スタート地点に戻ってもそこには誰もいなかった
烏川 ハル
神隠し
それは夏合宿の
宿泊地は人里離れた山奥で、いくら大きな声を出してもバタバタ騒いでも大丈夫という環境だ。真面目な部活動のようなサークルなので、夏合宿は一週間ずっと、朝から夕方まで基本的に練習漬けだった。
それでも夕食後は自由時間となるし、レクリエーションと称してちょっとしたイベントの用意もある。その日の肝試しも、そんな息抜きイベントの一環だった。
「ここは『人喰いの山』と呼ばれる場所でね……」
先輩の説明によれば、昔からこの辺りでは行方不明になる者が出ていたという。いわゆる神隠しというやつだ。
「だから気をつけて進むんだぞ。お化けなんかより、神隠しの方がよっぽど怖いだろ?」
どうせ僕たちを
心の中ではそう思うものの、
――――――――――――
宿舎の前をスタート地点として、小高い丘をぐるりと周る山道だ。だいたい一時間くらいであり、今は夜だからそれっぽい雰囲気もないけれど、昼間ならば爽やかなハイキングコースに違いない。
歩き始めて数分もしないうちに、左右を木々に挟まれて視界が悪くなる。後ろを振り返っても、もはやスタート地点は目に入らない。そこで待っているサークルの友人や先輩たちの姿も見えないし、宿舎の
「懐中電灯、落とさないでね。月も星も見えないから、それがなくなると真っ暗だし」
「もちろん。そんなドジじゃないさ」
隣を歩く女性の言葉に、僕は笑顔で応じた。
彼女はくじ引きで僕とペアになった
もしかすると、口をきいたのは今回の夏合宿が初めてだったかもしれない。それほど希薄な付き合いの異性と二人きりで夜の山道を歩くのは、人によっては気まずいものだろう。
だが少なくとも彼女の
「田中先輩が『お化けなんかより、神隠しの方が怖いだろ』って言ってたけど……。あれって、お化けはいないって意味よね?」
「それはもちろん、幽霊の
「あら、ごめんなさい。そういう意味じゃなくてね」
僕の答えが見当外れだったらしく、彼女はクスクスと笑いながら続ける。
「ほら、お化けに扮した脅かし役なんて用意されてないんだろうな、ってこと。そういう用意がないからこそ、神隠しの伝承を持ち出して、代わりにそれで怖がらせようとしてるんじゃない?」
「ああ、なるほど。それは一理あるね」
確かに肝試しといえば普通、どこかに脅かし役が隠れているとか、きちんとコース通りに歩いた
しかし今回の肝試しは、ただ夜のハイキングコースをぐるりと一周するだけ。しょせんは合宿中のちょっとしたレクリエーションであり、たいした準備もないのは明らかだった。
「いくら暗い山道とはいえ、ただ歩くだけじゃ怖くないわよねえ」
滝里さんは微笑みを浮かべるが、薄暗い中だ。懐中電灯の光に照らされた笑顔は、薄ぼんやりとしていて、少し不気味に感じられた。
「それに、私たち二人きりでもないしね」
「えっ?」
彼女の言葉に驚いて、僕はきょろきょろと周りを見回してしまうが……。
大袈裟に手を振りながら、滝里さんは再びクスクスと笑っていた。
「違う、違う。誰も隠れてないし、私にしか見えない幽霊がいるって意味でもないから、安心して。私が言いたいのは、今このコース全体の話」
今回の肝試しは、二人一組が十五分おきにスタートする手はずになっている。一周およそ一時間だから確かに、四つの組が常にコース上を歩いている計算になるわけだ。
「なるほど。それだけ
僕もその手の話には詳しくないけれど、少なくとも僕のイメージでは「知らないうちに一人また一人と消えていく」というのが神隠しのパターン。一度に大量に消えるものでもないし、
滝里さんの神隠し観も同様らしく、彼女は頷きながら言葉を続けていた。
「それにさ。前の二人も後ろの二人も姿は見えないけど、でも静かな山道だから悲鳴を上げれば聞こえるはずでしょ? それが何も聞こえてこないんだから、怖いことは何も起きてない、ってことよね」
「ああ、そうだね。みんな僕たちみたいに、ただ談笑しながら歩いてるんだろうね」
「あらあら。『談笑』だなんて、なんだか堅苦しい言い方だわ」
このように僕たち二人は、とりとめもない言葉を交わしながら、木々の間を進んでいたのだが……。
――――――――――――
「あれ……?」
僕の口からは、戸惑いの言葉が飛び出してしまう。
スタート地点まで戻っても、そこに仲間たちの姿はなく、目の前の宿舎も真っ暗。みんな既に寝静まったかのように、部屋だけでなく廊下も玄関も完全に消灯されていたのだ。
驚くと同時に頭に浮かんできたのが、これこそが肝試しの演出なのではないか、という可能性。一種のドッキリではないか、と考えたのだ。
「ねえ、滝里さんはどう思う……?」
彼女の意見も聞こうと思って、懐中電灯の光を隣に向けて……。
その瞬間、僕はさらなる驚愕に見舞われることになった。
今の今まで一緒に歩いていたはずなのに、彼女の姿がない。懐中電灯を振り回し、前後左右を探しても、どこにも見当たらないのだった。
すっかり怖くなって、真っ暗な宿舎に駆け込む。
「みんな、どこにいるんだ?」
恥ずかしいほどの大声で建物を走り回ったが、反応は全く返ってこなかった。サークルの仲間たちだけでなく、宿舎の従業員たちの気配すら感じられない。
「おいおい。これはもう『ドッキリ』の範疇を超えているぞ……」
何らかの異常事態が起こったに違いない。それこそ先輩が言っていた『神隠し』みたいな。
ようやく悟った僕は、無人の宿舎から飛び出して、夜の山道を歩き出す。
もちろん、先ほどの肝試しコースではなかった。山から出て、
しばらく歩くと、ようやく辿り着いた。大都会ではなく地方都市の一画に過ぎないけれど、今までいた場所が山奥だったせいか、妙に都会的な街に感じられる。
コンビニエンスストアなど、夜遅くでも営業している店もあった。ガラス越しに、店員や客の姿も見える。無人ではないことに安堵して駆け込みたい気持ちにもなったが、グッと我慢。問題解決のためには、然るべき筋に訴え出る必要があるだろう。
そう考えた僕はさらに歩いて、交番を見つけ出す。中にいたお巡りさんに事情を話すと……。
「いったい何の冗談ですかな?」
最初は親身になって聞いてくれていたのに、泊まっていた宿舎の名前や場所を告げた途端、お巡りさんの顔色が変わった。
そして彼は僕に告げる。あそこは三年も前に閉館している、と。
「そんなはずはない! だって僕は、大学のサークルの合宿で……」
「まあまあ、落ち着いて。とりあえず、身分証を提示してもらえますか?」
ちょうど「大学のサークルの合宿」という話もあるので、僕は大学の学生証を取り出す。
しかし、それを目にしたお巡りさんは、さらに不機嫌そうに顔をしかめるのだった。
「ふざけているのかね、君は? 今は平成どころか、もう令和の時代だぞ。それなのに、こんな昭和の昔の学生証を持ち出すなんて……」
(「スタート地点に戻ってもそこには誰もいなかった」完)
スタート地点に戻ってもそこには誰もいなかった 烏川 ハル @haru_karasugawa
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