまで叫ぶと、阿波野の目尻に涙が滲んで、ぼろぼろとこぼれ落ちていく。

「お前ら、そのまま死んでくれ…血を出しきって出しきって、死ね」

 …このまま最期まで、見届けてやるから。

 涙を流しながら力なく笑う阿波野だが、二人の親は最期まで、彼への謝罪の言葉はなかった。

 土間に大きな穴を掘り、口をふさぎ全身を縛り上げた二人を投げ落とす。

 酒をあおりながら、二人が息絶えるのを見届けると、屍に土を被せ、平らに均した。

 辺りに派手に飛び散った血が気がかりだが、比較的集落から離れているし、めったに来客もない我が家だ。

 人が訪ねてくる前に、もう行こう。


 家を出る前、実父の形見である日本刀を眺めるが、荷物になるゆえ持っていくのは憚られた。

 代わりに父の使っていた傘を持つことに。古くなってはいるが、質のよい番傘だ。

「父上、さようなら」

 一言残して家を後にする。


 外は雨がぱらつく肌寒い夜だった。着物を着込み、頭にハンチング帽をも被ると、早速形見の番傘を開く。

 暗闇に溶け込む程に黒い色をしていた。






 母の弔いが一通り済み、徐々に日常に戻りつつある三鈴の家。

「いつまでも店を閉めたままじゃ、稼げんからな。三鈴も今日から手伝えるか?」

 患ってから店番を止められていた三鈴へ、漸く父から頼まれた。

「うん、やるやる!」

 自分は木偶の坊だと塞ぎ混んでいた三鈴は嬉しくなり、せっせと開店の準備をする。

 母を失くしてからの方が、娘は何故か元気に見える。やはり母の黒い感情が、無意識に三鈴を萎えさせていたのだろうと父は感じていた。

 しかし、あの女が自ら命をたつとは、どうにも考えにくかった。

「あ、若様っ…いらっしゃいませ!」

「俺もいるけど?」

「阿波野さんっ。ていうか、またサボり?」

 シーッ、と阿波野に人差し指をたてられ、相変わらずだなぁと苦笑いしながらも、楽しそうに二人を接客する三鈴。

「また、いらしてください!」

「ああ、そうだトッキ」

 ギョヌが三鈴の耳元で囁く。

(夕方、また海辺で会おうか)

 彼の妙に艶っぽさのある声色に途端、三鈴の耳がポッと熱くなる。非常に分かりやすい娘である。

 そんな彼女が、ただただ愛しかった。もう、手放すなどとんでもない事であった。


「とにかく明るくなって良かったな」

「そうだな。やはりやれる事はどんどんすべきだ」

 三鈴の店で買い物を済ませ、歩きながら、顔を見合わせる二人の男。ふと、阿波野が立ち止まる。

「ほんと、『殺った』ねぇお前」

「何故おぬしに悟られたのか。…恐ろしい奴だよ」

「なぁに。勘だよ、軍人の勘」

「…ふん」

 へらりと笑う阿波野にそっぽを向くギョヌ。阿波野の過去の顛末を聞かされ、その流れで由良殺しの犯人であることを明かす羽目になってしまった。

「しかし、女ってある程度歳を取るとみんなああなるのかね?怖すぎて結婚出来んぞ俺は…はぁ」

 ため息をつきながら阿波野が再び煙草を咥え、マッチに火をつける。

「ここ朝鮮の閔妃ミンビ、清の西太后。女が権力にぎると世が乱れるというのは、あながち間違いじゃないかもな」

「それはどっちもどっちだろう。お主も同じくらいにどす黒いぞ」

「ハハッそうならなきゃあ、喰われるからな」


 まぁ、見せてもらったよ。お前ら二人の恋愛ごっこを。いずれ何もかも崩れ去るだろうが。

 不平不満、憎悪、そしてそこから生まれる、紛争。そうなりゃ愛も糞もなくなるさ。

 哀れだね、お前たちは。

 俺は別に何もしねえよ。ただ傍観するだけ。かつて、糞継父と母上の断末魔を見届けたようにな。


 無表情で阿波野はくうをあおぐ。

 所詮は戯れ言でしかない、と心で言い聞かせながら。


 日清戦争まで、あと数月ーー。




 第扒話・終















































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