13・家中掌握 弐

「改めて言います。皆に聞いて欲しい。母上にもです。」

紅葉丸はそう言うと皆を一度見回した。

 俺が前世で受けた空覚えのプレゼンの基本みたいなセミナーの内容から、役に立ちそうな部分を何の気無しに話したのをちゃんと覚えていたのだろう。惜しいな…そう思う。もう数年あれば。

「兄上は本来、跡継ぎは某に譲ると仰っていたのです。」

「「なんと!」」

紅葉丸がはっきりとそう言うと、皆が驚きの声を上げる。母も孝政も驚きに固まっている。

「わ、若!どう言うおつもりでその様な事を!?」

真っ先に爺が腰を浮かしてそう大声で聞いて来る。

「爺、その様な動きをすると傷に障る。ちゃんと話すから落ち着いてくれ。」

「むぅ…」

俺がそう言うと、自分でも痛みを感じていたのだろうか爺は大人しく座り直し、

「それで、何故その様な約束を?」

改めてそう聞いてきた。

「爺は母上が山之井にいらっしゃる前の俺を覚えているか?」


「無論です。若は覚えておいでで?」

俺がそう聞くと、爺は当然だと言わんばかりに頷き、そう聞き返して来る。

「確とは覚えておらぬ。だが、己には如何ともし難い感情が渦巻いてどうにもならなかったのは覚えている。きっと、爺にも皆にも心配を掛けたのだろう。」

「「…」」

俺の答えに皆黙り込む。当時を思い出しているのだろうか。

「だが、母上がいらした日の事ははっきり覚えている。母上に受け入れて頂いて俺は救われたのだ。だから…」

「涼様の為にと仰っしゃるか…」

「若鷹丸殿…」

俺の答えを聞いて爺も母もそう言ったっきり絶句する。

 俺も言葉が続かない。母上に恩返ししたかった気持ちは嘘ではない。でも本当は、外の世界を見たい気持ちも有ったのだ。今思えば母上を言い訳にしてそれを隠しただけなのかもしれない。だが、それはもう表に出してはならぬ。紅葉丸が覚悟を決めているのだ。兄の俺が今更そんな事を言い出す訳にはいかない。

「母上。兄上のお気持ちをもって良しとして頂けませんか?兄上でなければ我等は今を乗り越えられませぬ。」

俺がそう煩悶している間に、紅葉丸は俺を挟んで母に向き直りそう言って頭を下げた。


「跡を継ぐのは若鷹丸殿です。孝政、若鷹丸殿は既に十二分に三田寺の家を立ててくれています。宜しいですね?」

暫しの沈黙の後、目尻に涙を浮かべた母は、それでも毅然とそう言った。

「…は。」

孝政もここで反論は出来なかったのか短くそう答えた。

「若鷹丸殿、殿は常に跡継ぎは若鷹丸殿だと仰っしゃっておりました。殿には武の才しか無かったが若鷹丸殿は違うと。今から跡を継ぐ時が楽しみだと…」

そう言いながら母の目から涙が溢れだす。

 俺も父のその時の様子を想像すると鼻の奥がツンと痛くなる。大叔父も爺も目尻に涙が浮かんでいる。

「私は殿に紅葉丸を跡継ぎに等と申し上げた事は一度も御座いません。ですが、一度もそう思わなかったかと問われれば…それが皆様の不安を煽ってしまったのでしょう。それについては、謹んでお詫び申し上げます。」

母はそう詫びると深々と頭を下げ、

「若鷹丸殿。貴方の気持ちは有難く思います。ですが、跡を継ぐのは貴方です。宜しいですね?」

そして俺に言い聞かせる様に強くそう言った。

「はい。」

俺はそう短く答える事しか出来なかった。


「では、若。今から貴方の座る場所はあちらになりますぞ。」

爺がそう言って上座の中央を指差した。

 俺は立ち上がりそちらへ近付くが、それだけで鼓動が速くなり体が重くなるのを感じる。覚悟が出来ていない。偉そうな事を言ってみてもそう言う事なのだ。俺はついこの間まで跡を継ぐ事から逃げ出す気だったのだから。

 ここに座ったら最後、数百人の領民の命が俺の両肩に掛かる事になるのだ。こんな恐ろしい事があろうか…だが、跡を継ぐと決めたのは俺だ。紅葉丸に詫びを入れたのも俺だ。二度三度と深呼吸をして足に力を入れ直す。


「では、たった今より山之井の家は俺が継ぐ。俺は皆の事を家族だと思っている。これからも、いや、これ迄以上に力を貸して欲しい。」

俺は上座の当主の席に腰を降ろすと、皆に向かってそう頭を下げた。

「「はっ」」

それに対して皆はそう声を合わせ頭を下げた。早くも壁を感じる。これが当主と言う立場なのか。

「立派になったな、これなら成泰も安心するだろう。」

頭を上げた上之郷の大叔父が顔を綻ばせてそう言う。その隣では爺が目を赤くしてウンウンと頷いている。

「永治殿、涙脆いのは年を取った証拠ですぞ。」

狭邑の大叔父はニコニコしながらそんな事を言う。

「まだ、泣いておらん!」

それに対して、爺はそんな本末転倒な答えを返す。

「父上…若様が呆れておりますぞ。」

永由叔父が後ろからそう爺を嗜めると、

「もう若ではない、殿と呼べ!」

顔を赤くして怒鳴る爺だった。

 そこに有ったのは俺の思う家族のそれで、先程の壁を感じた揃った返事は形式的なものだったのかもしれないと俺に思わせるものだった。壁を感じさせたのは俺の中の覚悟の足りなさなのかもしれない。そんな事を感じさせる光景だった。


「で、実際の所は俺の立場はどうなるのだ?家中が纏まったとて、守護代様よりお許しを頂いた訳では無いし元服もまだだ。言うならば精々が当主代理と言った塩梅だと思うんだが。」

俺は殿と呼ばれる気恥ずかしさも有りそう尋ねる。

「確かに若鷹丸の言う通りかもしれん。ちと燥ぎ過ぎたか。」

俺の疑問に上之郷の大叔父がそう答え、他の者も少し落ち着きをみせる。

「例えお許しが出ても、元服は父上の喪が明けてからが良いだろうから当面は今まで通りでどうだろう?お互いそれまでに殿と呼び呼ばれる事に心を慣らそうと思う。」

「まぁ、それが良いかもしれんな。これから多くの事を変えねばならなくなる。急ぎ過ぎると仕損じるやもしれんしな。」

俺がそう提案すると、上之郷の大叔父もそう納得してくれた。まだ少し、俺は若鷹丸で居たいんだ…


「孝政はどうする?」

少し和やかな雰囲気になったが、それを引っ繰り返しても聞いておかねばならない事もある。案の定部屋はまたピリリとした空気に逆戻りした。

「それは…」

孝政は居心地悪そうにそう言い淀んだ後、

「某は亡き父の意思を継ぎ、正しき血を引く者に拠る正しき統治が本来在るべき姿と思うてこれまで生きて参りました。その気持ちは今も変わっておりません。」

そう一息に話、一度間を挟んだ。

 皆は明らかに気を悪くしている表情だ。この期に及んでと言った所だろう。

「ですが、若様は既に当主としての器量を有り余る程見せている事は紛れもない事実。某は若様の御指示に従いまする。」

そう言うと孝政は頭を下げた。これには皆驚いた様子。直前の表情はどこへやら、正に鳩が豆鉄砲と言った表情だ。


 実に上手い話し方だった、そう感心するが俺が聞きたいのはそこではないのだ。

「お主の今後をどうしたいのか聞いておる。残るか、戻るか。」

「叶いますればこれからも若様の下で使って頂ければと。三田寺に戻っても某の居場所は最早御座いませんでしょう。」

俺がそう尋ねると、孝政は少し遠慮気味にそう言った。

 先程の回りくどい話は残りたいと言い出し辛かったからかもしれない。そう思うと可愛気を感じる気がしなくもない。いや、しないな。孝政だし。

「分かった。今迄と通り三田寺の者として母上の下に付くのか、山之井に腰を据えるのかはどうする?」

「若様に全てお任せ致します。」

「そうか、では今度爺にお主を山之井に貰い受ける様に頼んでみよう。それで良いな?」

「はっ、有難う御座います。」

俺と孝政の遣り取りに皆は再び目を丸くしている。


 さて、最後に聞き辛い事が残ってしまった…だが、聞かざるを得ない。

「それで…母上はどうなさいますか?」

俺は恐る恐るそう尋ねる。

「…ふ、ふふふ…あはは。」

それを聞いた母は唐突に堪え切れない様子で声を上げで笑い始める。

 俺は、理由が分からずに困惑していると、

「大迫殿、これではおちおち出家して殿の菩提を弔う事もできませんね。」

「ふ、ふはははは。全く全く。困ったものですな。」

母が爺にそう言うと爺も笑いながらそんな事を返した。他の皆も笑いを堪えたり堪え切れなかったりしている。

「私は山之井へ嫁ぎました。私が居るべきなのは山之井なのですから要らぬ心配ですよ。」

母は笑いが収まらぬ様子ながらも優しげ気にそう言った。

「しかし、家督の前に母離れであるな若鷹丸よ。」

更に上之郷の大叔父がそう言うと今度こそ広間は堪え切れない笑いに包まれ、その中心には顔を赤くした俺が座っていた。


※※※※※※


 如何でしたでしょうか。本編では上手く描けなかった母、涼と孝政の姿を描く事が出来ました。最後まで書き終えて、「あぁ、私はこれが書きたかったんだな。」と強く感じています。この二人について相当心残りがあったようです。

 今後については一応構想はあるのですが、これ以上は蛇足かなとも感じています。その辺りは、本編に力配分を戻しながらゆっくり考える事にしようかな。

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