第参話・写真

「この写真、どう説明するんだ」

 正座させられる三鈴に向かい合い、腕組みをしながら問いただす父。まるで尋問みたいだと少しムッとしつつも、別に悪いことをしていないのだからと心で言い聞かせ、目の前に置かれた件の写真について、三鈴は渋々と話し始める。

「この人、時々来るお客さんなの知ってるよね?この前軽くお話ししてたら写真屋のおじさんが…」

 それでも、何故この男と一緒に写る必要があるのか、この男は何者か、どんな生業をしているのか、そもそも何故三鈴と接触しているのか、等々。父から延々と問われる羽目になっていた。


(あのオトコおばさん、よりによって私の留守中にお父ちゃんに手渡しするなんて)

 いい加減うんざり気味の三鈴であったが、ようやく父があることを思い出したようだ。

「ああ!ここでの買い物ついでに殺鼠剤を探していた人だな」

「…そ、そうよその人!」

「ああ、それだ。お前、漢字も朝鮮語も知らんもんだから、四苦八苦していたな」

 それがギョヌとの出会いであった。そろそろ店じまいかという頃に、ふらりと立ち寄ってきたのた。父母は他の応対に忙しなく動いていたので、三鈴がたどたどしく接客していたのであった。


「桜餅が四つ。あとは、どら焼き二つ、ですね」

その頃のギョヌ自身も殆ど日本語を知らなかったためか、身振り手振りで品物を買い求め、会計を済ませたまでは良かった。ところが次に懐から紙と墨汁入りの筆を取りだし、何やら絵を描き出す。少し歪なねずみの姿が出来上がる。

「ええと、これはねずみですか?」

何を言いたいのだろうと顔を傾げる三鈴。構わず今度は文字を一つ書く。『殺』という物騒な一文字であったが、文盲の三鈴には分からず。すると何を思ったか、ギョヌは懐から護身用の小刀を取りだし、絵のねずみに突き立てたのだ。

「ヒッ、あぶな…!」

三鈴の悲鳴に父も思わず振り向き、何だ何だとどかどか足音を鳴らしやってくる。

「お客さん、何のつもりで…!」

怒声を上げる父に、ギョヌは流石に焦ったのか、素早く手の小刀を筆に持ち変えると、『殺』の字の横に『薬』と書いた。


「ねずみ…殺す…薬…?」

つまりは、殺鼠剤かな?


「ああ、殺鼠剤ですか!ならこちらにはございませんので」

父が拙い朝鮮語を使い、斜め向こう側の商店を指差しながら、三鈴に案内するよう促した。


「こちらは、かなり強力なお薬ですので、滅多な事では使用なさらないで下さいね」

朝鮮語の堪能な雑貨屋の店主より取り扱いを教わり、ギョヌも納得したようである。そのまま会計を済まして二人は店を後にする。

「では、私もこれで。今日はお買い上げありがとうございました」

どうにか終わった、と三鈴も安堵し改めて礼をした。ギョヌも穏やかな笑みを向け、不思議な発音で「アリガトウ」と日本語で返し、去っていったのである。



「まぁ、少々ぶっ飛んだ面もあるようだが、見ている分には礼儀正しいし、悪者ではなさそうだな…。で、どういった関係なんだ」

「だから、お友達よ。それ以上も以下もないよ」

ここまで話しておいてまた振り出しに戻るのかと、三鈴が更にげんなりとしている所に。響き渡るは女の甲高い声。

「あんた、もうそこまでにしなっ」

母が部屋に押し掛けてきた。店が混んできたから早く来いと、父を引っ張ってゆく。

ああ、お母ちゃんありがとう、と一人部屋に残された三鈴は、おもむろに目の前の写真を手に取る。

「お友達以上も以下もない、か。この前初めて口を重ねてしまったけど…やっぱりその位の仲でいなくちゃ駄目だよね」

今までの様に共に遊んでいる分には良いが、立場が違いすぎて将来を考えられる人ではない。三鈴もそれを理解はしているつもりだ。


しかし、やはり虚しかった。


「あたしはあの人との交際は賛成だけどね。何やかんやで三鈴も年頃だし、玉の輿にでも乗ってくれればいいわ」

「簡単に言うんじゃねえ。あちら様は日本で言う、華族か上級士族の身分だぞ。おまけに言葉や風習に壁があると来ちゃあ、お先が真っ暗だ」

「じゃあ何だって異国に住もうと思ったんだか。じゃ、阿波野さんは?たまに見回りに来るあの軍人さんも、年も離れ過ぎてなくて良いじゃないの?」

「まぁ、あいつは下っぱ士族の出で、わしらと大して暮らしぶりは変わらんようだが、いささかチャラチャラして見えるのがなぁ」

「ああ、この際誰でも良いから、さっさとあの子をもらってくれる人はいないかしら」

「……」

「ほんと、いい加減にいらいらするわ」

客もいなくなり、一段落ついたところに父母の間でこのような会話がなされたが、最後の母の声は小さかったためか、父には聞こえていないようだった。

その代わり、たまたま近くを巡回中に、思わず立ち聞きをしてしまった阿波野には一連の会話が丸聞こえであった。

「下っぱ…チャラチャラ…。呼んだ?」




「して郡守様、本日はどのようなお悩みで」

様々な草木が生い茂る、高台に位置する一軒の古びた家屋。それにやや不釣り合いな、様々な装飾が成されている中の小部屋にて、二人の中年の男と老婆が向かい合う。

「ああ、息子の件で参った。先日部屋でこれを見つけてな」

郡守と呼ばれた男、まさにギョヌの父である。一枚の写真を差し出す。件の二人が写るそれである。

たまたま用件があり、ギョヌの住む別宅を訪ねた際に、彼の机に『脱亜論』と書かれた文書をはじめとする、複数の日本語で書かれた本や、仮名の練習の跡。

そして。本の間に挟まれていた写真。見慣れた姿の息子の隣に佇む、和服の娘に驚きを隠せず。

 最早敵国と言えよう倭国の者と何故接点があるのか、今後の息子の行く末に不安がつのる。故に彼に悪いが留守中にこっそり持ち出してきたので、霊視で何か分かることがあれば教えて欲しいと、昔から頼りとしてきたこの霊媒師の館を頼ってきたのである。

「なにゆえ直にご子息様にお聞きになられなかったのですか?」

「あやつは誰に似たのか、なかなか頑固で自分の心の内を明かさぬ。下手に問い詰めても余計に角が立つだけだからな。それに、妙な胸騒ぎがするのだ…」

 一通り話を聞き終えた霊媒師の男は何を思ったか、ふっと笑みをこぼす。

「貴方自身、御屋敷の使用人の女と道ならぬ恋に墜ちた経験がおありなわけですが。そうして交わって出来たお子がギョヌ殿…。

因果、というものですかねえ」

「……」

「では、拝見致しましょう」

 男は差し出された写真をじっくり見やると、これまたゆっくりと手をかざした。





 明くる日の夕方。街から少し離れた草原にて。海が綺麗に見れる絶景の地にかの男女はいた。

 ギョヌとの逢瀬にはしゃぐ三鈴であった。が、何処かしら空元気な様子をギョヌは見逃さなかった。ふっと表情が暗くなるのだ。

やはり、かの病が怖いのだろうか?あの時と同じ顔つきだと勘繰る。

「なぁトッキ、ここに座ろウか」

 大木の下に二人で腰を掛ける。風は柔らかいが、夏が近づいているせいか気温がやや高めで、二人とも少し汗ばんでいた。

「やだ、私そんなに表情暗かったですか?」

 雑談をする中で、何かあったのか問いかけるも、別に何もないですけど、とはぐらかされる。病の事が不安なのかと聞いても、それもないと否定される。あまりしつこく聞くのも良くないか、とギョヌは話題を変えてみる。

「そうか。ところで…この海を越えると、日本に行けるんだな」

「……ええ」

「…なぁ、トッキや」

 不意に、三鈴の手を握る。この暑さのせいか、熱い。

「出来れば、お前とこれからも一緒にいたい、なんて思っては駄目か?」

「……若様?」

 ああ、言ってしまった。しかしあとには引けまい。

「お前と、日本で暮らしたい」

「……」

 三鈴は動揺を隠せない。

 駄目だ。どう考えても無理な話だ。だって彼は、名家の跡取り。私は異国のしがない平民の娘…。両親、特にお父ちゃんが許さない。若様のお家でも、それ以上に嫌がるだろう…。

「だ、め…若様。だめ、だから」

 気がつくと三鈴の大きめの眼から、ポロポロと滴。ギョヌはすかさず自分の腕に彼女をおさめる。

「私とて手ぶらで行こうなど考えていない。あの日本軍人と相談して、水面下で準備をしている。それでも駄目か?」

「そんな簡単に決めちゃダメに決まってるじゃないですか!馬鹿でしょ!」

 ギョヌの胸にドン、と三鈴の小さな拳が一つ当たる振動を感じる。しかし、その仕草が、ギョヌの嗜虐心も含まれた黒い感情・情欲に火をつける事になる。


 何かが、ギョヌの中で壊れた。辛うじて保っていた理性は境界を越え、野性が出てきてしまったのだ。


 気がつくと、三鈴を雑草の生えた地面に押し付け、彼女の口を己のそれでふさいでいた。

 同時に常に頭にかぶっていた黒帽を素早く取り、投げ飛ばす。少し風に吹かれて飛ぶが、やがて地面にぼとりと落ちる。

 欲望のままに、三鈴を貪る。唇だけでは到底足らず、着物を剥ぎ取り、首や耳に容赦なく舌や唇を這わせ、やがては大きめの乳房を露にする。

「すまないな、三鈴。お前を私にくれ…」

「い、やだ、…」

少しだけ三鈴は抵抗する。が、次第に力が入らなくなる。乳房に触れるギョヌの指が、悔しいかな心地がよい。ここが彼女の好いところなのだろうか。

 誰もいない人里離れた夕方にて。二人は交わり続けた。






「郡守さま、呪術を終わりました。本当にこれで宜しいのですね?」

 件の霊媒師の男はとある儀式を終え、汗をぬぐっている。

「ああ、息子を、この家を守るためだ。この倭国の娘には犠牲になって貰わねば」

「はい。まさかギョヌ殿に死相が見えてきたとは私も予想だにしておりませんでした…。あの娘の生気を彼に移す呪術は少し骨が折れましたが。次第に効果が出るでしょう」

 ご苦労であった、と郡守は大金を手渡す。


「ミミよ、お前との大事な息子だ。私が必ず守る」

 郡守は切なそうに、それでいて一仕事終えたような安堵の表情で呟いた。



第参話・終








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桜兎(さくらうさぎ)・明治悲運奇譚 瑠花 @aitomi

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