タイムカプセルに入れた大事なもの

四葉くらめ

タイムカプセルに入れた大事なもの

 手の中のCDが太陽の光を反射し、思わず目をしかめた。



 中学の同窓会の帰り道だった。休日の昼過ぎに集まったものの、中学時代から人見知りだった俺は話す相手もおらずそうそうに用事があると言って出てきてしまった。すぐに家に帰ってもよかったのだが、なぜだかこうして昔遊んだ公園でベンチに座っていた。

 小さな公園である。ベンチと滑り台と、その下に砂場があるだけ。大人になった今となってはいささかきゅうくつに感じられた。

 手の中には20年前――中学の卒業時にタイムカプセルに入れたCDがあった。手ぶらで行ったせいでしまう場所もなく、かといって道ばたに捨てるわけにもいかずそのCDはぷらぷらと指の先でれている。

 タイムカプセルと言えばなにを入れたのかを〝わくわく〟や〝どきどき〟と言った感情を抱えながらけるものだろう。あるいはそこに甘酸っぱい叫びなんかを入れてしまい、なおかつそれを覚えていたりすればせんせんきょうきょうと開けたりもするのかもしれない。

 それじゃあ俺はどうだったのかというと、なんてことはない。なんの面白みもなければ、感慨をいだくこともなくこのCDを手にしたのだった。

 中になにが入っているのかなんて詳細に覚えている。当時書いていた小説のデータだ。なんならクラウドにしっかりと保存してあるので今すぐ手元のスマホで見ることだってできる。ただねんげつを重ねただけの贈り物だった。

「おじさん、その大事そうに持ってるCDってなにが入ってるの?」

 突然話しかけられ、びくりと肩が跳ねた。中学の頃の人見知りは20年経った今でも継続中だ。恐る恐る声がした方――ベンチの後ろを振り返ると、中学校の制服を着た女子生徒がベンチの背の部分に手をついて立っている。

「……大事そう?」

 そう言われて奇妙に感じる。どちらかというとざつに扱っているつもりだった。

「捨てたいけど捨てられなーいって感じ」

「……ポイ捨てしたら迷惑なだけだ」

 そうは言うものの、少女の言ったことも間違いではない。たとえ家までの途中に捨てられる場所があったとしても、なにかしらの理由をつけて家に持って帰ったと思う。

 データとしては残っているのだ。だから、このCD自体には大した価値があるわけでもないのに……。それなら俺はコイツのどこになにを感じているのだろう。

「……コイツの中には俺がちゅうぼうの頃に書いた小説が入ってるんだよ。下手くそな小説だ」

 実際酷いものだ。起承転結がなってないとか、そういうレベルではない。まずどの登場人物が話しているのかわからないのである。面白い面白くない以前に話を理解することができない。そういう類いの下手くそさだった。

 そんな中身を知らないからか、少女は目をキラキラさせて俺を見る。

「おじさん小説書いてるの!? どんな話?」

 このとき、タイムカプセルに入れたのが紙に印刷したものじゃなくてよかったと、心の底から思った。見知らぬ中学生にあんな下手くそな作品を見られるとかどんなバツゲームか。

 たとえどんなに下手くそな文章で書いてあろうが、口で説明する分には内容を伝えることもできる。

 俺が少女に物語の概要を説明してやると少女はところどころで頷いたり感心したりして、それできようが乗ってしまったのか、普段はあれだけ凝り固まっている口が妙に滑らかに動いた。

 気付けば少女もベンチに座って俺の話を聞いていた。一通り話し終えると、少女は鞄を開けてスケッチブックを取り出した。一緒に鉛筆も取り出すとさらさらと筆先を走らせる。なにをいているのだろうと覗き込んだら隠されてしまった。途中の絵は見られたくないらしい。

 手持ち無沙汰になるも、流石さすがに滑り台や砂場で遊ぶというわけにもいかない。

 ……そういえば近くに自販機があったな。

「なんか飲みたいものあるか」

「ミルクティー。あったかいの」

 CDをベンチに置いて立ち上がる。少女の絵がどれぐらいでできるかはわからないが、自販機へはゆっくりと歩いた。



「どう!?」

 少女が絵を見せてきたのは、買ってきたミルクティーが少し冷め始めた頃合いだった。俺の方は缶コーヒーがちょうどあと一口というところだったので、ぐっと飲んでしまう。

 缶を脇に置きスケッチブックを受け取る。今度は両手がいた少女が自分の分を開けて中身を飲み始める。

 ふむ……なんと答えるべきか。

 せっかく俺の話を聞いて描いてくれたのだから、できれば素敵な感想でも言えたらいいのだろうが……。

 あいにくと俺にはそれをとっさに思いつくだけの会話経験がなかった。それに――

「まず、その……これはなんだ?」

 彼女の絵は下手くそだった。バランスがどうとか、そういうレベルではない。まず、なにがいてあるのかわからなかった。

「あのシーンだよ! 主人公がヒロインをすんでの所で助けるシーン!」

 なるほど。

「こっちが主人公で、反対側のがヒロイン、だな?」

 恐らくそうだろうとは思いつつも、やっぱり自信がなく疑問形になってしまう。

「逆! 逆! こっちが主人公だよ」

 そして、案の定違っていた。

 うん、わからん。

「うー、やっぱりダメかー。友だちにも『下手』って言われるんだよね。あー」

 うめき声を漏らしながら肩を落とす。

 スケッチブックをぱらぱらとめくると似たような――すなわち、なにを描いているのかよくわからない絵がたくさん描いてあった。いつから描き始めたのかはわからないが、数はこなしているようだ。その割には今回の絵と、スケッチブックの最初の絵の間には進展が見られなかった。

「そうだ。さっきの話は20年前に作ったやつなんでしょ? 最近はどんなの書いてるの?」

「最近は……書いてないな」

 最後に書いたのはいつだっただろう。それすら思い出せない。今日、同窓会を迎えるまで、自分が小説を書いていたということすら記憶の奥の方にしまわれていた。

「えー、どうして?」

「大人ってのは仕事が忙しいから書いてる暇なんてねぇんだよ」

 それは半分は本当で半分は嘘だった。

 確かに社会人になってから平日は朝から晩まで仕事。休日は溜まっていた家事をしたら身体を休めるので精一杯だ。なにかをする元気なんてものはなく、スマホでSNSをだらだらと流していたら夕方になる。

 しかし、じゃあそれまでは書いていたのかというと、そういうわけではなかった。

 思い出した。

 最後に書いたのは大学三年の頃。少し間を開けてしまって、久しぶりに短編小説を書いて小説投稿サイトに投稿したのだ。

 PVと呼ばれる何回読まれたかを示す数字は3。投稿したサイトには読者から作者に向けていくつかリアクション(「いいね」だったり感想だったり)を送る機能があったが、それに至っては皆無だった。

 さっきまでの自分を思い出す。少女のあいづちに、興に乗ってしまった自分を。

 小説なんてものは結局のところ人に見てもらいたいが為に書いているのだ。少なくとも自分はそうだった。俺の作品を見てくれ。俺のは面白いんだ。そして、読んでくれた人が多ければ多いほど、ポジティブな感想がもらえればもらえるほど、時にはネガティブな感想すらも、それらは自分の誇りになる。自分の力は人になにかを与えられるのだと、自分は特別な人間だと思えるのだ。

「小説を書いてる人間なんてのはな、変人の集まりなんだよ。仕事が大変でも、人からの反応がなくても、書きたいと思い続けられる。そんな変人共だ」

「おじさんも変態なの?」

「な、なぁ、言い方には気をつけようぜ? 下手したら俺、逮捕されちゃうよ……」

 とっさに周りを見回す。その行為が余計に不審者じみていて、警察にでも見つかったら事案になりかねない。少なくとも職質ぐらいは受けそうだった。

 ……末恐ろしい少女である。

「『変人』な。それでな、俺がもし変人あっち側だったら今でも小説を書いてる。結局俺はぼんじんだったんだよ」

 伝わるだろうか。伝わらないかもしれない。あるいは伝わってほしくないかもしれない。中学生の少女はまだ夢を見続けるべき年代だろう。

 しかし、少女は不思議なものを見るような目で俺を見ていた。俺の言っていることがわからないという風でもない。


「書きたいときに書けばいいんじゃないの?」


 今度は俺が少女のことを見つめる。

 なにを言っているんだろう、と。

 きっとこの少女は勘違いをしているのだ。『最近』というのをここ数ヶ月とかに。当然だ。中学生にとっては数ヶ月前ですらそれは立派な過去だろうから。

「俺はなぁ、14年間書いてないんだぞ」

 14年というのは大人にとっても長い年月だ。小説の書き方なんて、とうに忘れてしまっているだろう。もしかしたらタイムカプセルに入れた小説よりも更に下手くそな文章ができあがるかもしれない。

 そもそも、この14年という歳月の間、書きたいその気持ちはやってこなかった。は、もう死んでしまったのだろうとどこかで思っていた。

 でも、俺の言葉に少女は一瞬驚きはしたものの、すぐに口角を上げて笑みを浮かべる。

「ならわたしと同じだよ。わたしも生まれてから絵なんてほとんど描いてこなかったけど、14年経って最近描き始めたからね」

 どうだ、と胸を張る。確かに、あの絵は小さい頃から描き慣れた絵ではないだろう。

「ぷっ」

 少女のその自信満々さと、それからさっきの下手くそな絵を思い出して、つい吹き出してしまう。すぐにそれは笑い声に変わった。

 こうして笑ったのも久しぶりな気がした。

 ああ、なんだろう。

 書くのはもうと思っていたのに。

 書くのはもう止めと思っていたのに。

 別に終わったわけではなかったのだ。

 ただ、14年間書かなかっただけ。

『書きたい』という気持ちはちょっとしたきっかけでやってくる。

 手元を見る。そこには俺のスタート地点があった。下手くそで、でもまるで太陽の光のように輝かしい出発地点。その輝きも、今は不快に感じない。

 コイツがスタート地点なら、今日、再び始めよう。


 リ・スタートだ。


「家に帰るわ」

「ちょ、どうしたのいきなり?」

 俺が突然立ち上がってびっくりしたのか、少女も慌てて立ち上がる。

「なんか書きたくなってきたんだよ」

 それを言うのが気恥ずかしい。結局、大の大人がこんな子どもに励まされてしまったわけだ。目を合わせたくなくて少し目線をらしていたのに、少女の顔がたちまち嬉しそうに笑顔に変わるのが視界に入ってしまって、余計にいたたまれなくなった。

「じゃあ書いたら教えてよ。さしいてあげる」

「えぇ……。あの絵はちょっと……」

「いいじゃん! もっと上手くなるし! あ、それとそのCDいらないならちょうだい! おじさんの中学のときの小説読みたい」

 さっきの話で満足しとけよ。絶対にがっかりするぞ。

 しかし、少女に借りができたのも確かである。というか、いい加減面倒になってきた。

「あー、わかった、わかった、ほら。言っとくが貸してやるだけだぞ。ちゃんと返せよ?」

「はーい。おじさんの大事なものだもんね?」

 そう言って、また笑顔を向けてくる。それがすべてをかされているようで、むずがゆくて、俺はそっぽを向きながら「ああ」と短く言葉を返した。


   〈了〉

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タイムカプセルに入れた大事なもの 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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