第9話
あれから5年。
一日も欠かすことのなかったお見舞いを、私はついにやめることにした。きかっけは一週間前の夜に降った雪だ。暦の上ではもう春なのに、ちらちらと降る雪を見て、思い出したことがあった。
もし自分が誰かのために命を使えるなら、それほど嬉しいことはない
あの言葉は、私のために一生の命を使うという意味なのだと思っていた。もちろん、そういう意味もあるのだろうけれど、チューブに繋がれてかろうじて命を繋ぎ止めている紘を見ていると、違う意味にも思えてきたのだ。
私は、昔自分の母が心臓移植を受けられずに亡くなったことを紘に話したことを思い出す。紘はきっと、誰かのために命を使いたいと思っている。臓器移植について、これまで考えなかったわけではない。でも私の心がそれを拒否していたのだ。紘を失えば、私はまた一人になるのだと。いつまで続くか分からない自分の命と、向き合わなければならなくなると。
私は、夢中になって紘の部屋の中を漁った。
机の引き出しの奥、クローゼットの中、ベッドの下を漁り尽くした。
そして、ようやく見つけた「臓器提供意思表示カード」を見ると、すべての臓器を提供する意思表示がされていた。
「やっぱり、紘はすごい」
私が愛した男の子は、他人のために命を使える人だ。
私の目に狂いはなかったんだ。
私は、臓器提供意思表示カードを持って、医者に紘の臓器移植をするという決断を示した。契約書類にサインを施すと、手術はすぐに執り行われることになり、今日、私は紘を手術室へと見送った。
紘のしわがれたまだ温かい手を、最後にそっと握る。
「え?」
気のせいだと思う。だけど、紘の手が私の手をぎゅっと握り返してくれたような気がした。
堪えていた涙が一気に溢れ出して、私は自分の目を擦る。泣いていたらきっと紘に心配をかける。私はもう子供じゃない。前も後ろも見えなくて泣いていた高校生の私じゃない。
大丈夫。私は一人でも、この先を生きていくから。
電子音はもう聞こえない。
紘の命の終わりに、誰かの命の再生に、私は一人、祈りを捧げる。
【終わり】
しわがれた手 葉方萌生 @moeri_185515
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます