第38話 シリウスの伝言

「『翼なき身は、大気をまといて翼とす――』」


 とある穏やかな日の、昼下がり。ひとり魔法学校の中庭に出てきたメルクリオは、覚えのある呪文詠唱を聞いて足を止めた。


 庭の中心に目をやると、これまた見覚えのある少女が背筋を伸ばして両手を広げている。


「『――地のくびきよりゆるされて、今、天へと羽ばたかん』」


 力強い詠唱が終わった直後、少女――エステルの金髪がふわりと躍る。それからゆっくりと体が浮き上がった。浮遊魔法が成功したらしい。


 しかし、エステルは喜ぶどころか眉を寄せた。額に汗の玉がにじみ出る。彼女が歯を食いしばった直後、彼女の周囲で渦を作っていたアエラが一斉に散った。浮き上がっていた体が唐突に落ちる。結果として、エステルは奇妙な声を上げ、尻餅をつく羽目になった。


 痛みに顔をしかめた少女は、そのまま芝生の上に転がる。


「……っあー! またダメだった! 三秒が遠い!」


 元気いっぱいの叫び声は、周囲の校舎内にまで響くのではないかと思うほどだ。


 メルクリオは苦笑して、そっとエステルに歩み寄る。


「およそ二・四秒ってところだな。惜しかった」

「――メルク!?」


 エステルは勢いよく上体を起こす。メルクリオが軽く手を挙げると、彼女は両側の頬を押さえた。


「やだあ、見られてた。恥ずかしい」

「恥ずかしがることないだろ。一年生でそこまでできてれば十分だ」


 彼が軽く首をかしげると、助手は酸っぱいものを食べたような表情で頭をかく。


「タウリーズ先生にも同じこと言われた。何なら飛び級もできるぞって言われた」

「すごいじゃんか」

「飛び級はしないけど」

「しないんだ」

「まだまだ授業やりたいし。番人の助手もしてたいし」


 エステルにとっては、成績よりもそちらの方が重要らしい。今の結果に不満げなのも、大図書館での業務を見据えているからだろう。


 メルクリオは思わず、姿を隠している相棒と苦笑しあった。


「そういえば、飛行魔法を学んでて気づいたんだけどさ」


 ふと、エステルが目を瞬いて、メルクリオを見上げてくる。


「メルクって、普段呪文を省略してない?」

「おっと」


 助手からの問いに、番人は肩をすくめた。


「気づかれたか」


 彼がおどけて答えると、エステルは「やっぱり!」と手を叩く。


「すごいなあ。メルクくらいになると、そんなこともできるんだ。私もいつか、できるようになるかな?」

「……いや。普通はできない」


 無邪気に瞳を輝かせるエステルに、メルクリオは低い声で返した。その瞬間、彼の隣に薄羽を持つ精霊が現れる。


『エステル。間違っても真似しないでくださいね。体が吹き飛びますから』


 ルーナが忠告すると、少女は凍りついた。


「……ど、どういうこと?」


 しばらく黙ったのち、恐る恐る問うてくる。メルクリオは頭をかいて、彼女の隣に座り込んだ。


「『魔法基礎』の最初の方でコルヌが言ってただろ。長く詳しく詠唱するほど、魔法は正確になっていくって」

「う、うん」

「詠唱を短縮するってことは、その逆。魔法を粗雑なものにするってことだ。思い通りに発動しないことがほとんどだし、暴発だってしやすくなる」


 体が吹き飛ぶ、というルーナの言葉は単なる脅しでもなければ誇張でもない。魔法の暴発によって体の一部を失った魔法使いは過去にたくさんいる。


「で、でも、メルクは普通にやってるし、暴発だって起こしてないじゃん」

「俺は、精霊契約者だからな」


 メルクリオは、肩の上あたりで浮いているルーナを一瞥する。


「精霊と契約すると魔法使いのアエラが変質するっていうのは、ご存知のとおり。ルーナほどの精霊が相手となると、魔法使いは半人半精霊に生まれ変わる――といっていい。ただの人よりもアエラに近しく、アエラに意志を伝えやすい」

「……だから、詠唱が短くてもアエラを思い通りにできる?」


 エステルが、目覚めたような顔で先を引き取る。メルクリオは指を鳴らして「その通り」と笑った。


「俺たちにとって呪文は補助具だ。とはいっても、純粋な精霊ではないから、呪文が必須なことは変わりないんだけど」


 エステルが感嘆の吐息をこぼす。淡々とした解説に聞き入っていた彼女は、それが途切れるとまじめくさって腕を組んだ。


「やっぱり大図書館の番人は特別なんだね」

「……ま、その捉え方でいいよ。必ず精霊と契約するのなんて、番人くらいだからな」


 メルクリオは、やや視線を逸らす。嫌味でなくそういうことを言われると、反応に困るのだった。


 胸がむずむずする。その正体をつかめずに、少年は頬をかく。そうしていたから、気づかなかった。しきりにうなずいていたエステルが眉を曇らせたことに。


「半人半精霊、か」



     ※



 その日の放課後。エステルは、変わらずグリムアル大図書館にやってきた。教師が返却した本の仕分けを終えると、シリウスの研究書とにらめっこを始める。


 真剣な彼女を見つけた骸骨頭の紳士が、その背後にそっと近づいた。気づかれぬよう頭蓋骨を寄せ、奇声を上げる。暴風を思わせる叫び声は大図書館じゅうに響き渡った。当然、そばにいたメルクリオの耳にも届いた。


「ぎゃあっ!」


 エステルが、椅子を倒さんばかりの勢いで飛び上がる。ほかならぬギャリーが椅子を押さえたため、転ぶことはなかった。しかし、彼を振り仰いだ少女は涙目だ。


「びっくりした……心臓止まっちゃうかと思った……」

「あんまり反応すると獲物認定されるぞ。どこぞの監査員みたいに」


 とっさに耳をふさいでいたメルクリオは、覆いを外して二人を見る。エステルが不服そうに頬を膨らませた。


「見てたんなら止めてよ」

「習性を我慢させるのはよくないと思って」


 白々しくもそんなことを言った番人は、顎の骨を鳴らす紳士を見やる。彼はひとしきり笑うと、正面玄関の方へ戻っていった。満足したらしい。


 メルクリオも気を取り直して、立ち上がる。そのままエステルの手もとをのぞきこんだ。


「今日はどの本を見てるんだ?」

「これ。こういう本の方が、何か隠しやすいかなあと思って」


 エステルが嬉しそうに示したのは、ずいぶんと薄い冊子だった。シリウス関連の蔵書の中でもひときわ存在感を放つ、手書きの冊子たちの一部だ。


「確かにな。いい選択だと思う」


 これらはシリウスが個人的な記録として残していったものなので、目録には載っているが著者登録されていない。他人に見つけられる可能性が低いぶん、仕込みがしやすいのはあるだろう。


 冊子は紙の端に二か所穴をあけ、そこに紐を通して束ねただけの簡素なつくりだ。エステルは、その分厚いページを慎重にめくる。そして、瞳を輝かせた。


「あっ。懐かしい」

「ああ……あいつ、こういう書き方するよな」


 二人がのぞきこんだ見開きページには、単語がびっしりと書かれている。そのひとつひとつは関連性がなさそうにも見えるが、著者の中では何かしらの法則で結びついているらしい。シリウスが使う『暗号』の一種といえるだろう。


 エステルがそれを指でなぞってほほ笑む。


「私ね。こういうお父さんのメモを見て『なぞなぞみたい!』って喜んでたんだ。そうしたら、お父さんが本当に私のためのなぞなぞを作ってくれて。一時期、それでずーっと遊んでたんだよ」


 嬉しそうに語る少女に相槌を打ちつつ、メルクリオはひそかに「隠れ英才教育……」と呟いた。


「でも、本物の研究書でやらせてもらえたことはなかったなあ」

「それはそうだろうな」

「やってみたいなあ」

「やってみるか? 紙ならあるけど」


 助手があまりにも楽しそうなので、番人はつい口を滑らせてしまった。


 エステルは「いいの!?」と喜色満面で振り返る。メルクリオはうなずいて、踵を返した。しまった、と胸中で呟きながら。


『シリウスに怒られますよ?』

「今度会ったときに謝るよ」


 笑い含みの相棒の言葉を受け流して、メルクリオはエステルのもとに戻る。学校からもらってきた書き損じの紙を差し出すと、彼女は嬉しそうにペンをとった。


「えーと『新月』と『火』だから、ここは『道しるべ』でしょ。『りんご』が一行目と三行目にあるから、これがこう……」


 独り言を漏らしながら、紙にペンを走らせていく。真剣ながら楽しそうな横顔を見つめ、メルクリオは口元に指をかける。


「ふむ。なぞなぞ、ねえ」


 呟いて、エステルの方を見つめた。


 それからどれくらい経った頃だろう。エステルが弾かれたように顔を上げ、メルクリオを呼んだ。彼女の様子をうかがいつつ本の点検をしていた少年は、すぐさま机の前へ飛んでいく。


「どうかしたか?」

「なぞなぞ、解いたんだけどね。最後の方によくわからない文章がでてきて……」


 少女は、一部の研究者が聞いたら卒倒しそうなことをさらりと言う。それから、「ほら、これ」と自分の手もとの紙を指さした。メルクリオは、少し顔を近づける。


「三十五の三、百五十二の向かって左、合言葉は『もじをほどいて』――」


 エステルの字で記された暗号の解を読み上げ、首をひねった。


「なんだこれ?」

「メルクでもわかんないか……」


 残念そうに呟いて、エステルは書き損じの紙の端をつまむ。目に入った文字をにらんで、むう、とうなった。


「合言葉はわかるんだけどなあ」

「俺はそこがわからないんだけど」

「そうなの? 呪文だよ、これ」


 エステルは当然のように呟く。しかし、メルクリオは目をみはった。ルーナも隣で羽を張る。


 二人の様子に気づいていないのか、エステルは変わらぬ調子で続けた。


「『文字をほどいて、内なる音を描き出せ――』っていう。お父さんがたまに使ってた」

「『ひな形』の呪文ではないな」

「やっぱりそうなんだ。お父さんが作った呪文だったのかなあ」


 呪文の本に載っていなかったため、不思議に思っていたらしい。そのようなことを呟く助手の隣で、メルクリオは考え込んだ。


「呪文、暗号、なぞなぞ……合言葉……」


 シリウスが記したもの。その娘が当然のように語ったこと。それらを並べ立て、ときに解体して、探っていく。


 気の遠くなるような思考の果て。闇の中で、火花が散った。


 息をのんだメルクリオは、思わず机の天板を叩いた。隣の少女が飛びあがり、引きつった顔を向けてくる。


「め、メルク?」

「……書架だ」

「え?」

「三十五番書架の三段目にあるシリウスの本、百五十二ページの向かって左側」


 エステルも、メルクリオの言葉を聞いてはっと顔を引きつらせた。


 頭と手をうろうろさせている彼女の横で、少年は本の山に目を走らせた。


 頭の中で目録をなぞる。該当する本は、すぐに見つかった。それを山の中から素早く引き抜き、めくる。百五十二ページで手を止めて、左の方に視線を走らせた。


 何の変哲もない文字の並び。それを意識してにらみつける。


「ルーナ。アエラは――」

『感じますね。うっすらと、ですが』


 精霊の言葉をよすがに、さらに感覚を研ぎ澄ませた。そうすると、確かに不自然なアエラの流れを拾うことができる。魔法をかけた痕跡だ。


「魔法の気配って、こんなに隠せるものなのか。すごいな、あいつ」

『狙ってやったんでしょうね。“見るべき時”に見せるために』


 見るべき時に見せるため。それまでは番人や館長にも気づかれないように。そこまで考えてかけられた魔法を解く鍵は、ひとつだ。


「エステル」


 呼ぶと、助手はひっくり返った声で返事をした。メルクリオは手元の研究書を、開いたまま彼女に差し出す。


「さっき言ってた合言葉の呪文、全部覚えてるか?」

「ぜ、全部? えーと、ちょっと待ってね……」


 エステルは戸惑いつつも、額を押さえて考え込む。少ししてから顔を上げ、胸の前で拳を握った。


「うん……うん! 大丈夫、思い出せた! ……と思う!」

「よし。それじゃあ、詠唱してみてくれ」


 メルクリオが本を手渡すと、エステルは開かれた個所をまじまじと見る。


「百五十二ページ……えっと、ここ?」

「そうそう。そのページを意識して」


 アエラを感じた部分を指さすと、エステルの目もそこでとまった。力強くうなずいた彼女は、息を吸う。


「『文字をほどいて、まことの姿を描き出せ。その本質は響きにあらず。その本質は形にあらず。まことを知る者にのみ、言葉の道は開かれん』」


 澄み切った詠唱が、高い天井に反響する。その余韻が耳に届いて消えた瞬間、目の前のページがまばゆく輝いた。


 二人はとっさに顔を覆う。光ったのは一瞬だった。世界に色が戻ってきたのを確かめて、メルクリオはそっと腕を顔の前から外す。エステルが両手でつかんでいる本を見て、つかのま絶句した。


『手の込んだことをしますね』


 ルーナがささやく。そこで顔を上げたエステルが、開かれた本をまじまじと見た。


「え……あれ? 文章が、変わってる……?」


 二人が見ているページには、それまでとは全く違うものが浮かび上がっていた。しかも、研究書のお堅い内容ではない。話し言葉でつづられた、やわらかい文章。それは、手紙のようだった。


「えーと……『偉大なる大図書館の番人、メルクリオ様へ』……メルク宛て?」

「だな」


 メルクリオは小さくうなずく。彼が目配せすると、エステルは戸惑いつつも文章を読み上げてくれた。



『偉大なる大図書館の番人、メルクリオ様へ。


 あなたがこれを読んでいるということは、暗号を読み解いたということでしょう。その行いに敬意を表し、また感謝を申し上げます。――もしかしたら、娘が見つけたのかもしれませんね。それはそれで、喜ばしいことです。


 一方それは、今、私の周囲で起きている問題が、悪い方へ転がっていることの証左でもあります。きわめて深刻なこの事件に、あなたを巻き込んでしまったのでしょう。たいへん申し訳なく思っております。なんとか事が大きくなる前に彼らを止められないかと思い、手を尽くしましたが、力が及びませんでした。


 詳しく説明したいところですが、時間がありません。この本に書けることも多くはない。ですので、一番に伝えたいことを記しておきます。


 よいの星には気をつけて。


 シリウス・アストルム』



 メルクリオたちは、しばらく沈黙していた。ギャリーの足音を遠くに聞いて、やっと正気を取り戻す。


 エステルが、手紙の形をとった伝言をにらんで金色の眉をしかめた。


「どういうこと? 『宵の星』って、なんのこと?」

「……わからない」


 かぶりを振ったメルクリオは、肩の上に視線を移す。薄羽を羽ばたかせる精霊も『存じ上げません』と答えた。


 誰にともなくため息をつく。エステルが、本に額を押し付けた。


「気をつけて、って言ったって……。これだけじゃどうしようもないよ、お父さん……」


 番人と館長は思わず顔を見合わせた。けれど直後、揃って口を開く。


『落胆するのはまだ早いですよ』

「いくつかわかったこともある」


 エステルが、勢いよく顔を上げた。


「本当?」


 すがるような問いかけに、メルクリオはうなずいた。「あくまで、この文章だけを読んだうえでの推測だけど」と前置きし、続ける。


「『問題』、『深刻な事件』、『彼らを止めようと力を尽くした』……。ここから読み取れるのは、シリウスが何か大きなこと――組織的犯罪のようなものに巻き込まれたこと。それを止めようとしたものの、失敗したこと」


 こめかみを人差し指で軽く叩く。言葉を整理し、覚悟を決めて――彼は、アストルムの娘を見据えた。


「その結果、禁術使用の罪を着せられたこと……だな」

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2025年1月1日 06:00
2025年1月3日 06:00
2025年1月5日 06:00

大図書館の番人 蒼井七海 @7310-428

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