6. 怪獣騒動

 モコは転がるように外へ飛び出した。

 いや、実際ほとんど転がっていた。岩屋の中ですっかりなまった足は使い物にならず、丘を下りながら何度も何度も転がった。そのうちモコは立ち上がるのをやめて、獣のように四つ足で駆けた。

 夜の町に出て、手当たり次第に通りを探し回った。行き交う人々がモコの姿を見て次々に悲鳴を上げたが、構わなかった。息が切れて、脇腹はナイフを突き立てられたように痛んだ。

 通りの向こう、アヤメによく似た人影が見えた。モコは力を振り絞って駆け寄った。

「モコ!」

「カ、カスミさん……!」

 呼吸が苦しい。アヤメに何があったのかすぐに聞き出したかったが、言葉が継げない。

 そのとき、カスミはバツの悪そうな顔で視線を逸らした。隣には背の高い男が立っていた。長髪の先を青く染めて両耳にピアスをしている。モコは直感的にこの男がフグリだと思った。

「なんだこの気色悪い野郎は! カスミ、こいつと知り合いか? そうか、お前がアヤメの言ってたサンショウウオか」

 男は蔑むような視線を投げた。モコはゆっくり呼吸を整えながら男を睨んだ。すると男は、今度は急にニヤついた表情でカスミの肩に手を回した。

「お前、アヤメに惚れてんだろ? やめとけよ、女はなのに限るぜ」

 モコは理解した。アヤメはこの男に二股をかけられたのだ。しかもその浮気相手は最も慕っていた先輩だった。アヤメがバイト先にいられなくなったのも無理はない。どんなに深く傷ついたことだろう。

「許さない……!」

 モコは二本足で立ち上がって思い切り息を吸い込み、胸を膨らませた。痩せたとはいえ、かつては岩と見紛われたほどの大山椒魚だ。人ならぬものの異様な迫力にカスミは青ざめた。

「うるせえ!」

 突然フグリはモコの鼻っ柱を殴った。モコは鼻血を吹き出してひっくり返った。

「薄気味悪い化け物め!」フグリは馬乗りになって散々に殴り始めた。

「やめてよ、フグリくん!」カスミが泣きながらしがみついて、ようやくフグリは殴るのを止めた。


 二人が去った後、モコはヨロヨロと立ち上がった。何度も転び、殴られ、身体中から血が滲みジンジン痛んだ。

 モコの目から、涙がこぼれた。後から後から溢れて止まらなかった。

 痛みのせいでも、屈辱のせいでもない。アヤメが今どんなに惨めな気持ちでいるだろうと思ったからだ。きっとこの街のどこかで一人泣いている。モコは今すぐアヤメに会いたかった。

 だが、もう探すあてもない。ボロボロの体は一歩を踏み出すのさえやっとだった。

 差し掛かった橋の上、モコは疲れ果てた体を欄干にもたれた。

 ふと見下ろすと、何かが川を流れてくる。ひらたい箱にプリントされた、笑顔でピザを頬張る少女——それは、ピザ・アンナの空き箱だった。

 モコは、アヤメが店を辞めるときピザをみんな持って出たという話を思い出した。

 この川の上流には、あの岩屋がある。

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