[9]大切なもの

「ありがとうございましたー」

「おぅ、あずちゃんまた来るわー」

「おやすみぃー」

 午前一時。いつものように最後のお客さんを送りだし、看板のライトを消してドアを施錠すると、私はカウンターの上を片付け始めた。ママは厨房に入っていき、「あずちゃーん、かぼちゃの炊いたん、まだちょっと残ってるわ。持って帰るかぁ?」と訊いてくれた。かぼちゃは大好物だ。私は「もらうー」と返事をし、ボトルを棚に戻し、グラスや灰皿を下げた。カウンターの中に入ってさっと洗い物を済ませ、伏せて置いたグラスにクロスを掛けておく。

「今日も田子森さん、来ぃひんかったなあ」

「……そうね。どこか他のお店にお気に入りでもみつけたのかも」

 ええお客さんやったのに、とごちるママに、私は云った。

「でも、まだボトルは残ってるし、忘れた頃にひょこっと顔をだすんじゃないかしら」

「せやったらええけどな。うち、ボトルに期限とかあらへんし」



 ――あの日。私が此処での生活を守りたいと答えると、田子森さんは本当に死体の始末をしてくれた。

 絶対にドアを開けるなと云い、彼は死体にこたつテーブルの下に敷いてあったラグを掛け、いったんアパートを出ていった。そして車に乗って戻ってくると、コンビニの袋に入ったおにぎりや惣菜を、食えそうだったら食えと私に勧め、襖を閉めた。気になってそっと覗いたとき、既にけんちゃんの死体はラグに包まれ、梱包用のPP紐でしっかりと縛られていた。

 そして彼は私に、今日もいつもどおりに店に出ろ、できるな? と訊いてきた。私が頷くと彼は、部屋の鍵を貸してくれ、自分が出たらゴミ箱の下に隠しておくと云った。

 そして云われたとおり、夜になると私はいつもと同じに化粧をし、店に出た。

 深夜一時半過ぎ、仕事を終えて戻ったときにはもう、彼の車はなかった。ゴミ箱を傾けて鍵を取り、入った部屋の中は綺麗に片付いていて、死体はおろか割れた瓶の欠片さえ残ってはいなかった。

 眠ろうという気にもなれず、私は明け方まで起きていた。だが、彼は戻ってはこなかった――別れの言葉も、なにもないまま。



 落ち着いてから私は「田子森」という名前をネットで検索してみたりしたが、その名前のあるニュース記事などはみつけることができなかった。きっと偽名だったのだろう。もしも私が下の名前は? とでも尋ねていれば、教えてくれたのかもしれないけれど。

 たぶん、私は今でも彼のことが好きだ。けれど、それでも二度と宿無しにはなりたくなかったし、いくら彼と一緒だとしても逃亡生活などしたくはなかった。此処でのこの暮らしを、どうしても手放す気にはなれなかったのだ。

 最後に流れ着いたこの土地でやっと手に入れた、ささやかだけど居心地のいい、自分の生きていく場所。

 それがどのくらい価値があるものか、きっと彼にもわかっていたのだろう。

「……ねえママ」

「んー?」

 洗い物を済ませ、流し台やカウンターを拭きながら、私は云った。

「私、このお店にずーっといたい。もしもママが嫌じゃなければ、ママが引退したあとも、私にこのお店やらせてくれない?」

 ママは少し驚いた顔をして――すぐに、ぷぅっと頬を膨らませた。

「なに云うてんの! うちはまだまだ引退なんかせえへんで!? せやけどまあ、あずちゃんがそない云うてくれるんは嬉しいわ。こないな小さな店やけど、仲良うずっと一緒にやってこな!」

 ママらしい言い方に、私は微笑んだ。やっぱりママのことは大好きだ。


 この街も。日本のスラムだなんて云われるし、訳ありの流れ者や、癖の強い人も多いけれど。帰りにこうしてコンビニで缶飲料を二本、買う習慣がやめられなくても、私は此処が好きだ。田子森さんとの逃亡じゃなく、此処での生活を選んだことを後悔はしていない。

 でも、ひょっとしたらという思いを拭いきれず、私はいつまでも待っている――いつかまたふらりとこの街に立ち寄った彼が、お店に顔をだしてくれる、そのときを。









𝖭𝗂𝗀𝗁𝗍 𝖳𝗈𝗐𝗇 𝖡𝗅𝗎𝖾𝗌 -𝖣𝖾𝖽𝗂𝖼𝖺𝗍𝖾𝖽 𝗍𝗈 𝗍𝗁𝖾 𝖮𝗇𝖾 𝖨 𝖫𝗈𝗏𝖾- [𝖲𝗂𝗇𝗀𝗅𝖾 𝖼𝗎𝗍 𝗏𝖾𝗋𝗌𝗂𝗈𝗇]

© 𝟤𝟢𝟤𝟥 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎





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https://kakuyomu.jp/works/16817330650249838721

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宵街ぶるぅす -Dedicated to the One I Love- [Single cut version] 烏丸千弦 @karasumachizuru

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