月の鈴

村良 咲

第1話 月の鈴

 電車通学をしている鈴音は、今日もいつもと同じ7:05出発の先頭車両にいた。最寄り駅の二つ先、白梅学園高等学校へ入学した三年前からその車両が鈴音の朝の居場所になっており、そこから更に三つ先の駅の南口にある系列の短大に通うようになった今も、それは変わらない。変わったとすれば、制服が私服に変わったくらいだ。


 そんないつもと変わらない鈴音の朝に、もう一つの変化が現れた。


 朝の車両はほとんど顔ぶれが同じだ。四月には多少の入れ替わりがあるものの、五月に入るころにはどこかの店の固定客のように、入れば同じ顔を見るようになる。それは、いつも先頭車両に乗っているからそう感じるだけで、いつも同じ顔ぶれではない車両もあるのかもしれない。が、わざわざ先頭車両を選んで乗り込むというのは、みんなそこになにかしらの意図があるのではないかと思っている。


 鈴音がそこを選んだのは、ただ単に混みあうホームから人を避けるように人の少ない場所まで進んだら先頭まで来てしまったというだけだった。乗り込む人の列を見ても、ここは一番人が少ないんだと思う。だからここに乗り込む人は、自分と同じように人混みが嫌な人たちなんだろうと思う。


 四月の初めにそんな先頭車両にいつものように乗り込んで、いつものように乗り込んだ反対側のドアの隅に立って窓の外側に顔を向けた。鈴菜の視線の片隅には、いつも自分とは逆の位置に同じように窓に顔を向けていたスーツ姿の男性とは別の、大学生らしき男性が立っているのを捉えていた。ああ、新顔だな、いつものスーツ男はどこだろうと、動き出した瞬間の揺れに紛れるようにして、何げなく顔をそちらに向けた。


 あ。


 自分がした一瞬瞼が上がるその目と同じような目をしたその男性と目が合った。心の中で、ああ、気づかれたかもと思ったが、その後悔とは反対に、頷くような挨拶に同じように頷きで返していた。


 そちらに顔を向けたことで気づいたのが、いつもそこにいたスーツ男が、そこに立つ中学の時の同級生、服部涼介のすぐ後ろに立ち、いつもとは違う椅子の部分にある手すりを持っていることに気付いた。定位置を服部涼介に取られたんだと、彼と知り合いというだけでなんだか申し訳なく感じた。


 服部涼介とは中学が同じだったが、同じクラスになったことはない。なんなら口だってきいた記憶がない。が、存在はいつもそこにいるくらいには残っていた。なんのことはない、鈴音が好意を寄せていた杉野正樹とよく一緒にいたのがこの服部涼介だったのだ。学校帰りに杉野正樹とすれ違う時、杉野正樹の横には彼がいたし、同じ部活で同じクラスだった二人は、教室でもよく一緒にいた。


 結局、その杉野正樹に気持ちを伝えることもなく、ただ目で追っていただけの片思いで終わってしまった初恋だったが、杉野正樹を目で追っているとき、その横にいた服部涼介の視線が時折こちらに向いていたことも、目の端に捉えていたことで、もしかしたらという気持ちが微かだがあった。が、結局はすべて思い出と化し、過去に置いてきたものたちだった。


 それからは、朝、時々、その服部涼介と一緒になることがあった。それは毎朝ではなく、後でわかったことだが四年制の大学生だった服部涼介の朝は、毎日同じものではなかったのだ。そして、朝一緒になったところで、相変わらず頷くような挨拶だけで、言葉を交わすこともないまま日々は過ぎていた。


 朝、服部涼介と一緒にならないときには、そこは私の居場所ですとでもいうようにスーツ男が今までのようにそこにいた。鈴音は感じる必要もない申し訳ない気持ちで同じ場所にいた。


 それは朝の光景で、帰りに乗る電車は19:00前後になることが多く、相変わらず先頭車両に乗る鈴音だったが、その面々は朝ほど同じ顔触れということもなかった。朝は知った顔があることが安心感でもあったが、帰りは違う顔ぶれにまた違う安心感があった。今日も何事もなく一日が過ぎていく。もう家に帰るんだという安心感だ。


 鈴音は人との付き合いが上手い方ではなかった。いつも相手が気を悪くすることがないように気を回していたし、恋バナだって気持ちを隠し過ぎてハブかれないように話にはのっていたし、SNS上でも飾り過ぎず周りと合わせるようにしてきたのに、鈴音の本質がどこからともなく漏れていたのか、気づけば表面上の付き合いだけの関係になっていて、そんな作り物の縁は中学卒業と同時に切れたし、高校の時も同じだった。


 自分から深く入り込んでもいかなかった。気を回し過ぎることに疲れていたし、ご機嫌取りが面倒だとも思っていた。


 気づけばいつも一人が多くなった。そうなると、できるだけ人と目を合わせないようになる。目が合うと見てると思われるのが嫌だったし、知っている人だった場合、服部涼介のように挨拶めいたことをしなくてはならなくなり、自分はその場にいていいのか、他の場所に移ったほうがいいのか、移った場合、避けてると誤解されるのではないか。その誤解は鈴音をとても嫌な人間だと思わせるのではないか。そんな色々なことを考えなくてはならなくなり、それも面倒だった。電車での再会において唯一の救いは、服部涼介は話しかけてくることがなかったことだ。話しかけてこないのだから、話しかける必要もない。


 あと一週間もすれば夏休みに入るというその日の帰り、初めて電車の中で朝のスーツ男を目にした。まるで私たちの定位置ですとでもいうように、ドアの両隅に朝と同じように二人は立っていた。朝一緒になるだけの、知らない人だった。知らない人のはずだった。が、鈴音はデジャヴを感じた。スーツ男の頷くような挨拶に、服部涼介にするように同じように頷きで返してしまったのだ。


 なんだか嫌なざわざわが身体中を駆け抜けた。知らない人なのに、なぜ……


 夏休みが明けてからは、服部涼介のいない朝には、かならず頷くような挨拶をされ、同じように返すようになり、服部涼介がいる朝には、一歩下がってスーツ男はまるで知らない人のままを貫くという、なんだか異様なことになっていた。


 せっかく居心地よかったそこは、ただ心ざわつくだけの場所になり果てたが、違う車両に乗るという選択肢はなかった。それこそ避けているとでも思われるのも嫌だったし、避けられたと思った服部涼介やスーツ男が負の感情に覆われるようになったら、なんだか怖い気もした。


 そして、気づけばスーツ男は帰りにも同じ車両になることが増えていた。朝と違って、乗る時間はまちまちだが、同じようにたまたま一緒になったんだと最初は思っていた。


 ある日の帰り、はじめてスーツ男が声をかけてきたのだ。とっくに過ぎたはずの残暑が残る平日の、まだ社会で働く人達が帰る時間には少し早いと思われるその先頭車両は混みあってもおらず、同じ場所に立ち頷き合ってる二人は見ようによっては連れ立っているようにも見えただろう。


「あの……先週出張先で見つけたんですけど、これ、よかったら」


 そう言って差し出されたのは、銀色の三日月の先に鈴が乗っかるようについたストラップだった。


「えっ?月の鈴……」


「あなたによく似合うと思って……」


「……どうして……」


「これ見つけた時、あなたの名前と同じだと思って、なんだか嬉しくて、気づいたら買ってました。お土産にと思って」


「……どうして?」


「え?だって、『月野鈴音』さんでしょ?」


 凍り付いた。


「な、なんで?なんで名前知ってるんですか?」


「え、だって朝のあの男の人が『月野さん』って」


「言ってませんよ。あの人と私、話してたことないです。私の名前を呼んだことなんて、ないです。なんで私の名前を知ってるんですか?」


「ああ、さっき駅で別れたお友達だ。あの子があなたをいつもスズネって呼んでて……」


「いつも?」


「そうですよ、いつもスズネって」


「私、ずっと一人だったはずですけど」


「ごめんなさい。嘘です。変に思われたくなくて、つい嘘を。……知ってるんです。あなたの家、知ってて……表札が月野さんで……」


「なんで?なんで家を知ってるんですか?つけてたんですか?つけてきてたんですか?止めてください。怖い、止めてください。あなた、ストーカーじゃないですか」


「違うよ。違う。ストーカーじゃないよ。僕だよ。わからない?毎朝一緒になるじゃない。毎朝一緒になるでしょ?挨拶だってするじゃない。月野さん、住んでるところだって近くだから……パン屋で」


「大丈夫ですか?おい、何してるんだ!こっちこい」


 駅についた時、様子がおかしいことに気付いた人が呼んだ駅員の声にかき消され、スーツ男の声が聞こえなくなった。スーツ男は両腕を抱えられるようにして駅員に連れて行かれた。


 にしても、怖い。これからどうしよう。同じ電車に乗る同じ駅を利用しているこの人と、ここから先、顔を合わさないで済むとは思えない……


 なぜ目を合わせてしまったのだろう。なぜ頷き挨拶してしまったんだろう。だから嫌なんだ。人と関わるのは、だから嫌だったのに。



*****



「だから、私が住むアパートの下のパン屋さんに買いにくることがあって、私が朝、駅に行くときに通る道にあの子の家があって、よく家を出てくるところを目にしていて、表札見たことがあって、だから名前も知ってただけなんです。決してやましい気持ちで声かけたんじゃないんです。なぜわかってくれないんですかっ!」


 なんでわかってくれないんだ。毎朝、挨拶してるじゃないか。帰りも一緒になる時は挨拶してるし、なのにストーカーってなんだよ。可愛い子だと思ってたのに、なんだよいったい。俺がなにしたって言うんだ。ただ可愛いストラップ見つけたからあげたいと思っただけなのに。名前だって、あの朝の男が『スズネさん今日いないな』って、一緒にいた男と話してたから知ってただけなのに……


 あ、そうか。下の名前を知ってたのがこの男の口からだったんだ。なんか慌ててて混乱してたんだ。失敗したな。でも、だからってなんだよ。失礼な話だな、人のことストーカー呼ばわりするなんて。明日からどうすりゃあいいんだよ。……電車変えるか……仕方ないか。って、だからなんで俺がそんなことしなきゃならないんだよ。考えたらなんか腹立たしくなってきた。くっそぉ~~明日からどうなるかみてろよ……くっそぉ~


 

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