第弐話 貴族

※話の演出上、一部差別的な用語や表現がありますが、決して助長する意図はないのでご了承下されば幸いです。



ーーーーー


「あらま、この方良いわねえ。グッとくるわぁ」

写真屋にて。店主の少々風変りな男が、三鈴の方はそっちのけで、ギョヌの姿をまじまじと上から下へと見下ろしている。

「日本の華族にすらいない、稀にみる貴公子ねえ」

「いいから早く始めなって」

 絶賛し続けてなかなか撮影を始めない店主に、阿波野は流石に苛立ってきたようで。ぶっきらぼうに呟きながら煙草に火をつけようとマッチを取り出す。だがすぐに。

「こら、煙草吸わないッ!」

煙が写真の妨げになると店主に一喝され、はいはいと懐にしまう。

「では、あちらのお部屋へどうぞ。あ、でもお天気が良いから外も良いわねえ」

 結局屋外での撮影となり、手入れの行き届いた中庭へと通される。そこには既に花が散ってしまったが、しっかりと根を張った見事な桜の木が佇んでいた。

「桜の季節は過ぎたしねえ。惜しいわぁもっと映えたはずよ」

その下に、二人の若い男女を並ばせる。

「こら軍人さん、あんた見切れてるわよ!」

「お嬢ちゃん、もう少し笑って。表情固すぎッ」

 やたら賑やかな店主のリードで、ようやく撮り終えることが出来た。彼も己の作品に満足したようで、うんうんと頷きながら満面の笑みである。

 尚、写真はより良く撮るための練習の為という前提であったものだが、思う以上に良い出来映えだからと、宣伝用として店頭に貼ろうと言い出す始末。恥ずかしいからやめて、と三鈴が訴えに訴え、渋々ながら了承してくれた。

「しょうがないわね。でも良い勉強になったわ。現像したらお届けするわね」

「ところで写真屋」

 上機嫌に片付けをする店主に、ようやく本題に入れると阿波野が呼びかけた。

「…わかってる。国の雲行きが怪しいことくらい。本気でまずくなったら考えるわ。でもギリギリまでここで撮り続けたいの」

「そうか」

これ以上、阿波野は何も言えなかった。


 遅かれ早かれ、いずれここは激戦の地となるであろう。陸続きの清国はあくまでこの国を属国と考えている。対して祖国の日本は、維新後より富国強兵を掲げる上に他国からの侵略を恐れ、本土になだれ込む通り道となるであろうこの国を統制することを考えている。

 そして、この国の内情も、実に脆い…。





 春もやがて終わり、初夏の気配が漂ってきている。

 ギョヌは久しぶりに実家を訪れていた。父の別宅にて僅かな使用人と共に暮らす彼。この邸宅の方が役所に勤めやすいというのが理由であった。

 表向きではあるが。

「またあの不条理な祭事を止めさせたようだな」

 目の前には、ギョヌに顔立ちのよく似た聡明そうな中年の男の姿。彼に向き合い座るギョヌは静かに頷く。

「はい、父上アボジの行ってこられた通りに」

 とうに成人している息子だが、こうしてこの父と酒を酌み交わす日はいつぶりであろうか、と感慨に耽るも、直ぐ様仕事の話をつい持ち出してしまう父。

「それは良かった。だが、制し方が少々手荒いという話も聞いておるぞ」

「…それは、こちらの話を全く聞かずに詰め寄られたせいです」

「……」


 この地の悪習、と言おうか。白丁ペクチョンと呼ばれる貧困層の間で、とある舞が定期的に行われていた。それも普通の舞ではない。生まれつきの体が不自由な者、ハンセン病等の病に侵される者の動きを真似たものであり、不揃いな打楽器の音と共に舞い踊るものであった。

病身舞ピョンシンチム』と呼ばれるそれである。ちなみに両班を皮肉ったものという説もある。各地で繰り広げられていた舞だが、郡守であるギョヌの父の管轄する先々で禁じられていた。

 先日も桁ましい音や奇声をあげながら、奇怪な舞を振り撒く民衆を、町の見回りに出向いていたギョヌと数人の同僚がそれを諌めたばかりであった。しかし聞き入れるどころか、

「あんたら両班だろう?いつもわしらから金銭を搾取して偉ぶるだけだ。さぞや楽しかろうな!」

 罵声をあげながら二、三人ほどの男が殴りかかってきたために、役人の皆で抑え込み始めた次第である。

 そして一人の男がギョヌの胸ぐらを掴んだ。その次に、男の視界がぐるりと回り、気がつくと体を地面に強く叩き付けられ、鳩尾を踵で圧迫されていた。

 グアッ、と声を漏らし悶絶する男。その時更に鈍い銃声が辺りに轟く。男が見上げると、小銃を空に向けているギョヌの姿。銃口から煙がもやもやとわいている。

「警告はした。かたわ者を笑う祭などもっての他!次は威嚇では済まさぬぞ!!」

 民衆を睨みつけながら、直ぐ様止めるよう怒声を上げる。その姿に大半は怯んだが、武官服で仁王立ちのような体勢のギョヌに更に激昂し、打楽器の鈸やらを投げ付ける者がいた。

 四、五発また銃声を鳴らした。今度は肩や脚に被弾した者がいたが、最早お構い無しである。

「こやつらを捕らえよ」

「はっ」

 無表情で民衆を眺めるギョヌ。部下の者達にも戦慄がはしったようで、無言のまま民衆に縄をかけた。


「ギョヌよ、仕事に一生懸命なのは良いことだ。しかし、あまりに抑え込む真似をすれば、民の心が離れてしまうぞ」

「わかっています」

「そなたは昔から口より手の方が先に出る癖がある。地頭は良いのだからそれで損をせぬように。我が家の大事な跡取りなのだから」

「……」


 …私は家系を継ぐ権限など本来はないはずなのに。

 本来ならば蔑まれる身の上であるのに、この父上は何を思ったか、法を無視して嫡子同然に育ててくれた。有難い事ではある。無論私についてくれる味方もいたが、それ以上に良く思わぬ輩は沢山いて。散々な嫌がらせにあってきた。口で色々言い返しても話の通じぬ者ばかりであるから、つい手が飛ぶようになってしまったのだ。


「あら、ギョヌ殿来てたのー?」

「…見ればわかるだろ」

 自室の縁側にて一人で飲み直すギョヌの耳に、一人の女人の声が入る。彼の異母妹、ヨンミである。

「父上と酒を飲みに来ただけだ。明日には帰る」

「『父上』ですって?『旦那様』ではなくて?」

「…うるさいな」

「えーだって、ギョヌ殿は私のお母様の子ではないでしょ?貧乏な使用人との」

「黙れ!!」

 先程から不躾な文言ばかり述べるヨンミに、思い切り徳利とっくりを投げ付ける。見事に顔面に命中し、割れこそはしなかったが、液体が弾けた。

「ひゃっ!?何をするの、庶子のくせに」

 ヨンミが更に畳み掛けたため、今度は足蹴が鳩尾目掛けて飛ぶ。後ろに転げまわり、傍に置いていた樽に頭を少し打つ。

「ゲホッ…いっ、たぁ~。無礼もの、女子おなごにこんな仕打ちを」

「お前の無礼の方が先だ。ああ、酒が一気に不味くなった」

 これまた見事に身体のツボに命中し、むせ返るヨンミ。それに構わずとどめと言わんばかりに、ギョヌはつまみの入った皿を地面に投げ付けてその場を後にした。


 妹のヨンミは明るく無邪気で、恐ろしく無神経な女。そしてその下の、まだ幼き弟は…。

 ぺちぺちと、鈍い音が聞こえる。拍手の音に似てるといえばそれかも知れない。だが、普通の拍手の音ではない。

「アハッ、アハハッ」

 何に笑っているのか知らぬが、とにかく満面の笑みで手を打つ少年。拍手の主はこの子である。手のひら同士、打っているのではない。手の甲を合わせているのだ。

『裏拍手』

 日本でも忌み嫌われる、悪い気を呼ぶという禁断の拍手である。

「ウソク、止めよ」

 静かにギョヌが制するも、止めるどころか更に興奮して打つ力を強める。そして早くなる。

「やめろ!これ!!」

「お坊ちゃま!?」

 ギョヌの怒声に使用人の男が駆け寄ってくる。

「これはどういう事だ?誰が教えた!?」

「私は存じません。つい最近から始まった事なのです」

 困惑する二人の男に構わずけらけらと笑ったままの少年。もう寝ましょう、と使用人に促され、ぺちぺちという音と共に去っていく。

 本来ならば、彼が跡取りの嫡子である。だがあのように心に障害を持ったまま生を受けてしまった。

 非嫡子であるはずのギョヌが次期当主となってしまった要因がこれである。妹のヨンミに婿をとり、その男を当主にという話もあったが、父がそれを渋っているのだ。もっともギョヌはそれでも良かった。家に執着する気がほとんどなかったのだ。

 それよりもいっそ家を離れて、もう少し広い世界が見たいと思っていた。


 ギョヌの一人酒を邪魔をしたヨンミもとうに退散し、漸く自室に入れた。既に布団が敷いてある。

 懐から一枚の紙を取り出す。先日、倭人街の風変わりな写真屋が無料で撮影してくれた、和服姿の三鈴との写真である。

 この時代の写真はセピア色ではあったが、彼女の可愛らしさはそのままに写っている。

 そっと、口元に近付ける。

「トッキや」

 ぽつりと呟く。

「そなたの国は、桜がとても綺麗だそうだな…。来年にでも、一緒に見に行きたい」

 虚ろな眼になっていく。流石に眠くなってきたようだ。

 寝具に横たわり、そのまま眠りにつくギョヌ。


 遠くから微かにヨンミの姦しい声が聞こえた気がしたが、聞こえぬふりをした。



 第弐話・終












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