第10話 陶奇談
先日購入した商品を返品のために、風呂敷鼓を抱えて私はその店の前に立った。
しかし、ドアは閉まっていた。
古伊万里の大皿、染付の壺が並ぶショーウィンドウ越しに覗き込んだ店内は薄暗い。
勢いがそがれて、気分がうっ屈しかけたその時、店の奥に動く影があった。
ショーウィンドウ越しに目と目があう。骨董品店には奇異なその姿に、私は目を見張ったのだが、彼はドアを開けて私に言った。
「いらっしゃい」
店から出てきたのは、金髪の若い白人男性だった。
先日私の相手をした店主は、初老の男で日本人だった。
この骨董品店は、西洋の陶磁器も扱ってはいるが、和物の方が多い。その店に客ならとにかく、店側としての外国人は場違いだった。
やっぱりどう見ても外国人である。
商談の事もあるが、骨董というマニアックな領域の会話は大丈夫なのか、この青年では客に対して和の品物の由来や、歴史の説明をする説得力に欠けそうな気がしたが、鍵を開けて照明を点けてくれたところ、店の人間である事は違いない。
あっけにとられていたが、私は気を立て直し、口調強く言った。
「店主を呼んで欲しい」
店の奥に上がり框があり、部屋の一部の畳が見える。店の人間用の部屋であろう、そこを見やりながら、私は風呂敷包みを商談用のテーブルの上に置いた。
「返品に来たんだ」
風呂敷包みの結び目を解き、私はティーカップを取りだした。
白地に金のラインが縁取られ、中央にはスミレの花が描かれている。私はそのカップを引っくり返した。
裏には、カップの窯を示すマークがある。
青い×マークに似ているが、2本の剣を交差させた刻印である。
「マイセンの双剣マーク」という。
その下にはスクラッチ(引っかき傷)が小さく入っている。
「これを返品したいんだ」
店番の青年が、両の手で包み込むようにカップを持ち上げた。
注意深く検分している彼に、私は述べた。
「店主はこれを値打ちモノだとすすめたが、品物としては二級品なんだよ。」
……昨年に会社を定年退職し、それまではあまり趣味らしいものが無かった私だったが、妻にあちこち開催されている骨董品祭やアンティークマーケットに連れ回されている内に、この道に入ってしまった。
学生時代に歴史が好きだったこともあるが、骨董品収集とは文化的に見えて、男が好む相場や博打的要素もあるのだ。
戦後、日本の美術品が海外に大量流出し、そして今なら中国人富裕層が美術品を買いまくっている事から分かる通り、金持ちというのは骨董品に手を出す。
その相場の動きは国内だけではなく、外国にも連動するのだ。
その要因は景気だけではなく、狭い世界ながら流行によっても値段が動く。売り買いで儲ける事も可能だ。
しかも古物という生産のきかない世界であるから、品の良し悪しを見分ける「目利き」も必要となる。美の感性もだが、エコノミストの目も必要になるからだろう。この愛好者道には、やはり男性が多い。
とはいっても、私はまだまだ初心者である。
品物を見極める目を肥やすには、美術館なり店の品なり、もっと色々な作品を見て、研鑚を積まねばならない。
そこで先日、ぶらりと立ち寄ったのがこの店だった。
退職した会社へ、ちょっと用事が出来て顔を出した帰りだった。
オフィス街の裏側にあるこの店に、会社員である時は素通りするだけで、入ったのはその日が初めてだった。
出入り口のガラス戸を引くと、思ったよりも奥行きがあり、ガラスケースや古民具の棚に並ぶ品ぞろえは、日本の古伊万里や染付、陶磁器が主で、西洋のティーセットなども並んでいる。どちらかといえば万人向きの品ぞろえだった。
店の奥には大人の背丈ほどもある、古い柱時計がある。
今ではもう見る事のない、ゼンマイ仕掛けで振り子があるタイプだ。時計の針は止まっているが、まだ動くのだろうか。
その中で、私は白い陶磁器のカップに目が吸い寄せられた。
妻が趣味でポーセリンペインティング(陶磁器の絵付け)を習っている陶磁器好きなので、自然と私もそちらに目がいってしまう。
それがこのマイセンのティーカップである。
ティーカップに目を止めた私に、初老の店主は、カップの裏の刻印を指示して説明した。
「このマークは1924年頃のマイセンです。スミレなんて、あまり見ない絵柄でしょう。ほら、マイセンでよくあるのって、バラとか派手な絵柄や金彩でしょ。この時代のものは、この後に戦争が入っているから、数が少なくて市場には出回らないし、こんなシンプルな形も珍しいものなんですよ」
マイセン窯は18世紀に、東洋の白い陶磁に憧れたザクセンの王が、錬金術師を幽閉し て作らせたヨーロッパ最初の白磁であるくらい、アンティーク初心者の私でも知っている。
しかし、それだけに高価である。
躊躇する私に、店主は言葉で後押しした。
「将来値上がりしますよ。マイセンの人気は昔から安定していますし、なんといっても珍しい品物ですからね」
しかし、持って帰ったこのカップに、妻は苦笑した。
「あら、これ二級品じゃないの」
裏にある窯の刻印につけられたスクラッチ(引っかき傷)を示して、妻は言った。
「知っていてそんなにお金出したの?よく見てよ。傷がついているでしょう」
このマークは、工場で検品の際、規格外品につけられるものだという。
焼き上がりの色が薄かったり、絵付けに多少問題があったり、素人目には分からない程度らしいが、それでもセカンドクラス……確かに、店主の言うようにあまり市場には出回らないし、普段の使用には差し支えない。
しかしブランドの価値は大幅に下がる。
大枚をはたいた品が値打ちモノどころか、二級品と言われて私はかなりへこんだ。言われてよく見れば、デパートや美術館で見る、マイセンの緻密で繊細な絵柄とはタッチも違い、どこか幼稚な絵付けと品質である。
あの店の主人に無知さ加減を見抜かれて、カモにされた気分になった。お陰でこのカップを使う気も失せた。見ると忌々しい。
おまけに、このカップを購入して以来、なんだかツキが落ちた気がする。
実に些細なのだが、指を挟んだりモノを落としたりと、いい事が無い。
「呪いのカップじゃないでしょね」
妻はそう言って、切った私の指を手当てしながら口を曲げた。
アンティークの宝石だの、絵画だの、そういったモノに昔の持ち主の念がこもるのはよくある怪談である。
今まで買った品物には、そんなこと別に気にした事は無かったが、騙された感もあってこれを使うのも気分が悪い。
……そう言う訳で、返品する事にしたのだった。
「これは二級品なんだろう」
私は青年にカップの刻印とスクラッチを見せた。
「値打ちのある一級品にはつかない傷だぞ、いくらこれがマイセンだと言っても、規格外品なら、値が上がるどころか市場価値も無いじゃないか」
骨董の価値は「人に夢を見せる」事にある。
過去と現在をつなぐ形ある媒体。その過去が遠ければ遠いほど物語は長く、現存する形が完璧である程に夢は鮮明に浮かぶ。それが骨董の価値であり、存在意義なのだから、品物の由来や素情に虚実が混じる事は許されない。
「店主を呼んでくれ。直に話をしたい」
この青年は、雇われているだけだ。
しかし私が声を強くしたにもかかわらず、青年の態度は平然としていた。
「それは出来ません」
客が苦情を寄せているなら、すぐにでも責任者を呼ぶのがセオリーだろう。
やっぱり外国人では、その辺りがずれているのだろうかと、要領を得ないものを感じながら、はっきりとした意思表示のためにも、私は声を荒げた。
「君は店員じゃないのか?客が店主を呼べと言っているんだ、呼んで来てくれ」
しかし、青年は店主を呼びに行くどころか、態度すら平淡のままだった。
「私は、店員ではありません」
「……何だと?じゃあ、君は何なんだ。店番じゃないなら、家族か何か?」
「家族でもありません」
奇妙すぎるその態度に、ふいに私の背中にうすら寒いものが走った。
強盗か?外国人窃盗団が、世間をにぎわした事も記憶に新しい。
慌ててポケットにあるはずの携帯を探り、店の中を見回す。
この青年が盗人だとしたら、仲間が潜んでいる可能性に気がついたのだ。
しかし、犯罪者にしては彼の態度は静かすぎた。
あせりもなく、暴力じみた気配もない。
そして、レジも商品も荒らされた形跡はなく、店の中は静かで落ち着いている……やがて、私は青年の更なる奇妙さに気がついた。
外国人だから、日本人とは違う佇まいが当然はいえ……服装の違和感に気がついたのである。
古臭い服装だった。
いや、流行遅れとか古着とかそういうのではなく、時代遅れなのだ。
まず、ズボンの股上が深すぎる。
サスペンダーまでつけ、白いシャツも死んだ私の父が着ていたものを思い出す。
まるで、ヒッチコックの映画などオールドムービーに出てくる衣装なのだ。
私は店内を見回し、ふいに空間が歪むような錯覚をおぼえた。
外は21世紀だが、この店内全ての商品は、全て時間が止まった過去の遺品なのだ。
その中で、現代というカテゴリにあるのは私1人。
この青年を前にして、私は一瞬時空が歪んだような錯覚にとらわれた。
……このカップにも、物語があるんですよ。
妙な感覚の内側に、ふいに飛び込んできたのは、彼の言葉だった。
「或る、若い職人が絵付けをしたカップです。カップの絵付けをすることになって、日は浅い頃でした」
子どもの頃から、絵が好きだったらしいです。と彼の口は動いた。
「熱心な職人で、暇があれば外に出て、ずっと花の色や鳥の姿を見つめていました。修行して、工房に入って仕事を始めたのは13の時。最初は平面に単純な花の図案、そして腕が上がると、任される絵柄や種類が広がっていって……」
青年は、カップに描かれた花を指でなぞり、くすくすと笑った。
「上達を見込まれて任されるようになったとはいえ、すぐにはカーブのある地盤に慣れなかったのかな。小花はなかなか上手だけど、スミレの花弁は丸みが無くて角ばっているし、花弁も葉っぱも槍のようだ。釉薬にも少しむらがあるな。その後の彼の絵彩からは想像も出来ない」
……ふいに、カップを指でなぞる店番の外国人青年の姿が、異国の若い陶工のイメージと重なった。
陶磁器のカーブに、ぎこちなく筆を動かす少年の姿に。
「この最初の作品を工房から譲り受けて、彼はずっと部屋に置いていました。もう、死にましたが」
「……」
古臭い服装の青年は、まるで「彼」と知り合いのような口調だった。しかしそのはずはないだろう。
今から90年近く前に作成されたカップだ。
そのカップを彼はそっと柔らかな風呂敷の上に置いた。
まるで壊れやすい宝物のように。
「……ひどい話です。確かにこれは不完全な作品ですが、それでも人に愛された過去を持っている」
その「ひどい話」とは、返品を迫った私の事かと思いかけたが、青年は私を見ずに、店の精算台の椅子を見ていた。
そこは店主が掛けていた椅子だった。
こんな茶碗の話があります、と彼は続けた。
「その茶碗は、ある高名な陶芸家の「写し」でした」
「写し」とは、いわばコピー商品の事だ。
コピーといっても人を騙すとか、そんな悪意の無いものもあり、職人が修行の一環として、大家の作品を真似て作ったものもある。
マイセンも開業当初は伊万里などを真似たものが多く「柿右衛門写し」は有名だ。
「無名の職人が作った写しとはいえ、素晴らしい茶碗でした。ある大昔の高名な陶芸家に憧れ、彼の世界や精神をより理解し、それを越えようと、陶芸の道に一生を費やした男の作品でしたから。無名であるとはいえ、彼の焼き上げた作品の1つ1つには、陶芸家への憧憬と愛情で出来た、彼の魂がこもっていた。自然、彼の作品には大家と似通った、共通した作風がある。しかし、その無名の陶芸家の作品に、目をつけた商売人がいた」
「……」
「商売人はその作品を買い集めた。時代を誤魔化すために泥に埋めて傷を作り、渋の古色をつけて目録を作り、大家のものだと偽ったのです。こうやって無名の茶碗は全て贋作と成り果てて、高額で売りさばかれた。だが、その茶碗が大家のものではないと知られた時……茶碗は人々から床に叩きつけられ、壊された。そして真の作者名は1人の陶芸家ではなく、贋作職人として人々の間に広まった」
骨董収集の中ではたまに聞くが、ひどい話だった。
この場合、騙した方も悪いが、騙された方も泣き寝入りするケースは多い。
事を表ざたにすると、趣味人として、場合によってはプロもいるが、自分の鑑定眼の甘さを世間に暴露する事になるからだ。
だか、私はふと気がついた。
私はどちらに同情したのだろうか。
贋作で金をだまし取られたコレクターか、それとも魂を込めて作り上げた茶碗が、贋作に仕立て上げられた挙句に壊されて、まがい物作りの汚名を着せられた職人か。
「私たち……ここにあるものは、価値の有る無しに関係なく、それぞれに時間を経てきた」
店主の椅子から目を離して、陳列棚に並ぶ骨董の品々を青年は見回した。
「真贋や金銭的価値なんて関係ない。過去から現在までを今まで存在してきた、己自身の物語を持っている。市場価値なんて、売主の口車と買主の思い込みでしか成り立たない、実に馬鹿げた思い込みだ。そんな事のために、勝手に金ぴかのメッキを施され、偽りの物語を背負わされて、時には人を騙す道具にされてしまう」
……私は、持ってきたティーカップに目を落とした。大金を払って安物のガラクタを掴まされ、何が何でも返品してやると思っていた勢いは萎えて、自分以上の被害者がここにいる気分になっていた。
どうしよう、そう悩み始めようとした私に、青年は言った。
「残念ですが、もう返品は出来ませんよ」
「……カップの身になれって意味か?」
骨董品を擬人化したような、情緒的な話の目的はそれかと、私の頭に激昂の火がつきかけたが、青年は顔を横に振った。
その表情は、どこか悲しげですらあった。
「理由は単純……店主はここにはもう来る事が出来ないからです」
青年は付け加えた。
「この日本には、古いものには心が宿る、という言葉がありますね」
「……ある」
「その通りです。人から愛されたものには、愛着という持ち主の記憶の残滓が残る。意志はありませんが、人の心が移るのです……彼は、やり過ぎた」
青年は、店の奥を見た。
「心が宿るものは、復讐をします」
無機質に告げられた「復讐」の言葉に、私の胸にざわりと厭なものが走った。
青年と同じ方向へ思わず目をやったその先、青年の肩越しに見えるそこに、白い足袋が転がっている事に私は気がつく。
足袋には足首がついている。
私は部屋に飛び込んだ。
目に入ったのは、眼球を剥き出して、胸をかきむしるようにして倒れている、あの店主の苦悶の顔だった。
「きゅっ」
救急車を、私は青年へ向かってそう叫ぼうとした。
そして咽喉が凍った。
……青年が、店にある柱時計の中へ吸い込まれるように、ゆっくりと消えていく最中だった。
店主の死因は、心不全だった。
畳敷きの部屋も、在庫らしい、店と同じく骨董品にあふれていた。
店主は、その骨董品に囲まれて絶命していた。
持病は無かったらしいのだが。
第一発見者である私は、警察に事情聴取に呼ばれたものの、すぐに解放された。死後数時間経った、店主の死体の状況などを見て、事件性は無いものと判断されたらしい。
だが、あの青年はあの店の中で、死んだ店主の傍にずっといた事になるのだ。
それなのに私は、居合わせていたはずの青年の事を警察で言えずにいた。
目の前で人間が消えたなど、信じてもくれまいし証拠もない。
自分でも消化する事が出来ない、そんな話を誰かに話すのは、ひどく馬鹿げた行為に思えたのだ。
彼が何者であったのかは分からない。
しかし消化が出来ないなら、忘れてしまうに限る。
店主の死が他殺ではないと、警察がそう判断したのだ。マイセンのカップも結局返品が出来なかった。そのまま家にある。
少したったある日、妻が食器棚の奥からあのマイセンのカップを取りだして言った。
「ああ、やっぱりこのカップ、まだ家にあるのね?」
妻には青年以外の事の経緯は話している。
「結局、騙されたままに終わったようなもんだよな」
骨董は怖いねぇと、深い意味を交えて嘆く私に、妻は笑った。
「ならこのカップ、私に頂戴。マイセンの絵付けにしては下手だけど、筋が良いわ。これからこの人の腕は伸びるわよ……と、昔の人に対して言うのも変だけど」
「ふぅん?」
趣味で陶器の絵付けをしている、妻ならではの審美眼に叶ったのか、カップの花を妻は優しく指の腹で撫でた。
過去を覗き込むようなその目は、あの青年と同じ色をしていた。
「きっと良いマイスターになったでしょうね、愛嬌ある、可愛いスミレの花だわ」
妻の目に、私は気がついた。ああ、そうかと。
骨董収集の神髄とは、歴史や真贋、コンディションに囚われたうんちくや価値判断ではない、想像力を使った遊びなのだと。
その品を通して、過去の人々と自分の感性を重ね合わせる、それがまず基本なのだ。それは決して、相場や博打が前に出る世界ではない。
そう思った時だった。
声が聞こえた。
『その通りですよ』
私はギクッとして左右を見回した。
我が家に、夫婦以外の人間がいるはずはない。
……空耳か。
ホッとしたその時、視界の外側で金色の輝きが一瞬、見えた気がした。
恐怖笑短集 洞見多琴果 @horamita-kotoka
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