しわがれた手

葉方萌生

第1話

 ピピ、ピピ、ピピ。

 規則的に鳴る電子音がいつも耳に響いていた。

 耳を塞いだって、頭の中で正確に再生することができるその音は、私をこの場所にがんじがらめに縛りつける。チューブに繋がれた鼻と口、皮膚が薄くなって角ばった喉仏、しわがれた手を、順番に見つめる。一時間、いや一日中、同じことをしているので身体がそうするように勝手に動いてしまうのだ。電子音とベッドに横たわる老爺はいつもセットだった。電子音が聞こえてくれば老爺の姿が目に浮かぶし、老爺を目にすれば電子音が自然と流れてくる。鬱陶しいとか、頭がおかしくなるとか、そんな負の感情は浮かばない。私は今、とても愛しい気持ちでこの場所に四六時中居座っていた。


「ねえ、知ってる? 201号室の……。植物状態なのに、ずっとお見舞いの人が来てるんだって」


「あ、あの高校生の女の子よね? 確かお孫さんだって聞いたけど」


「そうそう。大変よね。息子さんや娘さんらしい人は一向に来ないんだって。なんか、不憫というか。でもお孫さんが来てくれるなら浮かばれるかもね」


 病室の扉の向こうで、看護師なのか研修医なのか実習生なのか分からない人たちの、ヒソヒソと囁き合う声が聞こえる。電子音しか響かない、この静寂に包まれた病室では、廊下で話をする人の声なんて全部すり抜けて聞こえてしまう。

 噂話なんかどうでもいい。私はただ、この人と最後に同じ時を過ごしていることを、噛み締めたいだけなんだ。


 気分転換に椅子から立ち上がり窓を開けると、ほの暖かい春風が優しく吹き込んできた。あの時と同じだ。私がまだ、高校1年生になったばかりの教室と、同じ。怖くて震えていた、情けない自分に吐き気がして、この先の未来に絶望しかけていたあの日、春風と共に、あの人が私の前に現れたのだ。

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