第8話
***
「それでは今から、渡井紘さんの臓器摘出手術を行います」
医者が私の目を見据えて、はっきりとそう告げた。私は唇を噛み締めてしっかりと頷く。ここで迷ってしまえば、医者だってきっとやりにくいだろう。最後まで、私はまっすぐにこの老爺を——渡井紘を、見つめていた。
紘が交通事故に遭い脳死状態になったのは、今から5年前のことだ。ちょうど紘が、「もし自分が誰かのために命を使えるなら」と私に伝えてきた日の翌日のことだった。
紘は勤めていた会社で、最後の出勤を終えた帰りだった。横断歩道を渡っている最中に、道でつまずいてしまったらしい。ちょうど青信号が赤に変わる瞬間の出来事で、体勢を崩した紘の姿が、乗用車の運転席から見えなくなったしまったのは、仕方のないことかもしれない。
車と衝突した紘の身体は一回転し、地面に落下した。打ちどころが悪く、何日も意識が戻らない中、医者から「脳死です」と告げられた。
目の前が真っ暗になって、私の世界から再び光が失われた。茫然自失状態でお見舞いに通い続ける日々。私はこの人の妻なのに、周りから見れば孫にしか見えないのだろう。かわいそうに、と噂する声がいくつも耳に響いた。そのどれもが、私の胸を通過し、過ぎゆく季節と共に過去へと押し流されていく。
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