第陸話・呪詛

「ところで…様々な書物を読んでいるようだが」

 突如訪れた父を部屋に通し、暫し雑談に応じていたギョヌだが、日本のものも含む本の件に触れられ、言葉を濁す。普段から見えづらい場所に隠していたつもりであったが気を抜く時もあり。失態であった、と。

「単に、異国のものも含む色々な本を読みたかったからです」

「そうか?倭国の書物もあるようだが他意はないのだな」

 父はいつになく、色々と探ってきているように感じる。いつもと変わらぬ穏やかな表情が、逆に物々しさを醸し出しているようだ。

「余計な考えをやめて、家督を継ぐことだけを考えよ」

「……」

「あと、忘れるところだった。そなたに縁談の話が来ているのだよ。両班の子息がふらふらと独り身でいるのは締まりがない…」

「父上、」


 言う機会をずっとうかがってはいたが、頃合いか。

 否、遅すぎたかも知れぬが…。


 すっと顔をあげ、相も変わらず優しげな表情で己を眺める父を見据えながら。

 自分は、ここから独立して来日したい。家は妹婿にでも任せて欲しい旨を単刀直入に言いはなった。

「ほう。何故に?」

 ここでついに、父の眉が少し寄ったように見えたが、怯んではならぬと話を続けようとギョヌ。だが、すかさず父に遮られた。

「倭国の女子おなごと付き合いがあるようだが、そのせいもあるのか?」

 図星を突かれ、更には。

「その娘に限らず倭国の者と付き合うのは、百害あって一利なし。数百年前の倭乱の変、近年では甲申事変を忘れたか?そんな忌まわしい国の血が、この由緒正しき家の人間に混ざるなど…」

 三鈴の事から国ぐるみの事にまで話を大きくしていく父。そんな彼に、ギョヌは初めて愚かさを感じた。こんな人だったであろうか?民を大切にし、自らも下女とねんごろとなり、その間の子である私も嫡子同然に育ててくれた。そんな父を自分は尊敬していた筈だった。

 だが、結局は父も同じだったということか?祖父母のように、周りの両班と同じように、儒教に名を借りた悪しき習わしや世襲とやらに、次第に毒されていったのか?


 ならば、私はもう耐えられぬ…。


「何故それを知っておられるか?」

 言いながら、かの写真を父に差し出すギョヌ。

「これに、何かなされたのですか?私が…何も気づいておらぬとでもお思いか?」

「なっ、そなた…」

 先程と一転。顔つきも物言いも険しくなっていく息子に、今度は父の方が狼狽し始めた。

 構わず、ギョヌは更に話を過去に遡らせて問い詰めていく。

 父の正妻の立て続けの流産・死産。辛うじて生まれた子も女児か、心が赤子のままの男児。更にそれ以前にも、ギョヌの実母が彼を産んで数月で亡くなっている。

「まぁ、継母上と妹のヨンミに対しては私も何の思い入れもなき故、どうなってもかまわぬが、私達の周りの者は何かしらの不運に見舞われますな。そう、まるで呪詛のようだ」


 父は顔をこわばらせ、絶句。

 この息子は知っていたのだ。私の所業を、全て。暫しの間の後、ようやく思い口を開く。

「これは…、全てお前のためだ。死相の出ているお前を救うために、その娘の生気を移す呪詛を依頼したのだ…」


 死相…。

 何となくわかっていた。以前から祖父母をはじめ、他の派閥の者にまで命を狙われることしばしば。武術を身に付けるきっかけの一つになったわけだが、それゆえに自分はそこまで長くは生きないだろうと。

『死が怖くない』と言えば嘘になる。しかし、長く生きる事も必ずや幸福か?まして情人の犠牲に成り立つ生など、幸福な筈もない。


「では、何故彼女なんです?私から彼女を奪う事が、『私のため』なのですか?」

「…何故そこまで肩入れするのだ」

「質問に質問で返さないで頂きたいが。細かく理由を語る必要がありますか?単純なものですよ。『好き』だからです」

「……」

 この父こそ、かつてはギョヌの母親に盲目となっていた筈である。しかしどういうわけか、ギョヌも同じような道を辿ろうとしている。彼には今の今まで、庶子ゆえに肩身の狭い思いをさせてしまったため、これからは何の不自由もなく平穏無事に生きて欲しかった。それが、かつて愛した女人の願いでもあったのだ。

 だが、彼は自ら足を踏み入れようとしている。自由に名を借りた、煉獄に。


「とにかく、三鈴の呪いを解いて下さい。ついでに継母上ははうえのもね。子を成すような歳でもなくなっただろうし、もう良いのでは?」

 ギョヌは目の前の父を、蔑むように哀れむように笑う。

「妻はともかく、その娘はだめだ。お前の命がかかっているのだ」

「父上ッ!!」

 家中に響くような怒号を突如上げるギョヌに、父はおろか、外にいた使用人までも驚愕していた。が、使用人達は慣れているのか「若様も怒ると怖いからな…」と呟きながら黙々と作業を続ける。

「何故他人ばかりを犠牲にするのです。自分を差し出そうという思いは少しも無いのですか?」

 その顔、眼光は鋭く。いつの間にか、ギョヌの手には刀が握られている。

「ならば私は、父上…貴方のお命を頂戴しとうございます」

 鞘から抜かれた刃が、禍々しく光る。父には最早ぐうの音も出ず。

「後悔は、しないな?」

 この息子も、私と同じ業を背負う事になるのか…。想い人の為なら手段を選ばない。故に無用の災いを招く。

 顔立ちもさながら、性格もやはり似ている。やはりまごうことなく私の子だと、改めて痛感する父であった。





 数週間程経ち。三鈴の病状は落ち着いていた。

 血痰が出る程に強く出ていた咳も治まり、熱もひいていた。

 久々にギョヌと外に出て話が出来るようになり、彼女の表情も安堵と嬉しさが滲み出ている。楽しげに歌をも口ずさんでいた。


 見渡せば 寄せてきた

 敵の大軍 面白や

 すはや戦闘たたかい始まるぞ

 いでや人々 攻め崩せ

 弾丸込めて 撃ち倒せ

 敵の大軍 撃ち崩せ


「これも、日本の歌か?」

「ええ、…軍歌ですけどね。うちの近所の子がよく歌ってるんです」

「ふむ…」

 歌も機嫌よく歌える程に回復した三鈴。しかしそれは一時的なもので。

 あの後に、怒りにまかせて父を引っ張り呪術師の元へ訪れた際に、言われた非情な言葉。

「呪いは解きましょう。されど、病と呪いは別物。一度冒された肺は治癒することはありません。私の呪詛により、それが早まったに過ぎませぬ」


 そうとは知らずにいる三鈴を眺めて、ギョヌは事実を告げられず途方にくれる。

(人の生気を吸い取ることは出来ても、病まで治せぬとは。随分と身勝手な呪詛だな…)

「お店、また始めたようだな。帰りに寄っていくよ」

「はいご贔屓に。お父ちゃんも落ち着いたみたいで、またお菓子を拵えてますよ。だけど…私に店番をさせてくれないんです」

 やはり自分の病のせいなんだと納得はしているが、それでも少し落ち込むようだ。

「父ちゃんは、もう少し落ち着いてからにしろと言ってくれるけど、母ちゃんが…。店のものに限らずあれに触るなこれに触るなって、キリキリしていて…」

「……」

 先日に、三鈴を連れて行っても良いなどと、娘を突き放すような言葉を自分に漏らした母親。詳しい事情は語られずとも、病の事もあってか関係が宜しくないのは明確である。

 想い人とはいえ、他所の家の事情に口を挟むのは憚られる。しかし、このままでは皆が酷であろう。


 と、背後から石が飛んでくる。

 とっさに三鈴の頭を押さえ込み、伏せたお陰で命中せずに済んだが。随分とこの土地の連中は投石が好きなようだ。

「石?な、何で…」

「顔を上げるな、当たるぞ」

 既に刀を構えながら、ギョヌは立ち上がる。


 あれ以来、彼は多方面より命を狙われることが増えた。

 悪習を咎められた事を逆恨みする民衆。

 継母の実家から仕向けられた刺客。

 果ては、土地に駐在する清朝の軍人にまで。

 その都度返り討ちにし、最悪相手の首まで斬り捨てる事もあり。

 元々は頑健な体を持つも、次第に疲労が見えてきていた。


 俺はこのまま弱っていくのか…?とはいえ、少しのんびりし過ぎたかも知れぬ。

 振り向くと、然程多くはないが竹槍や農具を構えた民衆。尚、今回は仏教や儒教でもない宗教の信者のような連中もいるようだ。

(東学党か?それにしては…)


「いっ!?」

 不意に耳に入る、三鈴の悲鳴。

 先程まで二人で座っていたベンチの影に身を隠していた三鈴の着物の襟足を掴み、引摺り出そうとする若い女が出てきた。

「この豚足娘が!あんたも見せしめだよ」

 言いながら石を振り上げてきた。が、直ぐ様その手は血を吹き出しながらごろり、と落ちた。返り血が三鈴にふりかかる。

 辺りにつんざく女の悲鳴。呆然とその血を見つめる三鈴。

 その傍らにて。

「来い!貴様ら全員の四肢を斬り刻んでやる!!」

 今し方、女の手を斬り捨てた血濡れ刀を民衆に向けながら、ギョヌが恫喝していた。


 彼には今までのような遠慮は、もう無かった。

 どっと押し寄せる群衆を文字通りに切り刻み、倒れてもなお、足にしがみつく人間を串刺しにする。刀一本では追い付かず、拳銃をも取り出し老若男女問わずに発砲。

「えいっ。あ、あっち行けっ!」

 三鈴が石を投げ返し非力ながら応戦する。が、素人が下手に攻撃するなとギョヌに遮られる。


 …私は本当に、何も出来やしないんだ。

 三鈴はもどかしかった。


「静まれ!」

 日本語である。カチャカチャ、と次々に銃を構える音が聞こえる。実に良きタイミングと言おうか。日本軍が集まってきた。

「ギョヌ…」

 軍の中には阿波野もいた。他の軍人共々に小銃を構えている。

「前にもこのような案件があったが、あくまでここは日本の管轄下だ。またもや暴動を起こし町を脅かすならば、この場で射殺する!まして、いくら相手が腕の立つ者とは言え、多勢に無勢とは、卑怯ではあるまいか!?」

 朝鮮語の堪能な上層の軍人が言い放つ。民衆側は軽装備、向こうは新式の小銃。明らかに形勢は不利である。

「早いとこ終わってくれんかね、面倒くせえ…」

 ぼそりと愚痴る阿波野にすかさず松野が肘鉄を食らわせていた。

 確かに此方の分が悪すぎる…、と、忌々しげではあるが、その場で散り散りになる民衆。一度こういった事態となると、なかなかおさまりが効かなくなるのだが、今回はやけに素直である。

「何か、あいつら薄気味悪りぃな…」

 阿波野がまたも呟く。

 彼らがいわゆる新興宗教の一派であることに、暫し時間がかかった。

「感謝いたします…」

 ギョヌが民衆を一括した大尉と呼ばれる壮年の軍人に深々と礼を述べ、三鈴も焦って頭を下げた。





 世の中の動きに疎いとはいえ、ただ事ではないことはわかる。でも私には何一つ出来ないなんて。

 もっとも女の力は弱いし、戦う事は無理でも他に出来ることはある筈なのに、私はとことん役立たず。

 おまけに労咳にかかったせいで店番も止められて、家族にご飯を作ることも許されず。今の私は何のためにいるんだろう?母ちゃんの風当たりもどんどんきつくなっていくし、父ちゃんとの喧嘩も絶えないようだ。

 若様も、きっと日本人の私と関わったばかりに売国奴扱いされて、あのように命を狙われているんだ。


 私は、疫病神だ。

 周りを不幸にする、疫病神だ。


 軍部での事情聴取が終わり、二人で帰路につく途中にて。

「ねえ、若様」

「何だ?」

「ごめんなさい…。私、やっぱり…」


 ……トッキ?


 ギョヌはその場で無表情のまま固まった。

 そこから少し離れた呉服屋の看板に隠れ、二人を眺める阿波野もいた。

「…ふうん」





 第陸話・終。





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