[8]人生の選択

「田子森さん……」

 田子森さんはさっと周囲を見まわしたあと、しゃがみ込んで私を抱き寄せた。

「云わなくていい。なにがあったかなんて、一目見りゃわかる。……とりあえず奥へ行こう。立てるか?」

 私はこくりと頷き、田子森さんに云われるまま部屋のほうへと歩いた。私を座布団に坐らせ、彼は冷蔵庫からノンアルコールのレモンサワーを出し、缶を開けてテーブルに置いてくれた。私はレモンサワーを一口飲んでほぅと息をつくと、テーブルの上に置いてあったスマホに手を伸ばした。

「鍵を忘れたみたいでな。戻ってきてよかった……いや、もっと早ければよかったが」

「鍵は……ごめんなさい、たぶんキッチンに落ちてると思う。鍵をみつけたら帰って。私、今から警察に連絡しなきゃ」

「咲良、待て」

 名前を呼ばれ、私は田子森さんの顔を見た。

「此処が、今の生活が気に入ってるんじゃないのか。やっと手に入れた城なんだろ。警察に連絡すれば、ぜんぶ失うことになるぞ」

 そんなことを云われ、私は困惑した。

「だって……正当防衛だとしても、殺してしまったもの。他にどうしようも――」

「どうしようもないなんてことはない。助けてやれる」

 田子森さんは真剣な顔で云った。「死体を始末する。死体がみつからなきゃ、事件にはならない。失踪だなんだってちょっと騒がれて終わりだ。しかもこんな掃き溜めの街だ、人ひとり消えるくらいめずらしいことじゃない」

 死体を始末する。そんな言葉をさらりと口にする田子森さんに、私は途惑った。

「始末……って……、そんな、まさかそんなこと――」

 けれど田子森さんはなんでもないというふうに笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振った。

「俺は、どうせ此処にも長くはいられないだろうなと思ってた。ちょっと予想よりは早すぎたけどな。……死体を海にでも投げ棄てたら、俺はまたどこか他の土地に行く。だから、君は気にするな」

「気にするなって――待って。なにを云ってるの? これは映画じゃないのよ、そこにあるのは本物の死体で、殺したのは私なの。なのに――」

「わかってるさ。初めてじゃない。……だから、いいんだ」

 言葉の意味を察し、私は信じられない思いで彼を見つめた。

「……どうせ逃げてるから……罪が増えたっていいって、そう云うの……?」

「ああ。それとも死体はこのまま放置して、一緒に来るか? 似た者同士、逃亡生活だ。ただし、俺だけじゃなく君も追われることになる。腰を落ち着けられる場所をみつけたって、ずっと神経を張ったまま生きていくことになる。それに耐えられるか?」

 似た者同士。その言葉で、彼も誰かを――故意にか過失かはわからないけれど――殺めたのだとはっきりとわかった。人殺し同士、一緒にどこか遠くへ逃げる――それは、とても魅力的な選択のように感じられた。そう、彼がお店で話してくれた、映画のなかの恋人たちのように。

「それとも今までどおり、料理の上手なママとあの店で働いて、この居心地のいい部屋で生きていくか。君の人生だ、どっちか選べ」

 どっちか――ひとつ。


 やっと手に入れた、ささやかだけど落ち着ける、私の居場所。

 自分から望んで身を任せた、誰かを愛することを思いださせてくれた人。


 私は田子森さんの顔を、じっと見つめた。見つめたまま、自分のだした答えに本当にそれでいいのかと何度も問いかけた。しかし、考え直そうとか答えを変えようという気にはなれず、私はそのままを口にした。

「……わかった」

 彼は私の答えに頷き、深い口吻けをくれた。

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