君に向けるラブソング

野村ロマネス子

危機一髪

 ピピピピ、と鳴り始めた目覚ましアラームを止める。もうあと五分、と反射的に思ってしまってからはたと目を開いた。違う違う、今日の俺は起きる俺だ。身を起こした勢いのままでブラインドを開く。差し込む朝日が目を焼くけれど、でも、嫌いじゃない。

 一日の中で好きな時間と嫌いな時間がある。朝ごはんの時間は割と好きで、あちこちから友達の顔が増えてくる通学の時間も好きだ。昼休みの校内放送でラジオDJの真似事をするのは大好きで、毎回最後の曲をラブソングにしてしまう自分の事は仕方ない奴だと思ってたりする。眠気と戦うことになる午後の授業の時間はそこそこ苦手だったりするけれど、今、好きか嫌いかを判別しあぐねている時間がある。

 体育館の外に転がっていたバスケットボールを拾いつつ、パタパタと、駆け足になりながら向かってしまうのは何故か。そう聞かれたら即答出来るくらいには俺はあの子のことが好きで、だけど、それなら表情がいまひとつ曇ってしまうのはどうしてかと聞かれたら、上手く答えられる自信がない。

 放課後の体育館で過ごす時間。好きか、嫌いか。

 意識的に口角を引き上げて、いつもの「植村先輩」を引っ張り出してから体育館の中を覗き込んだものの、「お待たせ!」を言おうとして笑顔と一緒に寸出のところで引っ込めた。危機一髪。だって視界の中にいたのは、あの子と樹だったから。


 長身の樹が少しだけ腰を屈めるのが見えた。小首を傾げて何事かを問いかける。いつもより少しだけ頬を赤らめたあの子が、樹の言葉に考え考え答えている。ギクシャクした動きはゼンマイ仕掛けの人形みたいに不自然で、それなのに、そこがまたすごく可愛い。

 きっといま少し上擦った声を出している。昼の放送当番の時の第一声とか、読みにくい内容の伝達事項とか、緊張するとそういう癖が出ること、よく知ってるから分かるんだ。樹はそのこと、気付いているのかな。

 いつも塩対応の樹が、今日はそうじゃないのもわかる。何しろ俺がいつも遠慮のない塩対応されてる訳で、だから、わかる。わかってしまう。


 自分が出て行って良い場面なのか違うのか。いや、逆に出て行かないとあの二人の間に自分が太刀打ち出来ないような決定的な何かが発生してしまうのでは。それはもしかしなくても、あの子が望んでいる事態なのでは。それなら問題無いはずなんだけど、問題無いはずなんかなくって。そう、それは俺にとっては大問題なので。うわー、どうしたらいいんだ。

 ぐるぐると考え込んでいたせいか、うっかりと手元が疎かになったその瞬間。抱えていたバスケットボールがするりと手を離れる。やばいやばい! 慌てて持ち直そうとしたけれどそれは後の祭り。テン、という音が静かな体育館に鳴り響いてしまった。

「あ、植村先輩」

「なんだ、亮太か」

 こちらを振り返った二人がそれぞれ俺の名前を口にして、ホッとした顔が並ぶ。

「なになに? 珍しい組み合わせじゃん!」

 今来ました! という顔で二人に混ざる俺はたぶん、犬っぽいと言われる理由なのだけど今この瞬間はそれでも良くて。勢いのまま二人の間に立ってしまう自分のことを嫌いになり切れない自分がいる事を自覚する。本当にもう、呆れるんだけど、俺って自分で思うよりも情けない生き物なのかも知れない。

「樹も付き合う? シュート練習」

「いえ、それは、」

「いいよ」

 省エネ塩対応が信条の樹がまさかの返事をしたものだから、俺とあの子は思わず顔を見合わせてしまう場面。……のはずだけど。あの子の瞳は樹に吸い寄せられたまま、俺だけ空振りしてしまう。代わりに、こちらを見ている樹と交差した視線を外せないでいる。樹って、こんな顔する奴だったっけ。

 でも。それでも、この子の傍から離れたくないなんて、我儘なことを思ってしまう俺がいるのも事実な訳で。とても困る。困っている。

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