第4話 授業

 カーテンごしに朝日が部屋に差し込む。

 その光を瞼ごしに感じたロザミアは眠い目を擦り、起き上がった。

 一瞬自分がどこにいるのか分からなくなり、少ししてここが士官学校の寮だということを思い出す。

 昨日の衝撃的な出来事も同時に、思い出した。


 憂鬱な気持ちであることに変わりはないが、気持ちの切り替えは出来た。

 どういうつもりで義兄たちが教官になるのかは知らないが、だからと言って、ロザミアが弱き者を守るためにこの学校で頑張る、という目的が変わるわけではない。


 昨日の義父や義兄たちの異変はおいておくにしても、そもそも一つ屋根の下で十年も暮らしておきながら家族としての交流などなかったのだ。これだけ広い敷地だ。擦れ違うことなどほとんどないだろうし、仮に出くわしたところでこれまで通り、家族とはとても言えないような距離感を維持しつづければいい。

 とにかく、ロザミアが悩むことなど何もない。


「よし、一日がんばろうっ」


 気合いを入れるため、自分の頬をパチンと両手で叩く。

 制服に着替え、髪に櫛を入れて部屋を出る。

 昨夜から何も食べてないから、お腹が空いた。

 ロザミアは寮を出て食堂へ向かう。

 食堂は八割ほど席が埋まっており、かなり賑やかだ。

 食堂はビュッフェ形式。自分の好きなものを好きなように取れる。

 ロザミアはオムレツとパン、コーンスープという組み合わせを選択し、空いた席を探すためウロウロする。


 その過程で、多くの生徒と目が合う。

 ギルディニアの狂犬であると知られている上、義理の兄二人が士官学校の教官となったのだ。

 当然ながら昨日以上の注目と陰口を叩かれるこのは覚悟していたのだが、眼が合う生徒は一様にはっとした表情になったかと思うと、まるで何かを恐れるように顔を背けてしまう。


 ――何……?


 昨日は嘲笑われ、今日は避けられる。

 陰口を気にしないとはいえ、言われて気分のいいものではないから避けられるのは構わないのだが、なぜ避けられるのかが分からない。


 ――お義兄様たちが教官になったから? でもあの二人が、私がどう呼ばれようとも気にするとは思えないし。


「すみません、こちらの席、空いていますか?」

 女子のグループに話しかけると、彼女たちはロザミアの顔を見るなり、はっとした表情になり、それから媚びるような笑みを一瞬覗かせたかと思えば、「わ、私たち、もう出るからどうぞ……」とそそくさと席を立ってしまう。


 ――何……?


 相手のみせた反応に戸惑いながらも、空いた席につく。

 オムレツにナイフを入れる。半熟だ。

 ソースとからめ口に運ぶ。


「美味しい……」


 無論、公爵家の味には敵わないが、それでもこれはこれで美味しい。


 ――さすがは良家の子女が通う学校なだけあるわね。腕の良いシェフを雇っているんだわ。


 この学校に来てはじめて幸せな気持ちになれた。

 授業もあるから手早く食事を済ませ、トレイと皿を戻して食堂を出た。


「ふんふんふ~ん♪」


 オムレツ一つですっかり気分が晴れやかになって、足取りも軽やかになる。

 教室に入ると、騒がしかった教室内が水を打った静けさに包まれる。


 ――ちょっと……やめてよね。


 クラスメートたちの視線を全身で感じて落ち着かなくなってしまう。

 ロザミアは気にするなと言い聞かせ、自分の席につくとバックから今日の授業に必要なテキストを取り出し、机にしまいこむ。

 魔法概論、魔法史、古代語……などなど。

 全身に視線を痛いくらい感じながらも次の授業の予習をしておこうとテキストを開いたその時、人の気配を濃厚に感じて顔を上げ、ぎょっとした。

 目の前に三人の女子が立っていた。


 ――この目……食堂のグループと同じ……。


 それは媚びるような卑屈な眼差し。食堂のグループは今まさに、ロザミアの目の前に居る三人組と同じ目をしていた。


「何?」


 テキストを閉じ、できるかぎり愛想良く振る舞おうとする。

 敵意のない相手を、邪険に扱う必要はない。


「えっと、その、クリストフ様とネヴィル様が教官となられるなんて、す、すごいですよね。えっと……」

「ロザミアよ」

「ロザミア様のお義兄様方は王国随一の剣と魔法の使い手ですものね」

「昨日は話しかけられず、申し訳ありません。私たち緊張して、つい……」

「そうなの」


 一体、この三人は何の為に話しかけてきたのか。そして話す自分たちを食い入るように見つめるクラスメートたち。その間に緊張感が漂う。


「それで?」

「いえ、その……お、お友達になれないかと思って。あははは。ね、ねえ」


 真ん中にいた少女が左右の友人たちに目配せをする。


「そう。昨日はぜんぜんおしゃべりができなかったし」

「同じクラスになったのも何かの縁だから……」


 媚びだけでないことに気付く。それは怯え。

 そんな怯えられながら友だちになりましょうなんて、おかしすぎる。


「ごめんなさい。私、一人がいいから」


 ひとまずそう答えてみると、三人の表情が明らかに引き攣り、泣きそうな顔になった。


「! そ、そうなの。あ、ごめんなさい。えっと……邪魔をしてしまって……」

「でも困ったことがあったらいつでも声をかけてねっ」


 そう言いつつ、三人は逃げるように自分の席へ戻っていく。


 ――一体なんなのよ……。


 その時、「兄貴をけしかけてやがって。孤児のくせに」という声が聞こえてきた。おまけに舌打ち。

 ロザミアが振り返ると、後ろの席についているレッドオレンジの髪色に、黄色みを帯びた瞳の男子と眼が合った。眼が合うと向こうは一瞬ぎょっとしながらも、敵意のこもった視線を向けてくる。周りのクラスメートがそのオレンジ頭へ「やめとけよ」と宥めようとするが、邪険に振り払う。


「今の、どういう意味?」


 無視すればいいのは頭では分かっていたが、そんな敵意を向けられる謂われはない。


「今のって?」

 オレンジ頭は明らかに馬鹿にした笑みを口元に浮かべる。

「兄貴をけしかけやがってって言ったよね」

「意味もなにも、そのまんまだよ。分かってるくせに白々しい奴。寄るなよ。どぶ臭さがうつるっ」

「……しょうもない男」

「は?」

「みんな、私を馬鹿にする時、私が孤児だってことを持ち出すわ。確かにそうよ。その通り。私は孤児出身。でもね、そういうことを言う連中の特徴が分かる? 実力じゃ私に手も足もでない連中が負け犬の遠吠えをするのよね。ごめんなさい。私が無意識のうちに、あなたのか弱い乙女心を傷つけてしまったみたいで」

「なんだと……」


 オレンジ頭の顔が怒りのあまり赤黒く染まる。

 それに笑いかけ、ロザミアは踵を返して自分の席に戻る。


「待てよ、クソ女! おおかた首席だって、兄貴たちが手を回し……」

「『縮地』」

「ぐっ」


 教室がざわめく。

 ロザミアは一瞬にしてオレンジ頭の背後を取り、その背中に剣の束を押し当てた。

 このオレンジ頭の、いや、クラスメートたちの目には、ロザミアが瞬間移動をしたようにしか見えなかっただろう。

 実際は、ロザミアが扱う風魔法により、高速移動したのだが。


「実戦ならあなたはとっくに死んでるわね。ここが学校で良かったじゃない。それに、あなた、自分が何を言っているか分かってる? あなたはこの歴史ある名門学校ひいてはこの学校を後援されている王室がコネを容認するような愚か者と言ったようなものなのよ。これは王室への明らかな不敬罪よ」


 オレンジ頭の顔を脂汗が流れていく。

 ロザミアは背中に押し当てていた柄を引っ込める。こんなくだらない男に、宝剣を使ったことを反省する。ちょっと芝居がかったことをやったのも恥ずかしい。


「何の騒ぎですか?」


 ずっとオレンジ頭に集中していたため、そのほかへ注意を向けるのを怠っていたせいで、その声にドキッとして教室の出入り口を見る。

 空の透き通るような青を写し取ったような髪色の麗人、ネヴィルが立っていた。


 ――お義兄様!


「すでに授業ははじまっていますよ。席に戻りなさい」

「は、はい……」


 ロザミアは慌てて自分の席に戻る。


 ――一時間目からネヴィルお義兄様と会うなんて。それも、あんな姿を……。


「すでに聞き及んでいる人も多いとは思いますが、本日より、魔法概論、魔法技術論、魔法史の講義を担当する、ネヴィル・オウイフ・ギルディニアです。では早速、授業をはじめましょう。そもそも魔法とは何かから……」


 そうして講義が淡々と進んでいく。

 いたって普通の授業のように思えるが、ネヴィルの存在感のせいで、教室には妙な緊張感が漂う。


「それでは質問です。己の本来の実力以上の魔法を使用するにはどのような方法が考えられますか?」


 教室がしんっと静まり返る。


 ――どうして誰も答えないのよ……。


 ネヴィル相手に何かを言うのが憚られるのか、間違えたら恥ずかしいと思っているのか、それとも本当に分からないのか。

 ネヴィルは「では君」とクラスメートの一人を指さす。

 指名された生徒は怯えた顔で、立ち上がった。


「つ、使い魔を召喚する、ですか……?」

「それも一つの方法と言えなくもないですが、使い魔は結局、己の魔力以下のものしか従えることはできません。100の魔力しか持たないものが使い魔を使役しても、100という魔力総量は変わらない。私が質問しているのは100の総量を200、さらに1000まで上げ得る方法のことです」

「……分かりません」

「分かる人は?」

「上位の精霊と契約、ですか?」


 別の生徒がおずおずと答えるが、「違います」と冷ややかに一刀両断する。


「自分以上の力を持つ精霊とどう契約を結ぶのですか? 上位の精霊、たとえば魔力200の精霊が、魔力100のあなたに従うと思いますか?」


 矢継ぎ早の質問に、答えた生徒は顔面蒼白になり、「わ、分かりません……」と半泣き状態で座る。


 ――これ以上のネヴィルお義兄様の被害者は増やせないわよね……。


「誓約です」


 ネヴィルが、ロザミアを見る。


「ふむ、では誓約について説明してみてください」


 じっと見つめる眼差しと、そしてこの圧の強めの丁寧語。

 これは屋敷でのスパルタ勉強をまざまざと思い出させる。


『あなたには、公爵家の人間として恥ずかしくない知識量を身につけてもらいます』。


 それまで教えてくれていた優しい家庭教師を首にし、わずか八歳のロザミアに、一冊が百科事典並の分厚い本を山積みにしたネヴィル。

 それでも頑張れたのは、少しでも義理の兄たちに振り向いて欲しかったから。

 なにせそれ以外の時は徹底的に無視、無関心を決め込まれていた。

 勉強の時間だけがネヴィルと、まともに話せる時間だったから。

 しかしどれだけ結果を出したところで、ネヴィルが微笑みかけてくれることなど一度もなかった。


「誓約とは文字通り、自分の生き方を縛る誓いです。その誓いがきつければきついほど、本来以上の魔法を使うことができるようになります。ここで気を付けるべき点はその誓いの軽重はあくまで自分にとってであって、社会的規範は無関係ということです。たとえば殺人犯が『人を殺し続ける』という社会的規範から考えると、常軌を逸した誓いを立てたところで、本人とって造作もないことである以上、誓約としては機能しません。あくまで殺人犯にとって苦しい誓い――たとえば『人を殺さない』――を立ててはじめて、誓約として機能するということになります」

「その通りです」


 ――でしょうね。お義兄様が私に注ぎ込み続けた知識ですから。


「よく学んでいますね」

「!?」


 教室がざわつく。

 その作り物めいたと言われるほど顔立ちが整っているだけではない。その表情に一切、表情らしい表情が浮かばない言われているネヴィルが笑ったのだ。

 目尻を下げ、口元を綻ばせ。

 誰であろう、ロザミアに対して、である。

 頭が真っ白になる。

 混乱と困惑が一片に押し寄せ、何も考えられなくなり、全身から力が抜けて座る。


 ――わ、わわわわわわわわわわわわ笑った!? あの鉄面皮、凍り付いた美貌と言われた、ネヴィルお義兄様が!?


 ロザミアは茫然自失となって、席に着いた。

 それからもネヴィルによる講義は続いたが、その十分の一でさえ頭に残らなかった。

 我に返ったのは校舎に据え付けられている鐘が鳴ったからだ。

 ネヴィルが教室を出て行く。

 そのまま黙って見送るべきなのだろうが、さっきのオレンジ頭の『兄貴をけしかけて』という言葉が頭に残っていたせいで、席を立つ。

 だが廊下で声をかければ要らぬ注目を集めてしまうから、タイミングを見計らっていたところネヴィルは校舎を出て、人気のない中庭へ入っていく。


「こそこそと後をつけてどうしたんですか?」


 ネヴィルが振り返りざまにそう告げてきた。

 フッ、とネヴィルがまたも授業で見せた時よりは控え目なものの、微笑んだ。


 ――これまでの経緯を考えれば嫌な次兄だけど、やっぱり美しい……!


 美貌の義兄から微笑みかけられ、ここまで動揺するなんて王国広しといえども、自分くらいなものなのだろう。


「あ、え、っと……」

「次の授業が始まってしまいますよ。何か用事があれば昼休みにでも教官室に来てください」

「お、お義兄様、お待ち下さい。聞きたいことがあるんですっ」

「授業の内容ですか? あの程度なら理解しているでしょう」

「そうではなく。どうして突然、教官になられたのですか? 宮廷魔導士の職はどうされたんですか?」

「辞めたんです。兼任はできませんから」

「や、辞め……? どうして……!?」


 次兄は、長兄と同じく将来を嘱望されていた。

 将来はこの国の使役者の頂点に立つのは確実視されているのだ。


「それは……」


 ネヴィルが言い淀み、じっとロザミアを見つめてくる。

 その視線はどこか熱っぽく潤んで見えるのはどうしてだろう。

 ネヴィルは視線を外す。


「……気分転換のようなものです。だからと言って、教官として務めを疎かにするつもりは毛頭ありませんが」


 ――気分転換? ネヴィルお義兄様が?


 難解な魔法理論に関する論文を執筆しながら、並行して古代語による詩作をするようなネヴィルに、気分転換という言葉は最も似合わない。


「お義兄様……」

「本当にもうこれ以上は遅刻してしまいます。ロザミア。士官学校に入るのはあなたの希望です。それを疎かにすることは関心できません」

「あと一つだけ。これに答えて頂けたらすぐに教室に戻ります! クラスの人……いえ、学校の人たちがおかしいんです。クラスメートに言われたんです。私がお義兄様たちをけしかけた、と。その意味をご存じではありませんか!?」

「けしかけた……? あぁ。大したことはしていません。あなたを侮辱していたので、もう二度とそのようなことをせぬように、と警告をしたまでです。ロザミアへの侮辱は公爵家への侮辱。それを続けるのならば、公爵家として対応する、と。それから兄上が少々、乱暴な方法を取ったんです」

「私への侮辱というのは、私が狂犬だと――」

「あなたは狂犬ではありません」


 ネヴィルがここまでのことを言うことが理解できない。

 今まで一度だってそんなことを言ってはくれなかった。


「よ、余計なことはしないでください」

「余計? 妹が侮辱されるのを黙って見ていろと?」

「そうです! 私の問題は私が解決します! お義兄様たちのお手をわずわらせるには及びませんっ!」


 ――どうしてそんな顔をするの!?


 ネヴィルはまるでロザミアの言葉に、傷ついているかのような切なげな表情を見せる。


 ――これまで黙って見ていた……というか、私が元孤児だってことを馬鹿にされても注意だってしなかったくせに……私が社交界の場で侮辱された時だって…………………………………時、だって。


 そこでロザミアは思い出す。たしかに公爵家の一族としてはじめて社交界に出た最初の時はあからさ

まな侮蔑の視線や、これみよがしの悪口を耳にした。でもそれはその時限りだった。

 二度目に社交界に出た時はまるで、今日の学校の時のように以前は悪口を公言していた貴族たちが挙動不審になり、まだ年端もないロザミアに対して媚びるような笑みを浮かべていた。

 もしかしてあの時も義兄たちが何かをしてくれていたのだろうか。


 ――私の為……って、さすがにそんなこと信じられないし、ありえないよ……。


 これまで父や義兄たちは無視、無関心を貫いてきたではないか。

 ロザミアのために動いてくれているのだったらどうして、そう教えてくれなかったのか。

 いや、裏でこそこそかばってくれるくらいなら、もっと笑いかけて欲しかったし、他愛ない会話をして欲しかった。

 義父をふくめた公爵家の面々にとってロザミアはあくまで一族の一人に過ぎず、決して家族ではない。そう思って今日まで生きてきた……。


「……お義兄様、呼び止めてしまってすみません……。教室に戻ります」


 ロザミアは頭を下げると駆けだし、校舎に戻った。

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