第2話

 数日後、今度は竹田が面談に呼ばれた。


「怒られたら素直に謝ってくるわ。頭下げときゃ、怒鳴り声は頭の上を素通りしていくって言うしさ」


 竹田は、なぜか合掌してからパチキンの待つ教室へと入っていった。悟りの心境を表現したかったのだろうか。


 松下のときと同じく、二十分ほどで竹田は戻ってきた。これも松下と同じく、困惑した表情を浮かべている。


「なんか、応援するぞーって言われた」

「意味わかんない。何を応援するのよ?」

「パチキン、いきなりオリンピックの話をしだしてさ。グシケンとかモリスエとか熱く語りはじめてさ」

「それで?」

「俺、体操部だろ。オリンピックでメダル取ったらヒーローになれるぞって」

「うわあ」

「すげえ発想だな」

「あと、消防士やレスキュー隊員なんかもヒーローといえるかな、みたいな」

「ヒーローを本気にしたのか」


 俺と松下は思わず笑ったが、竹田は迷惑そうだ。


「笑い事じゃないって。大学のスポーツ特待生を狙ってみるかって話まで出たんだぞ。俺、体操に命賭けたいわけじゃないから」


 竹田は中学のときから体操部である。だが動機はバク転とバク宙に憧れただけだ。中三で両方ともできるようになったので、高校では名前だけの部員なのである。


 それにしても、パチキンの思い込みは恐ろしい。ジョークは通用しないのだ。


 とはいえ、さすがに魔術師になれ応援するぞ、とは言わないだろう。

 まあ、自分がいた種だ。悪ノリしたこちらに非がある。


 おとなしく謝ろう。俺はそう思っていた。






 それから数日後、ついに俺の順番が巡ってきた。


「入りまーす」


 俺は動揺を隠し、なるべく普段通りを装って教室に入った。


「おーう。じゃ、そこ座ってくれ」


 パチキンが軽く右手を挙げて応える。


 パチキンは中央一番手前、教壇に一番近い生徒の席に座っていた。

 向かい合う形で、もう一つ机が並べられていた。パチキンが座る机には、数枚の資料が置かれている。俺は向かいの席に座った。


「えっと……」

「おーし、今日は梅本だな」


 まずい、俺とパチキンの声がタイミング悪く重なってしまった。先制してさっさと謝罪する作戦は失敗だ。


「じゃ始めようか。ん-と、梅本は魔術師だったよな」

「あの……」

「どんな魔術師になりたいんだ?」

「え?」


 顔色も変えずに放たれたパチキンのファーストクエスチョンに、俺は固まった。


 パチキンよ、なにを言ってるんだ?

 ここは、もうちょっと真面目に考えろとか、そういう説教をすべきところだろ?

 どんな魔術師って、なんなんだその質問は?


「ほら。魔術師にも、いろいろあるだろ」

「ええっと……」


 もしかしてパチキンは、アニメやゲームの隠れオタクなのか?

 ここで炎の魔術師とか闇の魔術師とか、そういうことを俺に答えさせたいのか?

 あるいはもっとディープに、なりたいのは魔術師か錬金術師か呪術師か召喚師のどれなんだ? という意味なのか?

 いずれにしても、パチキン、あんたちょっとおかしいよ?


 なんとも返事ができずにいると、パチキンは続けた。


「いやあ、俺も魔術師志望って初めてでさ、連休中に調べてみたんだよ。そこそこ、あるんだな」


 いや、ないだろ。

 魔術師なんて職業、あるわけないだろ。


 なあパチキン、早く気付いてくれ。俺はただその場のノリで、なんとなく魔術師と書いただけなんだよ。そんなに真剣にならないでくれよ。頼むよ。


 そんな俺の心の叫びもむなしく、パチキンはどんどん話を進めていく。


「俺が子供のころ、プロ野球の読売ジャイアンツに、ものすごく守備の上手い選手がいたんだ。その選手が『塀際へいぎわの魔術師』って呼ばれてたのを思い出してな」


 これは……非常に危険だ。

 竹田のオリンピックと同じルートのような気がする。


「サッカーでは、テクニックが素晴らしい選手を魔術師と呼ぶらしい。バレーボールの『東洋の魔女』は聞いたことあるだろう。女子だから魔女だけど、同じことだよな。スポーツ系は多いようだ」


「あ、いやその……」


「芸術関係も多いぞ。有名な画家のレンブラントは、『光と影の魔術師』の異名を取ったらしい」


 それからしばらく、魔術師と呼ばれた人物たちについて、パチキンは目をキラキラさせて俺に語った。最後にパチキン自作の、魔術師と呼ばれた人物一覧(机に置いてあった資料の正体はこれだった)を俺は手渡され、面談は終わった。


 教室から出ると、松下と竹田が待ってくれていた。


 俺の話を聞いて、二人は爆笑する。


「すげえ。さすがパチキンだわ」


 三人でひとしきり笑った後、松下がつぶやいた。


「でも、パチキンってさ、なんか良い先生だよね」


 俺と竹田は同時に頷く。その点については、異論はなかった。


 そんなパチキンだったが、俺たちが関わったのは一年限りだった。

 翌年には他校へ異動となり、それきり会う機会もなくなってしまったのである。






 俺たちが高校を卒業して、二十年になる。


 松下は去年、親父さんの後を継いで町工場の社長になった。

 従業員は自分も含めてわずか五人。腕利きのベテラン職人さんにはどうやっても頭が上がらないとぼやくが、それでも社長は社長だ。


 竹田は東京で、スタントマンになった。体操部だったおかげで、バク転の姿勢がきれいだと評価され、なんとかやっていけてるらしい。

 子供向けのヒーローショーの仕事もあるという。下っ端のやられ役もあるが、何回かに一回はヒーロー役もやらせてもらえるというから、曲がりなりにもヒーローになったと言えなくもない。


 俺は大学を出た後いったん東京で就職したものの、東京生活がどうも合わず、数年で地元に帰ってきた。

 どうしようかと思っていたところ、よく通っていたバイク店の店長に誘われ、そこに就職して今に至る。

 バイクは俺の一番の趣味だ。一日中バイクをいじったり、お客さんとバイクの話をしたり、楽しくてしょうがない。まさに趣味と実益を兼ねた仕事なのである。

 スクラップ寸前のスクーターを修理して生き返らせたことが何度かあり、それ以来、常連さんからは『原付の魔術師』などと呼ばれている。なかなかいい称号だ。






 竹田が東京へ戻る前日、俺たちは三人そろってパチキンの見舞いに行った。


 ナースセンターで部屋を聞いて尋ねたが、ベッドは空だった。通りかかった看護師さんに聞くと、昼間はたいていリハビリルームにいるという。なんでも早く退院したいからと、一日中、自主リハビリをやってるそうだ。

 病室にいるのは、医師の回診のときと寝るときだけらしい。あいかわらずのパチキンっぷりだ。


 一階のリハビリルームへ行ってみると、いた。

 髪は白くなり、昔より少し痩せていたが、間違いない。


 リハビリルームの掃き出し窓のわきに、待合室によくあるような長椅子型のビニールソファが置かれている。パチキンはそこに座って休憩していた。

 上下グレーのスウェットを着て、傍らに松葉杖を携えている。ギプス姿を想像していたが、すでに外れたらしい。


 俺たちは近付いて、声をかけた。


「坂本先生、お久しぶりでーす」

「骨折したんだって? なにやってんだよー」


 パチキンは最初けげんな顔をしていたが、すぐに驚いた表情に変わった。


「おおっ! おまえらかあ、久しぶりだなあ!」


「二十年ぶりだし、マスクしてるから俺たちが誰かわからんでしょ?」


 俺がそう言うと、パチキンはオーバーアクション気味に首をぶんぶんと横に振る。そして言った。


「教え子を忘れるわけないだろー。松下社長に、ヒーロー竹田に、魔術師の梅本!」


 名物教師パチキンは、あの頃とまったく同じように、顔をくしゃくしゃにして笑ったのだった。

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パチキン 旗尾 鉄 @hatao_iron

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