スタート地点に戻ってもそこには誰もいなかった

烏川 ハル

神隠し

   

 それは夏合宿の最中さいちゅう、三日目の夜の出来事だった。

 宿泊地は人里離れた山奥で、いくら大きな声を出してもバタバタ騒いでも大丈夫という環境だ。真面目な部活動のようなサークルなので、夏合宿は一週間ずっと、朝から夕方まで基本的に練習漬けだった。

 それでも夕食後は自由時間となるし、レクリエーションと称してちょっとしたイベントの用意もある。その日の肝試しも、そんな息抜きイベントの一環だった。


「ここは『人喰いの山』と呼ばれる場所でね……」

 先輩の説明によれば、昔からこの辺りでは行方不明になる者が出ていたという。いわゆる神隠しというやつだ。

「だから気をつけて進むんだぞ。お化けなんかより、神隠しの方がよっぽど怖いだろ?」

 どうせ僕たちをおびええさせようとする作り話に過ぎない。いや本当に神隠しの伝承が残っているにしても、しょせん昔々の言い伝えだろう。現代社会には似つかわしくなく、現実味も感じられない。

 心の中ではそう思うものの、上辺うわべは神妙な表情で頷いて、僕たちは出発するのだった。


――――――――――――


 宿舎の前をスタート地点として、小高い丘をぐるりと周る山道だ。だいたい一時間くらいであり、今は夜だからそれっぽい雰囲気もないけれど、昼間ならば爽やかなハイキングコースに違いない。

 歩き始めて数分もしないうちに、左右を木々に挟まれて視界が悪くなる。後ろを振り返っても、もはやスタート地点は目に入らない。そこで待っているサークルの友人や先輩たちの姿も見えないし、宿舎のあかりも届かなくなっていた。

「懐中電灯、落とさないでね。月も星も見えないから、それがなくなると真っ暗だし」

「もちろん。そんなドジじゃないさ」

 隣を歩く女性の言葉に、僕は笑顔で応じた。


 彼女はくじ引きで僕とペアになった滝里たきざとさん。同学年だが大学の学部は違うし、サークル内でもパートが異なるから練習中に話す機会はなかった。

 もしかすると、口をきいたのは今回の夏合宿が初めてだったかもしれない。それほど希薄な付き合いの異性と二人きりで夜の山道を歩くのは、人によっては気まずいものだろう。

 だが少なくとも彼女のがわにはそんな意識もないらしく、まるで数年来の友人みたいに、気さくな態度で僕に話しかけていた。


「田中先輩が『お化けなんかより、神隠しの方が怖いだろ』って言ってたけど……。あれって、お化けはいないって意味よね?」

「それはもちろん、幽霊のたぐいが実在するはずはないし……」

「あら、ごめんなさい。そういう意味じゃなくてね」

 僕の答えが見当外れだったらしく、彼女はクスクスと笑いながら続ける。

「ほら、お化けに扮した脅かし役なんて用意されてないんだろうな、ってこと。そういう用意がないからこそ、神隠しの伝承を持ち出して、代わりにそれで怖がらせようとしてるんじゃない?」

「ああ、なるほど。それは一理あるね」

 確かに肝試しといえば普通、どこかに脅かし役が隠れているとか、きちんとコース通りに歩いたあかしとして途中に置かれた小道具を取ってくるとか、そうしたイベントが用意されているものだろう。

 しかし今回の肝試しは、ただ夜のハイキングコースをぐるりと一周するだけ。しょせんは合宿中のちょっとしたレクリエーションであり、たいした準備もないのは明らかだった。


「いくら暗い山道とはいえ、ただ歩くだけじゃ怖くないわよねえ」

 滝里さんは微笑みを浮かべるが、薄暗い中だ。懐中電灯の光に照らされた笑顔は、薄ぼんやりとしていて、少し不気味に感じられた。

「それに、私たち二人きりでもないしね」

「えっ?」

 彼女の言葉に驚いて、僕はきょろきょろと周りを見回してしまうが……。

 大袈裟に手を振りながら、滝里さんは再びクスクスと笑っていた。

「違う、違う。誰も隠れてないし、私にしか見えない幽霊がいるって意味でもないから、安心して。私が言いたいのは、今このコース全体の話」

 今回の肝試しは、二人一組が十五分おきにスタートする手はずになっている。一周およそ一時間だから確かに、四つの組が常にコース上を歩いている計算になるわけだ。

「なるほど。それだけ大勢おおぜいいれば、神隠しも起こりそうにないね」

 僕もその手の話には詳しくないけれど、少なくとも僕のイメージでは「知らないうちに一人また一人と消えていく」というのが神隠しのパターン。一度に大量に消えるものでもないし、大勢おおぜいいれば大丈夫に思えた。

 滝里さんの神隠し観も同様らしく、彼女は頷きながら言葉を続けていた。

「それにさ。前の二人も後ろの二人も姿は見えないけど、でも静かな山道だから悲鳴を上げれば聞こえるはずでしょ? それが何も聞こえてこないんだから、怖いことは何も起きてない、ってことよね」

「ああ、そうだね。みんな僕たちみたいに、ただ談笑しながら歩いてるんだろうね」

「あらあら。『談笑』だなんて、なんだか堅苦しい言い方だわ」

 このように僕たち二人は、とりとめもない言葉を交わしながら、木々の間を進んでいたのだが……。


――――――――――――


「あれ……?」

 僕の口からは、戸惑いの言葉が飛び出してしまう。

 スタート地点まで戻っても、そこに仲間たちの姿はなく、目の前の宿舎も真っ暗。みんな既に寝静まったかのように、部屋だけでなく廊下も玄関も完全に消灯されていたのだ。

 驚くと同時に頭に浮かんできたのが、これこそが肝試しの演出なのではないか、という可能性。一種のドッキリではないか、と考えたのだ。

「ねえ、滝里さんはどう思う……?」

 彼女の意見も聞こうと思って、懐中電灯の光を隣に向けて……。

 その瞬間、僕はさらなる驚愕に見舞われることになった。

 今の今まで一緒に歩いていたはずなのに、彼女の姿がない。懐中電灯を振り回し、前後左右を探しても、どこにも見当たらないのだった。


 すっかり怖くなって、真っ暗な宿舎に駆け込む。

「みんな、どこにいるんだ?」

 恥ずかしいほどの大声で建物を走り回ったが、反応は全く返ってこなかった。サークルの仲間たちだけでなく、宿舎の従業員たちの気配すら感じられない。

「おいおい。これはもう『ドッキリ』の範疇を超えているぞ……」


 何らかの異常事態が起こったに違いない。それこそ先輩が言っていた『神隠し』みたいな。

 ようやく悟った僕は、無人の宿舎から飛び出して、夜の山道を歩き出す。

 もちろん、先ほどの肝試しコースではなかった。山から出て、ふもとの市街地へと向かう道路だ。

 しばらく歩くと、ようやく辿り着いた。大都会ではなく地方都市の一画に過ぎないけれど、今までいた場所が山奥だったせいか、妙に都会的な街に感じられる。

 コンビニエンスストアなど、夜遅くでも営業している店もあった。ガラス越しに、店員や客の姿も見える。無人ではないことに安堵して駆け込みたい気持ちにもなったが、グッと我慢。問題解決のためには、然るべき筋に訴え出る必要があるだろう。

 そう考えた僕はさらに歩いて、交番を見つけ出す。中にいたお巡りさんに事情を話すと……。


「いったい何の冗談ですかな?」

 最初は親身になって聞いてくれていたのに、泊まっていた宿舎の名前や場所を告げた途端、お巡りさんの顔色が変わった。

 そして彼は僕に告げる。あそこは三年も前に閉館している、と。

「そんなはずはない! だって僕は、大学のサークルの合宿で……」

「まあまあ、落ち着いて。とりあえず、身分証を提示してもらえますか?」

 ちょうど「大学のサークルの合宿」という話もあるので、僕は大学の学生証を取り出す。

 しかし、それを目にしたお巡りさんは、さらに不機嫌そうに顔をしかめるのだった。

「ふざけているのかね、君は? 今は平成どころか、もう令和の時代だぞ。それなのに、こんな昭和の昔の学生証を持ち出すなんて……」




(「スタート地点に戻ってもそこには誰もいなかった」完)

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スタート地点に戻ってもそこには誰もいなかった 烏川 ハル @haru_karasugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ