[4]『俺たちに明日はない』
田子森さんがほぼ毎日お店に来るようになると、私はもう無茶なオーダーを通すのをやめた。
常連さんには常連さん向けのサービスというものがある。ボトルを下ろした日以外、おひとりさまの飲み代は基本のセット料金プラス、ママと私が何杯かいただくぶんとおつまみ一皿込みで、だいたい六千円か七千円くらいあれば充分。細く長く、まめに通ってもらうほうが、お店にとっては確実な利益なのだ。
常連のお客さんだと偶に、今日は三千円しかないからそこでストップかけて、と頼まれたりすることもある。昔はツケもきいたそうだけど、ママが自ら取立てに廻るのがしんどくなってやめたと聞いた。それは大正解で、ツケを溜めたお客さんはだんだんと足が遠のいて、終いには顔を見せなくなってしまったそうだが、三千円ぽっきりでちょっとサービスして飲ませてあげたお客さんは、余裕のある日は今日は飲むぞと豪遊してくれたりするらしい。
偶にけんちゃんみたいな困った人もいるけれど――このお店は、とにかく飲ませて通わせて儲けることしか教わらなかったキャバクラと違い、仕事をしている側としてもとても気持ちよく、楽しい。
「――『俺たちに明日はない』を名作にしているのは、やっぱりあのラストシーンだと思うんだ。待ち伏せされて銃弾を浴びる前に、鳥が飛びたつだろ。そしてなにが起こるか察したボニーとクライドがはっと顔を見合わせる……あのシーンが一瞬、本当に
田子森さんは洋楽と映画が好きなのだそうだ。私も映画は好きだと云うと、田子森さんはいろいろな映画について、どういうところが凄いとかいまひとつだったとかを熱心に話してくれた。映画の話をしているときの田子森さんはまるで
週に五日ほどもお店に来て話をしているうちに、私と田子森さんはすっかり仲良くなった。あまりにも話が盛りあがって、田子森さんが閉店時間までいたある日。ママに後片付けはええさかい、もうあがりぃと云われ、私は田子森さんと一緒に店を出た。
そして、なんとなく流れでアパートまで送ってもらうことになった。
私は毎日、仕事帰りにコンビニに寄って買い物をするのが日課だ。だからいつものコンビニの前まで来ると、私は田子森さんにじゃあここで、と云った。が、彼は買い物にも付き合ってくれた。どうやら夜道を女ひとりで歩かせることに抵抗があるらしい。
そんなの慣れてるから平気なのに、と私は少しおかしくなった。
待たせても悪いなと、カゴを片手に要るものを適当に選んで取り、一周りする。田子森さんは興味深げにカゴの中を覗き、少し呆れたように云った。
「缶ビール? 仕事で飲んで、まだ家でも飲むの?」
「これ、ノンアルよ。今日はこれにしたけど、買うのは毎日違うの。チューハイの日もあるし、コーヒーも偶に。缶って昔と違ってジュース系がほとんどないのよね」
「缶じゃなきゃだめなのか? ペットボトルは?」
「飲みたいものはペットボトルでも買うわよ、もちろん。缶は、別なの」
私はそう云って缶が二本入ったカゴにおにぎりと、鯵の南蛮漬けや切り干し大根の煮物など、お惣菜のパックを追加していった。それを見て、田子森さんがまた声をかけてくる。
「それ、ひょっとして明日のメシか?」
「そうよ」
「うちで料理はしないのか?」
「ひとりだとこのほうが安上がりなのよ。野菜やお肉買っても傷んじゃうもの。調味料だってばかにならないし」
「外食は?」
背後から次々と質問をされ、私は足を止めてくるりと振り向いた。
「美味しいものならお店でいただいてるから、それで充分なの」
すると田子森さんはふっと笑った。
「違いない」
そしてコンビニを出ると、田子森さんは今度、店で鮨でもとるか、などと話しながら私をアパート近くまで送ってくれた。
建物や部屋まで特定できない程度のところで立ち止まった私に信用できないのかと文句を云うわけでもなく、寄っていきたそうにするでもなく。彼はあっさりと手をあげ、じゃあまた明日と云って帰っていった。
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