その手を掴むのに理由は要らない。その心をほぐす言葉があれば良い。

緊迫する状況とは裏腹に、楽し気な声。
2者の状況を思えば、それは本来逆転しているはずの立場。タナカが絶対に助ける! と叫ぶ声は届けども、ノイはどこか達観していて。
アンドロイド法第一条の二を忠実に守り、だからこそ大丈夫と言い張るノイに対し、タナカの思いはどこか、空を切って。人間とアンドロイド。当たり前のように違う二者間の溝……というには語弊があるので……差とでも言いましょうか。
「記憶」も「記録」もバックアップがお手軽にできるアンドロイドは、思考もお手軽かよ! とタナカは怒鳴りそうな剣幕で。しかしそれは、本気の思いでノイを助けたいという意思の表れで。そんな表層意識も意に介さないのは、なんとももどかしい……。
ただ、もしかするとそれを裏返せばノイが記憶がなくなることへの恐れがないのは、タナカに今すぐにでも逃げてほしい、生き延びてほしいというメッセージのようにも感じられます……。背中合わせの二人の思いは、すれ違うでもなく。交わるでもなく。ぴたりと張り付いて。そのままお互いが、背を向けて歩き出したとしたら……。永遠に振り向くことなどできない世界へ行ってしまう……。なんとも言えない歯がゆさが……。
二人の過去。まるでフラテッロ(兄弟)のような、素敵なバディ。ただ、(アンドロイドとはいえ)本音を隠したまま、人間に従順なノイはともすると、「タナカに従順な自分」を演じることで、(必要以上に)タナカを立てようとしたのかな、と思いました。だからこそ、それがタナカにとっては癪だった。「タナカ」を立てるより、「ノイ」と同じ場所に「立ちたかった」。そこから見る景色を共有することは、長い長い旅路で、きっと素敵な思い出になるから。たとえ、それが山の麓だったとしても。
修理がお手軽だからという理由で、自分の身を顧みないノイに対して、その考えを改めるように諫めるのも、タナカの思いがあってこそ。たとえ、ノイに痛覚がなかったとしても、長い時間相棒として連れ添ったならきっと「痛覚」も「心」も共有していても不思議ではないと思います。
一刻の猶予も許されない、夕暮れ時。ノイの言葉がどこかノイズ交じりのように聞こえ、それはきっと「心」からの叫びを体現しているように感じられました。こんな時でも、自分よりもタナカの心配をしているあたり、本当にノイは……。
最後の銃弾。その重い(想いを乗せた)引き金が、核をついに破壊……。
これは完全に私の想像・妄想ですが、この時のタナカは、ノイの核心(イグニス)に触れたのではないかと思います。タナカがヴィシチェドの核であるイグニスに触れたように。
帰還の日を控え、二人の会話。ノイの涙はきっと「泣く」という機能ではなく、心からの「涙」。タナカの言葉は今度こそ、ノイの核(心)を捉えて、離さなかった。

まるで、その炉心が溶け出すように。心からの言葉を吐露するノイ。そうなんですよね……。人間とかアンドロイドとか、そんなものは側でしかないんです。人間に良いように使われようとも、雑に扱われようとも「心」は人間同様にとても繊細。その思いに手を差し伸べて、そっと優しく包み込むように掬い上げて(救い上げて)くれたからこその、本心。
喜びも、苦しみも、痛みも、感情も。等しく(人しく)分け合った二人の明日に乾杯!

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