「無頓着、しかし無関心ではなく(Unconcerned But Not Indifferent)」(その3)

 この日は晴天に雷鳴があった。


 それは異常気象や超常現象は名物となりつつある海上学園都市「扶桑」であっても、思わず誰もが目を奪われる気象ショーだった。


 時山爾子もその様子を寮の自室から眺めたが、普通の人々以上に関心を寄せている。彼女の芸術家としての素養もあるが、その雷鳴、雲耀の速度にあっても彼女の閉じられた眼レズィユ・クロがその映像ヴィジョンを見逃さなかった。それは確かに光の男マン・レイの生体エネルギーの波長だったのだ。

「ただの偶然じゃなさそう…」

 三日前の通信障害と火災事故の一件、プライバシー保護から報道されなくなったが海藤健輝と河上義衛はまだ行方不明となっている。

 そんな風に二人を心配するだけの自分の無力さに嫌気しつつ、そんな気持ちを晴らそうと授業が終わるや寮の別室、アトリエで絵筆を執って創作に打ち込んだ。こうなると光速の如き速度で時間が溶けていき、気が付けば深夜ということもある。そして、彼女の創作世界とも、夢の世界との境界を曖昧にするのだった。

 そうして彼女は少しまどろんでいると、あの映像ヴィジョンは再び鮮やかに彼女の眼に映った。

「海藤君?!」

 思わず跳び起きてみると徐々に夜は白んでいたが、夢をもかき消すあの光ではない。そこで、ふと窓辺に眼をやると一羽の揚羽蝶が止まっている。だが、窓ガラスには映っていないことから、ただの蝶でないことは明らかだった。

 爾子が手を差し出そうとすると、ふっと姿は消えた。すると今度は歩道のあたりにその姿が見える。まさかと思いながらも、爾子は上着をかけてアトリエを出た。


 そんな晴天の雷鳴とともに、赤瀬川鈴寿あかせがわすずはアリスとプランの共鳴反響 エピフォノウスが断たれたことを感じると、急いで「赤の大きな室内ラ・グラン・アンテリユール・ルージュ」にアクセスした。

 しかし彼女たちの姿はなく、真っ白なガーデンテーブルが一脚あるばかりだった。

「そうか、二人とも行ってしまったんだ」

 彼女達が語った「光の男マン・レイ」と分岐タイムラインを巡る戦いが遂に終わりを迎えたのだ。その結末については、この無人の空間が物語っている。

「私たちは、何のために生かされた…?」

 異空間を操作することも異形に変身することも、あの光の男マン・レイにとっては、もう何でもないことだ。しかし、彼はその力を以ってして殺戮や搾取に及ぶ気配はなかった。

 何しろ、自分の命を狙った存在にさえ「奪うものなどはない」と言い放った。それ故に自分は黒木と小原に再会することができた。

「その答えをこの先、貴女に確かめてほしい…」

 ふいに聞こえた声に赤瀬川は辺りを見回したが、自分以外の姿は無かった。そして白い卓上に髪飾りが一つ、あのプランが身に着けていたダンデライオンのそれがあった。

 赤瀬川は何かを察した様に、髪飾りを手にとって眺めた。

「鈴寿、ひょっとしてソレ… 一人でやろうとしてる?」

 聞き覚えのある声、気付けばエマク・バキアが浮遊しており小原尚美の姿があった。無論その隣には黒木環那が居る。

「二人とも、どうしてここに?」

「双子は消えてしまったけど、私たちが居る… それでどう?」

「そういうことは、大勢の方が面白いのよ」

 全てのものの王レイ・ディ・トゥットの勝利が受け入れるべき運命であるのならば、その運命が背くことを許さない。運命は自分の心次第、何が正しいかは私たちが決めることだ。

 時間の西方、分岐タイムラインの終わりを超えた海藤は、河上義衛かわかみよしえとともに海上学園都市「扶桑」の人工の大地を再び踏んだ。出現したのは消失地点となった臨海公園だった。

「帰って来た…」

 そんな風に海藤が辺りを見ていると、遠巻きに現地即応班の福田班長がいることに気付いた。段取りの言い斯波のことだから、全ては共有済みなのだろう。彼は無言のまま親指をぐっと立ててこちらにサインを送っていた。

「禎の字は相変わらず用意周到だよ…」

 河上はそう言いながら、自転車を押しながら海藤の所へやって来た。どうやらこれも、そんな段取りの一つであるようだった。 

「さて、後ろが爾の字じゃないのは不本意だろうが、さっさと帰ろうぜ」

 夜が明ける。燃えるような朝焼けがそこまで来ている中、颯爽と二人を乗せた自転車が走っていったが、そんな絵面とは裏腹に車上のやり取りは何やら騒がしい。

「えーっと、何だっけ… 一応、今の僕ってナントカの王だよね?」

「だからだよ。王っていうのは、臣民に使役されるものだろ!?」

「なら、今ここで譲位したら代わりに漕いでくれる?」

「残念だが俺の短足だと、ペダルに足が届かねぇよ」

「うん、そうだと思うよ」

「言ったなコイツ!?」

 河上が思いっきり海藤の脇腹をくすぐってやると、美しい軌道が大いに乱れる。そんなやり取りをしていると、居住エリアに入り段々と見慣れた学生寮が近づいてくる。そして遂に、見慣れた高等部の二号棟前に到着した。

「外泊届無しで三日間外出、更に無断欠席…」

 しみじみと語る河上に、今更そんなことを気にするような性格と生活ではないだろうと海藤はふふっと笑ってしまう。 

「そういえば今日、登校日だけど山岡さんが噴火しそうだね」

「そうならねぇように、遅刻せずに登校するか…」

「それなら、今から部屋に戻るより校門か武道場で寝てるのが確実かな…」

「おい止せ、また蓮の字からまた変な目で見られる」

 そんなやり取りと、いつぞやのそんな出来事が妙に可笑しくなって、遂に二人は噴き出してしまった。人知れず、未曽有の超絶大脅威を退けた二人が、とんでもない素行不良な生徒として新しい朝を迎えるのだ。

 その事実を知るのは二人だけ、大きな秘密の共有という友情の最たるものを手にしての帰還だ。これほど愉快痛快なことは、この後先に幾度もないだろう。

「あっ、ちょっと待って」

「どうした急に?」

「部屋に戻る前に、ちゃんとまたねって言っておこうかなって…」

「何だよそれ? いつも通りのことじゃねえか」

「だからだよ。なんかさ、そのいつも通りが来るようにって感じかな」

 海藤にはこういうセンチなところというか、詩的なところがある。それでも締めくくりにはいい一言だと思って河上は「またな」と言おうとしたが言葉を呑んだ。

「健の字… その前に、もう一言必要だな」

「もう一言?」 

「ああ…」

 そう言いながら彼が海藤の背後を指差した。何事かと思って振り返ると、そこには時山爾子が驚きの眼差しを二人に向けていた。

「時山さん!?」

 絵具や鉛筆の黒鉛がついた彼女の手から、何か創作の途中であったことが分かったが、どうやって二人が帰って来たのを察したのだろうかと不思議だった。

「二人とも、今まで一体どこに?」

「えっと… それは話すと物凄く長いんだけど… 時山さんこそどうして?」

「えっと… それも話すと物凄く長いかな?」

 二人の微笑ましいやり取りだったが、河上は「見ちゃいらんないよ」という様子だった。成程、三人は間抜けだ。こういうときは沈黙に限る。

「それならまずは、ただいまってとこかな」

「うん… おかえりなさい」

 閉じられた眼レズイュ・クロを通さずとも、朝日にも勝る眩いばかりの光が彼女の瞳にはっきりと映っている。

 一つだけ多すぎる朝日となって、光の男マン・レイは帰ってきたのだ。


=完=

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LODGER Trevor Holdsworth @T_Holdswor2

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