よもやま話 若手医師を美容外科に向かわせるものは何か ①
初期研修を修了したばかりの若手医師が、専攻医を経ずに直接美容外科業界に就職する、いわゆる「直美」が最近急増していると、私の周囲でもちょっとした話題になっています。初期研修を修了(現役であれば、通常は26歳です)してはいるものの、基本的な臨床技術の経験が十分でないうちに、比較的高収入(同年齢の専攻医の年収平均700万円程度に対し、美容外科就職医は2000万円以上)でしかも勤務体系も過酷ではない美容外科にかなりの若手医師が流れてしまう……という現状を憂慮する記事も、最近はよく目にします。さて、あなたはいかが感じるでしょうか?
「金の亡者やね……」
「これだから医師って奴は……」
そう思われるのもごもっともだと思います。しかし果たして、そのような若手医師自身のモラルの問題で片づけてしまっても良いのでしょうか?
まず大前提として、医師に限らず、仕事に対するモチベーションとして収入というものを否定することは出来ないという事は押さえておきたいと思います。「人を救いたい」と「裕福になって生活の安定を得たい」の間に優劣はなく、これは単に価値観の問題だと私は考えています。この二つは、使い方を間違うとどちらも他人を傷つける可能性があります。
ここはWeb小説サイトですので、小説で例えてみましょう。「俺のすげえ純文学が読まれなくて、チートやざまあ・婚約破棄ばかり評価されるなんておかしい!」という奴はどうでしょうか。これはもう、価値観の違いとしか言いようがないですね。
「有名になりたい・書籍化されて売れたい」と「心に残る何かを小説で追求したい」、これは共存できれば最高ですがたいていの場合はそうではなく、どちらかに特化するともう一方には叩かれがち……「読者のニーズを考えずに独りよがりな雑文書いてマーケティングも宣伝も努力してないんじゃ、読まれなくて当然じゃん」派と「ウケ狙いのテンプレ大量生産品がおれたち正統派の社会的評価すら貶めてるんだよ、小説なんて名乗るんじゃねえ」派の不毛な戦い。しかし客観的に見れば、どちらが正しいなんてジャッジできないのは明らかですよね。
「有名になってお金を稼ぎたい」と「誰か一人にでも心に残る物を作りたい」のどちらが小説を書くモチベーションになっていいし、どちらも極めようとすれば大変な道には違いないのです。ただ、両立するのが難しいだけで。売れれば正義、と聞くと眉をひそめる方もいるかもしれませんが、それはその作者だけの問題ではなく、家族や出版社・周囲の書店業界その他、多くの人たちの生活にもかかわってくるものなのです。売れなくてもいいと思っている純文学派は、それに対抗できるだけの価値を自分たちで示さねばなりませんし、いったんプロになってしまえば、純文学だから売れなくてもいいなんてとても言えなくなるはずです。
話が大きくそれました。要は「美容外科医になってお金を儲けたい」というモチベーション自体を否定することは出来ませんし、否定したところで何の解決にもならないということです。「お金を儲ける」モチベがあって「綺麗になりたい」のニーズがある。双方が納得していれば、それ自体は誰にも責められるものではありません。それに仮にその美容外科医が大金持ちになったところで、我々自身に直接被害が及ぶこともありません。ともすると我々は、自分が不幸になることよりも誰かが幸福になることに、より我慢がならなくなるという厄介な気分に陥りがちですが、他人の足を引っ張ったところで自分の生活が良くなるわけではありません。
それでは若手医師が美容外科に流れることによって、実際には何が困るのでしょうか。もちろん経験が不足している若手医師が美容外科手術を行うことにより、施術自体にトラブルが発生しやすかったり、治療に伴う合併症への対応がずさんになったりといった心配はあるでしょう。しかし最も深刻なのは、若手医師の決して少なくない数が美容外科に流れ込むことにより、他の科を志望する医師が減少してしまうという状況だと私は考えます。
医師不足、という言葉を少し紐解いてみましょう。2024年3月に厚労省が発表した医師数は34万3275人で、前回調査(2020年)に比べ1.1%増加しています。
医師養成数というのは、関係機関への諮問をもとに閣議決定で行われるものですが、これの増減には紆余曲折があります。元来の医師不足に対し、1970年に人口10万人当たり医師を150人確保するという構想が立ち上がりました。その後1県1医大構想が本格的になり、医師数は増加していきます(1979年に琉球医大が誕生し、これは完成)。しかし1982年には、過剰を招かないようにと医師数抑制策に転換されてしまいます。そして徐々に医師数の不足が進み、医師の名義貸しが露見したり、大学医局の統制力の弱体化による地域偏在が明らかとなっていき、そうした状況から医師不足がはっきりと叫ばれるようになりました。これを見た政府は2008年より再び医師数増加の方向へと舵をきり直し、医学部入学定員は 2008年の7793人から2023年3月には9384人とかなり増加しています。
また全体の医師数についても、2010年の29万5049人から2020年には33万9623人と増加しています。つまりは高齢によるリタイアを差し引いても医師数は増加しているという事であり、日本の人口減少を考えると人口当たりの医師数は当然増加しているのです(それでも国際的にはまだ少なく、2019年のデータでは人口1000人当たりの医師は日本では2.4人であるのに対し、OECD加盟国の平均は3.5人となっていますが)。
以上から考えると、医師不足というのは絶対数が足りていないという事よりも、適切な場所に適切な診療科が配置されていないという「ニーズと地域の偏在化」をより指している事が分かります。
さて、ここまでお話しすると少しずつ見えてくるかもしれません。限られた医師数の中で美容外科医を志望する若手医師の割合が増えてくるとどうなるか。当然、他の診療科を志望する医師が減るという事になります。そして、そうした後に起きてくるものは何か。これは美容外科だけの問題ではなく、医師という職種が抱えていたこれまでの構造的な問題が、今になって大きく噴き出してきたものだと私は思っています。
(②に続きます)
医療で間違わないために 諏訪野 滋 @suwano_s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。医療で間違わないためにの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます