首のある噂

 私の生まれ育った土地には昔からとある怪談が根付いていた。

 それは「かなうさん」と言って、毎年の夏頃に現れる女の姿をした幽霊だそう。父が子供の頃からあるお話で、「母さんはこの話が嫌いだったなあ。あの人怖がりだったんだよ」と仏壇を眺めて笑っていた。

 私も母のようにかなうさんの話が嫌いだった。いや、「話が」と言うより「名前が」嫌いなのだ。だから、私だけはその怪異を「首あり幽霊」と呼んでいた。


 首あり幽霊が出現する場所はいくつかある。「赤い紐の結ばれた電柱のそば」「T字路」「田んぼ道の脇」と、そのどれもが小学校の通学路だ。

 何でも、彼女は初め普通の人間として登場するらしい。通り過ぎざま、小学生たちに「行ってらっしゃい」とか「おかえりなさい」とかあいさつをしたり世間話をしたり、至って普通の人間みたいに私たちに接してくる。

 そうして、見定めたひとりの子供に願い事を聞いて、善い願いを持つ子供のそれを叶え、悪い願いの子供をどこかに連れ去ってしまうのだそう。


 ただ、ひとつ異例があった。

 その子供の願いを聞いた首あり幽霊は一言「ごめんなさい」と言い、寂しそうな顔で笑った。

 彼女がくるりと背を向け歩き始める。風がひとつ子供と彼女を隔てるように吹き抜け、あの長い黒髪を揺らすのだ。長い黒髪のヴェールが靡き顕になった項には、深く痛ましい傷がこちらを見詰める眼のごとく走っていて、彼女はそれを気にする事なく街路へ消えていった。


 背骨など繋がっていようはずもないのに幽霊の首はぐらぐらと揺れもせずそこにある。子供の願いなど叶えようともせず、聞くだけ聞いて去っていく。こんなもののどこが「叶うさん」だったのだろうか。


 だから、首あり幽霊なのだ。


 彼女が夏に現れる理由も、目的も、誰も分からないまま。もしかしたら彼女自身すら分からないのかも知れない。


 ただ、この季節になると思い出す。私が大人になるまでの日々に埋もれたあの日の記憶と、彼女の肌の人恋しげな冷たさと、滲むアスファルトの止まれの文字と。


「私のお母さんになってください」


 首が切れて、皮一枚で繋がっているみたいにこうべを垂れて、あなたに願った幼い私を。

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怪談短編集 鏡 もち子 @mochikomo

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