7. 岩屋の中で

 モコは川辺を走った。途中、流れてくるピザの箱といくつもすれ違った。

 モコの脳裡のうりに、かつての自分が蘇った。山椒魚と成り果て、暗い穴蔵でピザを貪っていたあの姿が——。まさか、アヤメさんがあんな姿に……。

 モコは這いつくばるようにして川を上った。足元の悪い坂が続く。このきつい道のりを、アヤメは炎天下の中、毎日ピザを届けにきてくれたのだ。汗を拭う彼女の笑顔が頭から離れず、涙が出た。

 ようやく岩屋へ着いた。入り口からまたひとつ、ピザの空箱が流れてきた。

「アヤメさん!」

 モコは夢中で入り口をくぐった。


 月の明るい夜だった。

 岩屋の天井から差し込む月明かりが、ピザをむさぼる一匹の山椒魚の姿を照らし出していた。

「ああ、そんな……!」

 山椒魚はモコをちらりと見やったが、再び残りのピザを食べ始めた。モコはそれを咄嗟に奪って、みんな自分の口の中に押し込んでしまった。

 山椒魚は、それを返して、とでも言うように瞳を潤ませ、モコにすがりついた。

 モコは言いたかった。

「君ほどの素晴らしい女の子が、あんな奴のために傷つくなんて馬鹿げてる! まして大切な夢まで捨ててしまうなんて、大間違いだ!」

 だが、その思いは言葉にならなかった。喉の奥までピザが詰まっていたからだ。

 ただでさえ酸欠状態の上に呼吸困難となり、モコは意識が遠のいていくを感じた。

 ごめん、アヤメさん、守ってあげられなくて……。

 そのとき、岩屋の奥から声がした。

「モコ?」月明かりに現れたのはアヤメだった。「モコ、しっかり!」

 アヤメが駆け寄ると、モコに乗っかっていた山椒魚はそそくさと逃げていった。


 ——うっすらと差し込む日の光にモコは目を覚ました。天井には明け方の淡い空が覗いている。

 モコのすぐそばにはアヤメがいた。口の中のピザはすっかり取り除かれていた。

「モコ、なんであんな無茶したの」

 開口一番、アヤメはモコを叱った。

「だって、アヤメさんが食べてると思ったから……」

「私がそんなバカするわけないでしょ」

 モコは黙った。確かにその通りだが、ではなぜわざわざこんなところへピザを持って潜り込んだのか。その考えを察したように、アヤメはすぐに白状した。

「本当はね、そのバカをやろうと思ったの」

 小さなため息をついたアヤメの目は、少し腫れていた。モコはなんと言葉をかけようか一瞬ためらった。

「でもあれを見たら、そんな気なくなっちゃった」

 明るい声でアヤメが壁を指差した。ハッピーバースデーの文字と二人の似顔絵が、まだ消えずに残っていた。

「モコ、ごめんね。待っててくれたんだね」

 アヤメが照れ臭そうに言うので、モコもなんだか恥ずかしくなり、うつむいて首を振った。

 朝日に照らされて、岩屋のあちこちに咲いた花が鮮やかに輝いた。

「わあ、これっていつの間に?」

 モコの用意したサプライズは、一週間経って見事に成功したのだ。

 モコはその花のひとつを摘んでアヤメに差し出した。

「アヤメさん、誕生日おめでとう」

 アヤメは「ありがとう」の代わりに、モコの体をぎゅっと抱きしめてくれた。



 ——終わり

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山椒魚とピザガール 新星エビマヨネーズ @shinsei_ebimayo

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