第4話

「二宮さんは興味のある部活とかある?」


「いや、ないよ」


「わー最初からノリ悪っ。じゃあ俺の興味あるとこでいい?」


「どうぞ」


 私は、渡井くんの問いかけに対して常にぶっきらぼうに答えていた。そもそもまだ入学して3日しか経っていないし、彼と話したのは今日が初めてだ。いきなり強引に新歓に連れて行かれただけで親しげに話せるはずがない。

 でも心では、誰かと心を通わせてみたいと思っていた。


 渡井くんは、そんな私の心のうちを知ってか知らずか、中学の時は何をしていたの、とか、好きな食べ物とか、どうでもいいことから私のパーソナリティの核心をつく質問までぽんぽん投げかけてきた。私はその一つ一つの質問に、途切れながらもなんとか答えを出していった。渡井くんは「へえ」とか「俺もカレーが好き」とか、適当な相槌を打ってきて、コミュニケーションが上手な人なんだとすぐに分かった。


 サッカー部やバスケ部、彼が中学時代にキャプテンをしていたというバレー部に見学に行った。どの部活でも、先輩たちは子犬みたいに笑って話しかけていく渡井くんを歓迎した。私は彼の後ろで身を縮こませて、どうか自分には勧誘が来ませんようにと祈る。渡井くんはいろんな部活のいろんな先輩たちから勧誘を受けていたが、「また考えます!」と明るく笑ってうまくかわしていた。


 その日は結局運動部を軒並み見に行って、気がつけば2時間ほど経っていた。下駄箱から出て、校門のそばで夕闇に沈む山を眺めながら渡井くんは「疲れたー!」と大きく伸びをする。私も、気がつけば身体が緊張でガチガチになっていたことに気づく。肩を小さく回すと、滞っていた血液が少しずつ流れていくような心地がした。


「あのさ、一つ聞いてもいい?」


「なに?」


 一つ、と言うところで渡井くんは間を置いたが、一つどころか今日彼の質問攻撃に遭ったのは今さら確認するまでもない。だが彼にとって、これまでの質問は前座に過ぎなかったようだ。渡井くんの表情が、今日一番に真剣なものに変わっていた。


「お母さんが亡くなったのって、いつ?」


 どくん、と脈拍が速くなるのを感じた。私の方をまっすぐに見つめる彼の目を見ていると、とてもじゃないが嘘をつこうとは思えない。彼には、本当のことを話しても良いと思ってしまう。


「1ヶ月前。心臓が悪くて、もう持たないかもって覚悟してたから、突然のことじゃなかった。でも私の家、お父さんがいなかったから。お母さんがいなくなって、私はひとりぼっちになっちゃったんだ」


 亡くなったのはいつ、としか聞かれていないのに、気がつけば胸のうちを吐露してしまっていた。喋りすぎたと気づいてはっと口をつぐんで渡井くんの方を見る。彼はとても真剣なまなざして、私の口元に注目していた。その表情が、「辛かったね」と私の気持ちに共感してくれているようで、痛かった。


「本当は、心臓の移植をすれば治るかもしれないって言われてたの。でもドナーが現れなくて。そりゃそうだよね。心臓がないまま、棺に入れる人なんてなかなかいないよ。分かってた。分かってたんだけど……やっぱり悔しかった」


 話しているうちに溢れ出した涙が、頬を滑り落ちて地面に落下した。私は、母が亡くなってからまともに泣いていなかったことに気づく。「大変だったね」「辛かったね」と親戚たちから言われるたびに、私の今のこの悔しい気持ちや悲しい気持ち、母のことを恋しいと思う気持ちは、そんな一言では済ませられないのだと痛感した。そのあとは親戚たちの間で私の身の寄せる場所を決める押し付け合いが始まって、とてもじゃないが見ていられなかった。


「ごめんね渡井くん。突然こんな暗い話して」


 図らずも人前で泣いてしまったことに罪悪感を覚えつつ、私はゴシゴシと目を擦った。鏡で見なくてもわかるくらい、私の目は充血している。でもふと、目の前にいる彼の目も赤くなっていることに気づいた。


「紘でいいよ」


「え?」


「名前。紘って呼んで。俺も夕映って呼ぶから」


 紘の横顔が、夕陽で赤く染まっていく。夕映え、という自分の名前が昔から好きだった。あまり聞き馴染みがない名前ではあるが、お母さんが、私の生まれた日の夕焼け空が綺麗だったからとつけてくれた名前だ。もうこの世にはいない母がくれた宝物を、今日友達になったばかりの男の子に呼んでもらって、私の胸はかつてないほどに震えていた。


 震えて、嬉しくて、もしかして夢なんじゃないかって思ったぐらいだ。目の前で私をまっすぐに見つめている人気者の男の子は、壇上の私を憐れんだりしない。その事実だけで十分だ。


「分かった。私も、紘って呼ぶ」


「ああ。なんかあったらいつでも俺を呼んでくれよ。夕映の悲しい気持ちをすべてわかってあげられるわけじゃないかもしれないけど……その、話し相手ぐらいにはなれるから」


 ああ、こんなにも今日の空は澄んでいたんだな。

 気づかなかった。母を失って自分の足で立っているだけでも精一杯で、新しく始まった高校生活にうんざりしていた今朝、夕方の私がこんなにも心すくわれた気分になっているなんて。

 それもこれも全部、渡井紘のおかげだった。

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