そこから――スタートボタンの使い方・・・を知った日から、陽太の生活はさらに一変した。いや、まるで別人のようになった。成績優秀、スポーツ万能、男女問わず人気者。それが周囲からの陽太の評価だった。


 テストの時には、


 ……一時停止っと。


 時間が半分くらい過ぎてから、スタートボタンを押す。鉛筆の音さえも消えて、完全に静寂となった教室で陽太はゆっくりと立ち上がり、成績が一番のやつの席まで行って、答案をじっくりと見た。


 へへっ、やりぃ。


 答えを書き写す。念入りに見直しもして、席に戻って――もう一度ボタンを押した。


 しばらくしてテストが返ってくる。結果は言うまでもない。


「すごいじゃない! また満点なんて陽太、勉強がんばったのね」

「別に、ふつーだよ」


 今まで見たことないくらいニコニコ顔で母親が答案を見つめる。こんなに褒めてくるのは産まれて初めてだった。だけど、そんなのはもうどうでもよかった。


「ごほうびに何か買ってあげようか? そうだ、ゲームほしいって言ってたじゃない?」

「いいよ、いらない。それじゃあおれ、外で遊んでくるから」


 陽太はポケットに手を入れる。指がコントローラーに触れる。ゲームなんか・・・よりずっとおもしろいものが、もうそこにあるから。


 陽太はありとあらゆる場面で、それ・・を使った。


 体育の時間には、


「おい、こっちパス!」

「陽太! たのんだ!」


 転がってきたサッカーボールをドリブルして、ゴールに向かう。それを阻もうとする敵チームのディフェンス。だが、


 陽太は器用にポケットのコントローラー、スタートボタンを押す。するとたちまちディフェンスはピタリと動かなくなる。変なポーズで固まっている彼らの姿に陽太は笑いをこらえながら、悠々とゴール前までボールを転がして、


 一時停止解除っと。


「なっ」

「いつの間に!?」


 きっとディフェンス達には陽太が瞬間移動したように見えただろう。しかし時すでに遅し。


「ふっ!」


 陽太は余裕をもってシュートを放ち、ボールはきれいな放物線を描いてゴールに吸い込まれた。


「うおおー! やるな陽太ー!」

「ねえ、なんかかっこよくない?」

「うん。陽太君、ちょっと気になるかも」


 味方チームからは歓喜が、外からは黄色い声援が陽太に送られる。かつてない快感だった。


 陽太はあっという間にクラスの中心になった。


 気になった女子ができたら、体育の時間や遊んでいるときに何度もボタンを押して、かっこいい場面を作り出した。


「ちょっと! ちゃんと掃除しなさいよ!」


 逆にムカつくことを言ってくる女子がいれば、一時停止中にスカートを下ろしてやった。


 へへん、いい気味だぜ。


 とはいえ、そんな風に振舞っていれば、当然陽太のことをよく思わない人間も出てきた。だけど何かしてきようものなら、すぐに思い知らせて・・・・・・やった。


 スタートボタンを押して。


 押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。押して、押して。押して。


 まさに自由自在。すべてが思い通り。そう陽太は感じていた。


「……腹へったなあ」


 学校からの帰り道。ふと覚えた空腹に押されて陽太は視界に入ったコンビニへと入る。


 少し前まではゲーム機を持ってるクラスメイトが「俺に家でゲームやろうぜ」の大号令のもとに友達を集めていたが、今や陽太が「今日めんどくさいから行かねー」と言うと集まり自体がなくなった。放課後に遊ぶかどうかも陽太次第になっていた。


「新しい味出てるじゃん」


 お菓子コーナーに新作のポテトチップがあった。おいしそうなパッケージで、空腹を加速させる。


「あ、お金」


 今月のお小遣いがもうないことに気づく。家に帰って母親にねだれば、陽太の成績にご機嫌なのですぐにくれるだろう。

 だけど、いちいち家に帰るのもめんどうなんだよなあ。

 今食べたい、ガマンしたくない。そんな欲求が陽太を支配していく。


「……そうだ」


 陽太は人知れず得意げに笑うと、念のためにキョロキョロと周囲を見回してから、ポケットに手を入れる。うってつけのものがあるじゃないか、と。


 ……あれ、ちょっと押しにくくなってる?


 コントローラーのスタートボタンを押そうとして、ゴムがへこんでいることに気づく。最近使いすぎたかなあ、とぼんやり考えながらも、強めに押すと、世界は反応した。一時停止。


 へへ、いまのうちに。


 陽太は棚からポテトチップの袋をひとつ取り、ランドセルへとしまう。そしてもう一度、やはり強めにぐっ、とボタンを押して世界を再開させた。そして何食わぬ顔で、店を出ようとして、


「ちょっと君」


 背後から声をかけられた。振り返ると、背の高い大人が陽太を見下ろしていた。青いしましまの服。コンビニの店員だ。


「ランドセルの中、見せてもらってもいいかな」

「……!」


 言われた瞬間、陽太は背すじに寒気が走るのを感じる。え、なんで? いつ気づかれた? さっきキョロキョロしたのがいけなかった?

 そして気づけば、陽太は走り出していた。無意識だった。


「あっ、こら! 待ちなさい!」


 追いかけてくる店員。逃げる陽太。大人と子どもなので、その差はみるみる縮まっていく。


 やばいやばいやばい。

 必死に走りながら、ポケットからコントローラーを取り出す。頼みの綱のスタートボタン。だがさっきと同様、やはり反応が悪い。


 くそ、くそ、くそっ!

 ぐいぐい。何度も、指が痛くなるくらいに。だけど反応する様子はない。そうこうしているうちに、店員がすぐそこまで迫っていた。


「こん……のっ」


 そう声をしぼりながら、陽太は全身の力を込めてボタンを押した。指をねじこんで。

 すると、


「こら! まっ…………」


 寸前のところで、店員の動きが、声が止まった。ボタンが反応して一時停止が成功した。

 た、助かった……。


「ふうー、危なかったあ」


 切れた息を整えようと、大きく深呼吸。まさに間一髪。あと少し遅ければ間違いなく店員に捕まっていただろう。

 それなのに、


「いざってときに反応がおそいんだよ!」


 コントローラーを握る力を強める。指はじんじんと痛む。あまりに強く押しすぎてあとができてしまっていた。その痛みが、陽太をよりイライラさせて、


「こんのポンコツ!」


 思いきりコントローラーを投げた。おれの言う通りにできないなんて役立たずめ、と怒りを込めて。


 だが次の瞬間、

 ――ガシャン!!


「あ……」


 地面に当たったコントローラーが大きな音を立てた。バラバラに壊れたのだ。パカリと割れて、いくつものボタンが飛び散る。


 もちろん『スタートボタン』も。


「え、あ……」


 その光景に、陽太の喉はきゅっとなった。さっき店員に追いかけられた時よりも大きな寒気が、いや怖気おぞけが全身を支配する。


 おれ、さっきボタン押したんだよな。ってことは――


 ………………………………

 ………………………………


 慌てて周囲に目を向ける陽太を迎えるのは、完全な静止と、沈黙。誰の声も、空気が流れる音すらも聞こえない。

 それは陽太が一番よく知っている状況だった。世界が、一時停止されている。


「うそ、だろ?」


 震えながらコントローラーの破片が飛び散った地面にしゃがむ。すっかりバラバラになっていて、かつて・・・スタートボタンだった小さなゴムも転がっていた。


「う、動いてくれよ! 動け! 動け!」


 ゴムをぐいぐいと押す。

 だけど何も変わらない。

 指が痛んでも、血が出てきても押し続ける。

 だけど何も変わらない。


 世界は動き出さない。


「動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動け! 動」


 叫びながら押し続ける。

 ずっと、ずっと、ずっと。







 どこかの町で、こんな都市伝説があるらしい。

 ゲームのコントローラーにあるスタートボタンを押した時、少年の悲痛な叫び声が聞こえる、という。もし聞こえたら、すぐにもう一度押さなければならない、と。

 もちろん、あなたが使っているコントローラーにまだ『スタートボタン』がついていればの話だが。

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