第11話 とどかなかった背中

 菊市の父親を見たのは、捜査を終え、署に戻った時だった。

 彼は疲れ果てた顔をしていて、その顔に見覚えがあった。


 記憶がつながるまで、しばらく間があった。


 子供に感心を示していないような表情。

 そんな表現を思い浮かべて、初めて気がついた。


 出島は以前に、あの父親に会っていた。


 まだ出島が所轄の刑事だった頃、あの父親が渋々という顔で署を訪れた。

 その隣には、気の強そうな目をした女の子がいた。


 兄が行方不明になっている。


 そう主張したのは女の子だった。

 父親は付き添いという感じで、ほとんどしゃべることはなかった。


 女の子は、素行の悪い萩谷たちが兄にちょっかいを出していたので、きっと彼らが何かしたのだと言った。


 出島はにべもなく、証拠がないと何もできないと返した。

 そう記憶している。


 父親もそれにならった。


 萩谷の家を敵に回したくない。

 そんなことを言っていたような気もする。


 しかし、それは出島自身の罪悪感が生み出した幻かもしれないと考えていた。


 その女の子、幼い頃の菊市伊佐奈の証言を信じて捜査していれば、きっと今回の事件は起こらなかった。

 いや、捜査まで行かずとも話を聞くことはできたはずだった。


 出島は、蒼人が殺害されたという事象を事件化することなく、背を向けた。


 他に事件があったから、萩谷の家と面倒を起こしたくなかったから、父親は事件化を望まず捜索願しか出さなかったから。

 様々な言い訳を思いつくが、事実は変わらない。


 出島は下げていた頭を上げ、墓を見る。


 菊市伊佐奈は何がしかかったのだろう。

 未だ、その背中に手は届いていないという実感があった。


 そして二度と届くことはないと理解している。


 今の伊佐奈は、幼い頃の印象とは随分違っていた。

 記憶の方が間違っているのかと、父親に中学の卒業写真を見せてもらったが、やはり記憶は間違いではなかった。


 父親の話によると伊佐奈は高校生の時に家を飛び出し、それ以降一度も家に帰っていないということだった。

 以後の足取りは追えていない。


 スナックの同僚である苗木は、伊佐奈が東京から来たと言っていたと証言している。

 そこは真実なのかもしれない。


 もしかすると東京で整形をしていた可能性もある。

 それらは全て、蒼人の真相を探るため、萩谷に近づくための行動だったのだろう。


 地元に返ってきた伊佐奈は、萩谷が良く訪れるというスナックに偽名を使ってバイトに応募した。

 萩谷に言い寄り、彼女としての立場を利用して、蒼人のことを聞き出したのかもしれない。


 しかし、それらは全て推測にすぎない。

 もはや彼女に直接聞くことはできない。


 どうして伊佐奈が萩谷の車に飛び込んだのか、その理由も教えてはくれない。

 なぜ萩谷に危害を加えるのではなく、自らの死を選んだのか。


 萩谷への好意が生まれてしまったのか。

 自らの死を持って、萩谷に新たな殺人という罪を着せたかったのか。


 どこまでも邪推はできるが、全て答えにはならない。


 そして、どうして最期に笑ったのか。

 謎は残り続ける。


 だが、一つだけ浮かび上がる事実があった。

 兄への思いだ。


 伊佐奈の体は損傷が激しかった。

 それとは打って変わって、兄の頭蓋骨は割れることなく、妹の伊佐奈に抱かれていた。


 彼女は復讐を成し遂げたのだろう。


 出島は墓に背を向け、歩みを進める。


 もうここに来ることはないかもしれない。

 そう思うと、いても経ってもいられず振り返り、もう一度頭を下げた。


 ずっとそうしていると、自然に視界が霞に覆われた。

 目を落としている石畳に、ぽつぽつと雫の跡が増えていく。


 勢い良く頭を上げると、出島は乱暴に目頭をこする。


 たとえ取り返しのつかない過ちを犯したとしても、才能がなくとも、刑事を続けようと心に誓った。



 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最期に笑う女 月井 忠 @TKTDS

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ