004.戦闘実験No4

 可能性が僅かでもあるのなら、僕は男の手を取った。


 ◇◇◇


 ――対象、023649番

 ――記憶の封印を確認

 ――戦闘能力拘束解除

 ――意識、覚醒


 ――おはようございます


 目が覚めた瞬間、視界が歪んだ。

 心をかき乱されたような感触が、胸の内に残っている。

 溢れ出しそうになった何かを、僕は必至で内側に抑えつけた。


 暫くじっとしていると、次第に心は安定していった。

 なんだったんだろう?


 僕は今まで寝ていた白いベッドから起き上がった。

 見知らぬ部屋だっていうのに、なぜか慣れ親しんだ感じがする。

 部屋の壁の一辺にある扉へ、自然に視線が定まった。

 そこが唯一の出口だと、そこから出ていくのだと、当たり前のように感じる。

 これは……


 ――行動目標、扉の先へ


 僕はそのまま迷わず扉を開けて、先へと進んだ。

 真っ白な一本道の廊下も足早に進み続けて、鉄と木で作られた大きな扉の前に立つ。


 待つ。……開かない。開くはずだと思ったんだけど、こんなに待ったっけ?


 せっかくなので、待っている間に何かしよう。そう思った時にぱっと思い浮かんだのは、自分の内にある力の事だった。


 力がある。

 火と風を生み出す力。

 いや、火と風に変える力?


 変えるための燃料を身体の内側に感じる。無かったはずのものが、当たり前のように身体を循環していることをはっきりと認識できた。これならば、変える量は好きに調節できる。

 前のように、一気に使い切ってしまうということは無いだろう。

 ……ん? 前って……


 ――扉を開きます


 考え事をしている間に、扉がせり上がっていった。やっぱり開いた。


 先はどうなっているかな?

 扉の内側に一歩入った瞬間、頭から盛大に水を被った。いや、これは雨粒だ。部屋の中なのに土砂降りの雨が降っている。空は真っ黒な雨雲に覆われていて、明かりは等間隔に並ぶ街灯の明かりがぼんやりと周囲を照らすだけ。


 四方は壁に囲まれていると思う。後ろは確実に、左右も見えるけれど、奥はちょっと雨が酷くてしっかりとは見えない。でも、たぶん壁がある。

 地面は黒いアスファルト。等間隔に並ぶ白線は長方形を幾つも地面に描いている。

 つまりここは雨の日の駐車場だ。そういう部屋なんだ。


 ――023649番の入室を確認

 ――022003番の入室を確認

 ――室内全域に特殊戦闘領域を展開


 ああ、反対側に誰かが来た。薄暗い雨の中で見にくいけど、動く誰かがいるのは分かる。

 でもここからじゃ顔は勿論、背格好すら定かじゃない。


 ここは湿気って、火が使いにくいな。


 部屋の中で雨に打たれながら、なぜか僕はそう考えていた。

 なんで火を使おうなんて思ったんだろう?

 そりゃ、ずぶ濡れだから焚き火でも出来れば助かるけど、そんなことより熱いお風呂と乾いたタオルの方が……


 ――戦闘、開始


 その瞬間、意識が殺意に塗りつぶされた。


 相手の姿は見えづらいが、そこにいることは分かっている。

 僕は身体を縮める事で、降りしきる雨の抵抗を出来るだけ抑えて走り出した。

 目標までまだ距離がある。火はこの雨じゃ大して役には立たない。なら、風だ。


 右手を振り抜く用意をする。

 その時、視界の悪い中で相手がしっかりと見えた。

 相手は街灯の真下にいた。明かりで見えるその姿は、僕よりも背が高い。肩口まで伸ばした茶色がかった黒色の髪と体つきから女の人だと分かる。歳は十五、六歳くらい? 

 街灯の明かりを反射する白く裾の長いシャツと、白いハーフパンツは雨で濡れて、肌にべったり張り付いている。


 相手は街灯に手を伸ばして、あろうことか握りしめた街灯をアスファルトの地面から引っこ抜いた。街灯を握る手は、鉄だと思う材質のそれに半ばめり込んでいる。


 実はあの街灯、軽くて柔らかい。なんてことは無いだろう。だというのにこの相手は、それを行うにあたって力を込めた様子もない。まるで砂場に刺さったスコップを引っこ抜くように、鉄の塊を硬いアスファルトから引き抜いたのだ。

 そして相手はそのまま街灯を数度振り回して、その感触を確かめた。

 武器を使うということに慣れている様子じゃなさそうだけど、これはそれ以前の話。

 闇雲に振り回したとしても、掠りでもしたらもうお終いだ。


 近づくことは出来ない。幸い風は遠くから放てる。僕は立ち止まって、相手へ向けて右手を振るった。

 飛び出た風の塊は、周りに突風を起こさない程度に抑えた。

 抑えようと思ったら抑えられたのだ。これで、二発目以降でも命を削る必要がなくなる。

 その分威力は下がっているけど、同時に避けにくくもなったはずだ。おまけに雨と薄暗闇の視界だ。街灯の近くにいなければ、腕を振る小さな動作など見逃してしまうだろう。


 案の定、相手は風の塊を避けなかった。

 風の塊は相手の腹に直撃して、相手は数メートル吹っ飛んだ。


 勝ったなどとは思わない。痛みはあるとだろうけれど、あれだけでは命までは届かない。

 骨の二、三本は折れているだろうから、すぐには起きられないと思うけど。


 だから追撃をかける為、相手へと近づいた。風は遠くに飛ばせるけれど、命を奪える最大威力を確実に当てるなら至近距離のほうがいいだろうから。

 そうして相手に数歩近づいた時、相手がすっくと立ち上がった。そしてこちらを睨みつけてきた。


 あ、まずい。


 それを感じた瞬間、僕は咄嗟に跳び退いた。

 相手の振るった街灯が僕がさっきまでいた場所へぶち当たり、アスファルトの地面を盛大に砕く。相手の顔に苦痛の色は無く、その動きにもダメージを受けた様子は見られない。


 全く効いてない。やせ我慢という可能性もあるけれど、あの程度じゃかすり傷すら負わせられないという方が正しいだろう。

 威力が落ちているとはいえ、人一人を数メートル吹き飛ばす力はこもっていた。実際吹き飛ばすことは出来てるし、骨の二、三本か折れるくらいの威力は出ていたはずなんだけど。


 一瞬で現状を整理する。今分かっている相手の能力は、異常な力と耐久性。

 強くて、硬い。シンプルでいて、それ故に強力。


 速さに関してはそこまでないので、まだ避けられてはいるけれど、それでも年齢相応には俊敏だ。少なくとも僕よりは速いだろう。子供にとって年上とはそれだけで脅威なのだ。

 風を全力で放ったら、倒せるだろうか。当たるという前提で考えてみる。即座に足りないという結論が出た。僕の殺意が足りないと叫んでる。


 考えている間にも相手は街灯を上下左右に振り回す。その動作は軽々とはいえ、街灯の長さによってどうしても大降りになってしまう。だからよく見て動けば、なんとか躱せる。

 身体を止める恐怖も、異様な状況への驚愕も、目前へと迫る大質量への反射すら殺意が全て塗り潰してくれる。


 冷静に身体を動かせば何とかなる辺り、まだ最悪では無い。

 けれど、ここには雨が降っている。冷たい雨は次第に身体の自由を奪っていく。これだけはどれだけ冷静になろうと、どうしようもない。

 それは相手も同条件、となればよかったんだけど、相手の動きはなぜか全く鈍らない。


 長引けば不利。そう判断した瞬間、僕は上から振り下ろされた街灯に対して相手の懐を目指して前に避けた。

 至近距離。その時一瞬相手の動きが止まった。


 この後、相手はどう出るか。一番怖いのは街灯を離してからの拳。あの怪力では武器の有り無しなど攻撃力に関係は無いだろう。広範囲の射程を考えれば街灯という武器はかなり強いけど、至近距離だったらそれはむしろ足枷となる。

 単調な攻撃が続いた後の急展開で、きっと相手はそれを考える。


 いいや、考えている最中。

 その隙に僕は一撃必殺を決める。

 風は耐久を考えて断念。残るは火。でもこの雨の中ではすぐに消えてしまう。

 なら、雨が振り込まない所。

 僕は相手の近づいた瞬間、一瞬止まった相手の口に右手を突っ込んだ。

 そして全力を、右手から火に変えて吐き出す。


 その全力もただの全力じゃない。風に変える力を少なく出来るなら、その逆も出来るだろうという思考の下、身体の内に残った全部の力に命を削りさらなる力を追加して、思い切り放ったのだ。


 火が放たれたのは、手首の辺りまで呑み込んだ相手の口が反射的に閉じたのとほぼ同時。

 皮を斬り裂き、肉を叩き潰し、骨を噛み砕く感覚が腕からダイレクトに伝わってくる。

 僕はそれが分かっていたから気にしない。あの異常な力の強さが、顎にだけ無いなんてそんな都合のいい話は無いと思っていたから。


 だから火を放つ準備は相手へ踏み込む前に済ませていた。

 三秒程かかって僕の右手首から先は相手の口の中へと消えていった。

 思ったよりも持ったほうだ。

 相手の口から炎が吹き上がり、一瞬にしてその身体は赤熱した。


 相手から少し離れた場所で尻餅をついた僕は、どうだ、とばかりに相手の顔を見上げた。その瞬間、相手と、目が、あった。

 死んでない。

 それを相手の目へ宿る光に確信した瞬間、左手で相手の口目掛けて風を放った。

 相手の口の中でくすぶる炎の再起にかけて。

 風を放ったと同時にぶつんっと僕の意識が切れた。


 風はそよ風を集めて丸めた程度の威力。けれど、身体の内にはもう力は欠片も残っておらず、半ば命を削った火の後で風は放たれたのだ。全力の二度目がイエローラインに至るものだとすると、それはレッドラインを越える致命の一撃だった。


 傷と呼べるものは右手が無くなった程度。けれど、その命はすでに死線に至り、身体を打つ冷たい雨は命が終わるまでの秒読みを始めていた。

 終わりは近い。

 けれどそれは、どちらにも言えること。

 攻撃力と防御力と生命力を強化された女でも、身体の内側から焼き尽くす炎は致命傷というのに充分な威力を持っていた。


 闇深い駐車場、降り続く雨の中で、片や立ったまま炭化した一人。片や右手を失くして倒れ伏す一人。

 数値化された命は時間が進むごとに減っていき、そして……


 ――022003番の死亡を確認

 ――023649番の生存を確認

 ――戦闘終了


 ――022003番の魂が023649番へと吸収されます


 ――戦闘後結果を精算

 ――未消化の魂を一個確認

 ――スキルの取得を開始

 ――スキルは魂源衝動より自動的に選ばれます

 ――スキル『水魔法』を習得しました

 ――全工程終了

 ――023649番の意識を強制睡眠へ移行


 ――023649番の記憶を封印します





―――――――――――――――――

神滅プロジェクト

023115番 年齢:17歳 性別:女

スキル:『筋力強化』『耐久強化』『生命力強化』

願望:常勝にして不敗

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