エピローグ

エピローグ 夢のつづき

 二〇二八年 三月

 平日の昼下がり、常山市にあるコミュニティFM「OUR'SアワーズFM」では、リスナーからのメールとリクエストで構成される「アフタヌーン・コンチェルト」が始まった。潮香は、この番組のメインパーソナリティを担当している。


「みなさん、こんにちは。今日もみなさん、元気に仕事や勉強をしていますか? 今日も皆さんの言いたいこと、聴きたい曲、何でもこちらにお寄せください。わたくし、『DJすーみー』が、みなさんのリクエストを時間の許す限り叶えるつもりです。早いもので、私がこの番組を担当してから半年が経とうとしています。まだまだ慣れませんが、午後のほっと一息が楽しい時間になるようがんばりますので、これからもよろしくお願いしますね」


 昨年、潮香は長く勤めていたワンダーTVを退職して常山市に帰郷し、信彦と結婚した。信彦と二人三脚で家計を支えるために、アナウンサーの経歴を生かし、市民向けの小さなコミュニティFM局に再就職した。久しぶりに放送の現場に帰ってきたにもかかわらず、朝の情報番組「オキドキ!」での活躍を覚えている人は多く、再就職するやいなや局の看板番組を任された。


 今日も一時間の番組を無事に終えると、潮香はスタッフに頭を下げ、スタジオの奥にある休憩室へと向かった。椅子に座ると、アシスタントを務める藤木ふじきこのみが淹れたてのコーヒーを潮香の手元に持ってきた。


「お疲れ様、すーみーさん」

「アハハハ、『すーみー』は番組の間だけで、普段は実名で呼んでいいよ」

「あ、ごめんなさい。潮香さんが来てから、聴取率がグッと上がったんですよ。さすがは元ワンダーTVの『朝の顔』だけありますね」

「ありがとう。でも、もう若くないから昔みたいな綺麗な声を出せないわよ。それに今はこの体型だから、あまり無理はできなくて……」


 潮香は丸々と大きなお腹を何度もさすっていた。結婚後すぐに妊娠が判明し、今年の夏には第一子が誕生する予定である。


「わあ、また少しお腹が大きくなったんですね。お腹の赤ちゃん、大丈夫ですか?」

「うん、順調だよ。無事に七か月まで来ているから、あともう少しかな」

「これから産休入りますよね。また聴取率が下がっちゃいそうだし、もったいないですね」

「でも、ラジオパーソナリティの仕事は子育てしながらでもできるからね。アナウンサーだったら一年近くは穴を開けてしまうかもしれないけど」

「アナウンサーの仕事からは、もう完全に足を洗ったんですか?」

「ううん、実は一件だけ引き受けたのがあるんだ」

「へえ。どこのテレビ局ですか? 私、絶対チェックしますから」

「残念、テレビじゃないんだ。結婚式の司会なの」

「結婚式ですか! 誰かお知り合いの方のですか」

「うん。私にとっては人生の恩人だし、私と旦那を結ぶ赤い糸を紡いでくれた『仲人』みたいな人だった」

「それじゃ、引き受けないわけにはいかないですよね」

「うん。私達に幸せを与えてくれたあの人には、絶対に幸せになってもらいたいからね。これから打合せに行ってくるから、今日は帰るね」


 潮香は鞄を手にすると、椅子のひじ掛けに手を添えてゆっくりと腰を上げた。


「あ、帰り際にすみません。一つだけ聞いていいですか?」

「何?」

「ずっと気になってたんですけど、『すーみー』の名前の由来って何ですか?」

「……そうね。私のラジオを聴いてほしい人のことを思い浮かべて付けたんだ。その人が昔、私のことを『すーみー』って呼んでたの」

「ふーん……」


 このみはいまいち納得していない様子を見せていたが、潮香は手を振ってそそくさとスタジオを後にした。


 スタジオから数分歩くと、そこには市内で一番高い駅前の複合ビルがある。今日はこのビルの二階に入居しているカフェで打合せの予定だ。

 カフェの奥の席には、着慣れないスーツを着たカンさんと、清楚なブラウスにスカートをまとった女性が並んで座っていた。

 潮香に結婚式の司会を依頼したのは、カンさんだった。

 潮香が常山に帰ってきてすぐ、カンさんから社会福祉施設「もみの樹荘」に勤務する山川美知恵やまかわみちえと結婚することを知らされた。人生の恩人であるカンさんの依頼だからこそ、断る理由などないが、どうして何度も連絡を取り合っていながら今までこの話をしてくれなかったのか、それだけが潮香には腑に落ちなかった。


「お待たせ、カンさん」

「潮香ちゃん、悪いね、来てもらっちゃって……」

「何言ってるの。カンさんのお願いなのに、断ることなんてできないわよ。さ、打合せの方、始めましょ」

「お願いします、潮香さん」


 美知恵は深々と頭を下げた。美知恵は野性味あふれるカンさんと違い、おしとやかで丁寧なしぐさが特徴的な古風な女性という感じだった。


「カンさんは、どうして美知恵さんに出会ったか、色々紹介しようと思うんだけど」

「ま、まあ……何というか、その」


 カンさんは額に手を当てながら必死に言葉を絞り出そうとしていた。すると美知恵がカンさんの言葉を遮るかのように話し出した。


「寛太さんは私の勤めている『もみの樹荘』で信彦さんの介護をしていた時にしょっちゅう出入りしていたんです。見た目はすごく怖いけど、自分の息子や兄弟に接するかのように一生懸命信彦さんに話しかけたり、暖かい日は散歩に行ったり……そんな所に惚れてしまいまして」

「ああ、あの時に……。これは使えそうなエピソードですね。というか、その頃にもうお付き合いしていたんですか?」

「いいえ。私から話しかけても、寛太さんがすっごく照れ屋で、いつも挨拶を交わす程度でどこかに行っちゃって。信彦さんがリハビリのため退館が決まった時、このままじゃ寛太さんに会えなくなる思って、私の方からデートに誘ったんです」

「すごい! カンさんじゃなくて、美知恵さんがですか」

「はい。そこからやっとお付き合いが始まったんです」

「ダメじゃん、カンさん。私のことばかり心配して。美知恵さんがせっかく想いを寄せてくれていたのに」

「だ、だって、俺は……」


 カンさんは何か言いたげな様子だったが、それ以上は何も言わず、ごまかすかのように大きな咳ばらいをした。


「じゃあ、そこからデートを重ねて、親密になって、いざ告白!ってわけですね。これはさすがに、カンさんからだよね?」

「そうに決まっとるじゃろ。俺は男じゃ。なめてもらっちゃ困るわ」


 鼻息を荒くしながら必死に主張するカンさんに対し、隣に座る美知恵は冷静な様子で答えていた。


「ドライブの帰り道に指輪を渡されたんです。ちなみに告白の言葉は、『受け取って欲しい、この指輪を。受け取って欲しい、この心を』でした。そのまんま浜田省吾さんの歌からの引用で、笑っちゃいましたけど、寛太さんらしいなって思って、OKしちゃったんです」

「そうなんだ……ハハハ。確かにカンさんらしいよね」


 潮香は二人のやり取りを聞きながらメモを取ると、カンさんは顔を真っ赤にしながら立ち上がった。


「潮香ちゃん、さすがにそれは言っちゃいかん! 爆笑されそうだわ」

「どうして? 素敵なエピソードだと思うけどなあ。大好きなハマショーさんの歌から取ったんでしょ? 恥ずかしがることはないと思うけど」

「でも、パクリやし……」

「パクリでもなんでも、その言葉が美知恵さんの心を決めさせたんだからさ。ね? 美知恵さん」

「はい」


 美知恵は微笑みながら、ひたすら慌てふためくカンさんの方を見ていた。

 カンさんが思い立ったらすぐ行動する性格なので、それを黙って見守る美知恵とのコンビは却って相性がいいのかもしれないと感じた。


 潮香は打合せを終えると、自動車に乗ってアパートへと帰った。市街地を見下ろす高台にあり、窓からは二人の思い出の場所である井水川を一望できることから、一目見ただけでここを選んだ。

 郵便ポストを開けると、一通の電報が入っていた。送り主は「早稲田大学」だった。信彦は今年も早稲田大学を受験した。毎日仕事に追われつつも帰ると数時間は机に向かい、受験勉強をしていた。しかし、まだ脳機能障害からの回復が完全ではないこともあり、勉強しても理解が追い付かなかったり、何かを覚えても忘れてしまったりと、悪戦苦闘が続いていた。潮香も家事の合間を縫って、信彦が分からない箇所を一緒に考え、知識が定着するよう繰り返し教えていた。

 試験の結果は信彦本人が直に確認するのが一番だと思い、潮香は電報を開封せずにテーブルの上に置いた。


「ただいま」


 日が暮れる頃、玄関の扉が開き、作業衣姿の信彦が入ってきた。


「今日も工場で、潮香さんの番組流れていたよ」

「それは良かった。信彦君が工場内でいつもラジオが流れてるって言ってたから、ラジオパーソナリティならばきっと私の声が届くだろうって思ってね」

「ありがとう。潮香さんの声を聞くと、すぐそばにいるような気がして、仕事もがんばれるんだよね」

「嬉しい」


 潮香は信彦の頬にキスした。

 信彦は頬を押さえながら照れ笑いを浮かべていたが、テーブルの上に置いてある電報に気づいたのか、突如大きなため息をついた。


「結果、届いてたんだね」


 信彦は電報を手に取ると、封を開け、中に入っていた一通の紙をじっと見つめていた。読み終えると、信彦は紙を手に持ったまま顔をしかめていた。


「はあ、今年もダメだった……」


 小さな声でそう呟いた信彦を見て、潮香は「残念だったね」と声を掛けた。


「また来年受けたらいいよ。受けようと思えば何度でも受けられるから」

「けど、僕はもうすぐ三十五になるし、さすがにもう……」

「気にしないで。信彦君の夢なんでしょ? 叶うまでずっと応援するからさ」

「もうすぐ子どもが生まれてくるだろうし……これからは受験どころじゃなくなるよ」

「どうしてそう思うの? 信彦君の悪い所だよ。大学受験の時もそう。自分の家計のことばかり考えて受験を取りやめて」

「潮香さん……」

「どんな状況にあっても関係ないよ。大事な夢なんだもの。どんなに時間を掛けても叶えようよ。お父さんになったって、おじいちゃんになったっていい。家族みんなで信彦君の夢を応援するから」


 潮香の前で、信彦は溢れ出る涙を何度も拭っていた。潮香は信彦をそっと抱きしめると、信彦は潮香の胸の中で激しく嗚咽した。


「さ、泣くだけ泣いたら、一緒にゴハン食べようか」


 エプロンを腰に巻き、鼻歌を唄いながらキッチンへと向かった。


「今日のメニューは、またここから受験を頑張ろうってことで、一年間乗り切るだけのスタミナがつきそうな料理にしようっと。私はまだまだ諦めないからね。夢が叶うその日までは」


 潮香の言葉を聞いて、信彦は涙を拭き取ると、大きく頷いた。


「がんばるよ。僕の夢……いや、潮香さんと僕で誓いあった夢だから!」


 テーブル越しに叫ぶ信彦の声を聞きながら、潮香は笑みを浮かべ、軽く拳を握りしめた。

 その時、潮香のお腹の中が微妙にピクリと動いた。潮香はそっとさすりながら、お腹に向かって語り掛けた。


「おや、あなたもお腹の中から応援してるのかな? パパ、がんばれーって」


(了)

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