本編

(一)名寄市北国博物館

 ――ポーッ!(汽車の汽笛の音)

 大きな音で汽笛が鳴る。ぼくはこれが大好きだった。

 夏休みにお爺ちゃんのうちに帰省したら、必ずぼくはここに来る。

 北国博物館という名前らしいが、肝心の博物館には入ったことがない。

 青々とした広大な草っ原にそびえる、最高に格好いい真っ黒な蒸気機関車に、ぼくは夢中なのだった。

 石炭という燃料を入れていた釜を、しゃがんで観察していると、再び汽笛が鳴った。

 ――ポーッ!(汽車の汽笛の音)

 ぼくはびっくりして振り返る。ここには、ぼくしか居ないと思っていたから。

 サングラスの目と目が合った。ぼくと同じくらいの背丈の子どもが、にっこりと嬉しそうに笑った。

 もっとも、その子の顔面はサングラスとマスクで覆われ、大人用の大きな麦わら帽子を被っていたから影になり、ちゃんと表情は分からなかったのだけれど。頬の位置が上がったのが、笑ったように見えたんだ。

「ここ、楽しいよね」

 急に話しかけられて咄嗟に答えられない。

「ボク、ミントゥチ」

 聞き慣れない名前。日本の名前じゃないみたいな気がしたから、この奇妙な出で立ちにも納得がいった。ランニングシャツを長くしたような、ワンピースみたいなぞろっとした服を着ている。マスクから覗く顔色が少し濃いように見えるのも、外国人だからだろう。

「好きなように呼んでも、呼ばなくてもいいよ」

 そうしてまた、汽笛を鳴らす。(汽車の汽笛の音)

「ボクもここが大好きなんだ。SL排雪列車『キマロキ』っていうんだよ。機関車の『キ』、マックレー車の『マ』、ロータリー車の『ロ』、機関車の『キ』の順に連結された排雪用編成列車のかしら文字をとって、『キマロキ』っていうんだ」

 ミントゥチは得意げに話す。

「だけど田舎だから最近は誰も来なくなっちゃって、寂しかったんだ。ねえ、友だちになってくれる?」

 ぼくが頷くと、腕が差し出された。握手をしたのなんか、初めてだった。

「じゃあボク、やりたかったことがあるんだ。野球場には行ったことある? これからふたりで行ってみない?」

 付き添いで来てくれていたお爺ちゃんに尋ねると、のんびりした声が返る。

「爺ちゃんはゆっくり着いていくから、あんまり遠くまで行くんでないよ」


(二)名寄市営野球場

 ぼくらはだだっ広い、芝の敷かれた野球場にやってきた。ぼくは野球よりサッカーの方が好きだったから、野球場に来たのは初めてだった。

 マウンド、ベンチ、投光器なんかを興味深く見回す。ホームベースを踏んでみたりした。

「ここね、いつもお父さんと子どもがキャッチボールしてるんだ」

 ミントゥチが勝手知ったるようにベンチに入っていって、グローブとボールを取ってくる。

「キャッチボールはふたり居ないと出来ないでしょ? ボクひとりだったから、いつも羨ましいなあって眺めてたんだ」

 グローブがひとつ差し出される。

「いつかボクも、キャッチボールするのが夢だったんだ。一緒にやってくれる?」

 グローブを受け取って、指を入れるところが分からず苦労してつけ、構える。ミントゥチは少し離れて、手を振った。

「行くよ!」

 緩く弧を描いてボールが飛んできて、グローブに収まる。パシン! という小気味のいい音がした。(ボールを取る音)

 ぼくも投げ返して、何回か繰り返す。ボールがグローブに収まる、音と衝撃が気持ちよかった。(数回、ボールを投げたり取ったりする音)

 でも初めてだったから、ぼくは大きく目標をそらす。

「わっ」

 ミントゥチはそれでも、楽しそうだった。ごめん、と謝ると、ミントゥチは笑いながらボールを追いかけていく。

「ボール、取ってくるねー」(走って行く音)

 そこへ、お爺ちゃんが追いついてきた。

「何をやっとる?」

 キャッチボールだと答えると、お爺ちゃんは不思議そうな顔をした。

「キャッチボールは、ひとりじゃ出来ないだろう。友だちが出来た? その子は何処だい?」

 さっきまで居たはずのミントゥチは、もう野球場の何処にも居なかった。戻っても来ない。

 ぼくが暴投したボールが、ゆっくりと転がって壁にコツンと当たるところだけが遠くに見えた。


(三)パークゴルフ場

 ミントゥチが居なくなってしまったことが悲しくて、ちょっと肩を落としながらお爺ちゃんの後ろを着いて歩いていると、不意に隣にミントゥチが並んだ。

「さっきはごめんね。ボール見失っちゃって」

 ううんと答えると、細い指が行く先を指差した。長い爪が尖っていた。

「パークゴルフ場に行かない? ボク、よく遊びに行ってるんだ」

 お爺ちゃんに声をかけると、目尻にしわが刻まれる。

「おっ。パークゴルフ、やるんかい?」

 遊びたいだけと答えると、少し残念そうだった。

 夕暮れのパークゴルフ場にはちらほらとお爺ちゃんやお婆ちゃんが居て、ゲームをしている。のんびりとした歓声が響いていた。(お爺ちゃんやお婆ちゃんの、ゲームを楽しんでいる歓声)

 ボールとボールがぶつかる、カツコツという音がのどかだ。(ボールのぶつかる硬い音)

「パークゴルフってね」

 言いながら、ミントゥチはゲームの輪の中に入っていく。ぼくは邪魔したらいけないと思って、中には入っていかなかった。

「北海道が発祥の地なんだよ。空振りはカウントされないから、初心者でも楽しめるんだって」

 そう言って、ミントゥチはお婆ちゃんが打とうとしているボールを蹴って位置をずらす(コツンというボールを蹴る音)。空振りして、お婆ちゃんは残念のため息をついた(あ~というため息)。

「こんな風にね」

 ぼくはそんないたずらをしたら怒られるんじゃないかってハラハラしたけど、誰もミントゥチの方は見ていないのが不思議だった。

「ハルヱさん、やっとるねえ」

 お爺ちゃんが、お婆ちゃんに声をかける。お婆ちゃんは腕に自信があったようで、大声で空振りの言い訳をした。

「ボールがたまにずれることがあるんよ。おかしいねえ、パークゴルフ場にも座敷わらしがおるんだろうかね」

「はは、猿も木から落ちる、じゃて」

 ミントゥチはこちらに戻ってきて、上機嫌に言った。

「ふふ、楽しい。玉を打つより、ああやって空振りさせるのが楽しいんだ」

 ぼくは少し戸惑ったけど、ミントゥチは本当に楽しそうだ。

「ねえ、神社には行かない? おみくじもあるよ」


(四)名寄神社

(静かに蝉の鳴き声)

 神社は近くにあったけど、少し登り坂があるから、お爺ちゃんはあとから着いてくる。

 夏の神社には誰も居なくて狛犬だけがこっちを見てて、何だか少し恐いと思った。

「お参りしよう。二礼二拍手一礼、って知ってる?」

 首を振ると、ミントゥチは尖った爪の人差し指を立てて、うんちくをたれる。

「神様にお参りするときは、二回礼をして、二回拍手をして、お願いごとを言ってから一回礼をするんだよ」

 見本を見せるように、ミントゥチはやって見せた(二回と一回、間をあけてかしわ手の音)。北海道の大人しめの蝉の声の中に、かしわ手がパンパンとよく響く。

「やってみる?」

 ぼくも真似して、鐘をガラガラと鳴らしてから拍手した(鐘をガラガラ鳴らす音)(二回と一回、かしわ手の音)。願いごとは、『お爺ちゃんがいつまでも元気でいてくれますように』

「ねえ、神様とか、お化けとか、妖怪とか信じる?」

 唐突な質問に考え込むと、ミントゥチは自分の考えを話し出す。

「神様は居ないと思うなあ。お化けと妖怪は居ると思う」

 ちょっとだけ離れた場所にぼくを導きながら、ミントゥチは言う。

「百円持ってる?」

 ジュースなんか買うのに、財布に百円玉がいっぱい入っているのを思い出す。取り出すと、ジャラジャラと音がした(硬貨がジャラジャラいう音)。

「おみくじが百円なんだ。百円入れて、一枚引いて」

 言われた通りにチャリンと入れると、ミントゥチが覗き込んでくる。(硬貨の上に硬貨を落とすチャリンという音)

「なにかな? ボクも引きたいけど、お金を持ってないから我慢してたんだ」

 罰が当たるから? と問うと、ミントゥチは笑う。

「神様は信じてないから罰は当たらないと思うけど、狛犬とかのお使いは動物だから居そうじゃない? 神様より、犬に追いかけられる方がよっぽど恐い」

 おみくじをパラリと開くと、吉だった(たたまれた紙を開く音)。

「吉だ! 吉は、大吉の次に良いんだよ。見せて見せて」

 ぼくには漢字だらけで難しかったけど、ミントゥチはすらすらと読み出した。

「待ちびと……おもむけば会える。ん? ああ、えっとね、『待ってるひとのところに会いに行ったら、必ず会える』って意味だよ。旅行は……無事に帰る。よかったね、無事におうちに帰れるって。健康……水難に注意」

 『すいなん』ってなに? と訊いたところで、お爺ちゃんが追いついてきた。

「『水難』っていうのはね……」

「誰と話しとるんじゃ?」

 振り返ってミントゥチを紹介しようとしたら、そこには誰も居なかった。

 なんとなく言ってはいけないような気がして、なんでもない、と答えたらお爺ちゃんは聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。

「はて。やっぱり座敷わらしかの?」


(五)名寄公園ボート乗り場

 ぼくはお爺ちゃんのうちに来たら、必ず大池のボートに乗っていた。

「え? ボートに乗るの? じゃあ、白鳥のボートに乗ろうよ。ボクも乗りたい」

 ミントゥチは目を輝かす。

 去年まではお爺ちゃんと乗っていたけど、申し訳なさそうにお爺ちゃんは腰をトントンと後ろ手に叩く。

「すまんの。腰が痛くて、もう乗れんわい」

 ぼくは友だちと乗ってもいいかと問う。

「ん? 友だちと乗るのか。それならいいか。どれ、売店でボート代を払ってくるから、乗っておいで」

 お爺ちゃんは売店に向かう。係のお兄さんが白鳥のボートを押さえてくれて、ぼくとミントゥチは乗り込んだ(船着き場のチャプチャプ音)。

 ペダルを漕ぐと、波音を立ててボートは進む。水辺の冷気が気持ちいい。(白鳥ボートを漕ぐペダルと水の音)

「中州の方に行こうよ。しだれ桜の葉っぱが近くに見えるんだ」

 ミントゥチの提案で、池の中にあるしだれ桜を目指す。波音の中に、しだれ桜が風に吹かれて揺れる葉ずれの音がさざめいていた。(風の吹く音と、葉ずれの音)

 青々とした葉っぱは綺麗で、手を伸ばせばさわれるような気がした。身を乗り出す。

「しだれ桜には触れないよ。危ない!」

 あっと思ったときには、水しぶきを上げて池の中に落ちていた(ザブンという落ちる音)。ゴボゴボと口から泡が漏れる(水中でゴボゴボいう音)。

 岸で見守っていたお爺ちゃんが、大声で助けを呼んでいるらしいのが、朧気に聞こえる(水中で、不明瞭に聞こえる大人たちの叫び声)。

 でもすぐに、ミントゥチが上から飛び込んできた(水中で、上から飛び込んでくるくぐもった水音)(水中から上がる音)。ぼくと同じ子どもの筈なのに、驚くほど泳ぎが上手くてぼくは気が付いたらボートの中にずぶ濡れで放心してた。

 漕いだ記憶もないのに、ボート乗り場に着いていて(船着き場のチャプチャプ音)。お爺ちゃんがとんでくる。

「大丈夫か!? 水飲んでないか!?」

 すぐにミントゥチが助けてくれたから、濡れただけで済んでいた(体から水がポタポタしたたる音)。ボートから大人たちに助け出される。

「友だちは?」

 お爺ちゃんに訊かれて、ハッとした。ミントゥチが居ない。溺れているのかもと、必死に周りに尋ねて回る。

 でも誰も、ぼくと一緒にボートに乗った子どもは見ていないという。

「ミントゥチ?」

 売店のお兄さんが目を見張った。

「それは、アイヌ語だよ。『河童』という意味の」

 風がざあっと吹いて、しだれ桜が揺れる(強く風が吹く音、葉ずれの音)。

「座敷わらしじゃなくて、河童だったか。友だちになったお前を助けてくれたんだな。家にきゅうりがあるから、供えてやらなきゃいかん」

 お爺ちゃんが涙声で、抱きしめてくれる。

 中州の方を振り返ると、ミントゥチが水面に半分顔を出していて、コポコポとした水音と一緒に声がした。

「『水難』っていうのはね。『水の事故』のことだよ。今年一年、水の事故に気を付けてね。来年また、遊べると嬉しいな」(コポコポとした水音の混じった声)

 その緑褐色の顔には大きくて緑色の目と、黄色いくちばしがあった。頭にはお皿。だけどちっとも、恐いとは思わなかった。

 また来年、遊びたいと思う。待ちびとには、赴けば会えるから。

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見えない友だち 圭琴子 @nijiiro365

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