第2話 狂犬
士官学校は、王都から半日ほど離れた場所にある、何代か前の王が側妃のために建設した離宮を学舎として使用している。
その敷地面積は、小さな街なら五つは入りそうなほどに広大だ。
敷地には、校舎はもちろん馬場、図書館、実験棟、闘技場、舞踏会場などなど多くの施設が建てられていた。
入学式ということもあって多くの馬車が、校門前では列を成している。
馬車にはそれぞれの家門の紋章が刻まれている。
どれもこれも貴族世界でも知らぬ人はいないと言われる、名家ばかりだ。
ロザミアは門前で馬車から降りると、校門を抜けて敷地内を堂々と進む。
校門のそばには、今年の新入生を値踏みしに来ている上級生たちの姿が散見された。
ロザミアは周囲の人間を視界にいれまいと、早足で進む。
「あれを見ろ……。あれが、ギルディニアの狂犬だ……」
「目を合わせるな。あいつにからまれたら厄介だぞ」
「中等部の頃は婚約者のいるやつを寝取ろうとしたらしいぜ」
「公爵家の品位をどれだけ落としているんだか……」
男女問わず、下らない会話が聞こえてくる。
しかし悪口を言われるのは覚悟していたからどうということはない。
実際、それだけのことをロザミアはこれまでしてきたのだから。
最初は十歳の時。貴族学校の初等部でのこと。
学校で上級生が下級生をいじめてる現場に遭遇した。
上級生は問題児ながら伯爵家の出身。いじめられた側は男爵家。貴族の階級を考えれば、男爵家が逆らえる相手ではない。
周りの子どもたちは見て見ぬふりをしていた。
別に義憤にかられた訳ではなかった。
でもいじめている上級生の姿がストリート時代に自分たちを搾取した裏社会の人間と重なった。あの時は何もできなかった悔しさがまざまざと思い出されたのだ。
掃除の時間でロザミアは片手にモップ、もう片方の手には水の入ったバケツを持っていた。迷うことはなかった。
まずは汚水を上級生の顔面にぶっかけ、怯んだところ後頭部めがけモップの柄を叩きつけた。上級生はひっくり返り、それまで無関心だった連中が悲鳴をあげたことで大騒ぎになり、親が呼ばれた(なぜか義兄たちも一緒にやってきた)。
『大問題ですので、その……おうちでしっかり教育をお願いできれば……』
『きつく言って聞かせます』
教師に対して義父はそう応じたが、屋敷に帰ると義父は何も言わなかった。
いつもの無視だ。
でも自分が問題を起こせば親が呼ばれるということを、ロザミアは知った。
もし大きな問題を起こせばまたイスケスが学校に呼ばれ、今度こそロザニアを叱責するかもしれない。
無視されるくらいだったらたとえ叱責でも、自分を見て欲しかった。
当時のロザミアは、家族からの無関心に絶望し、反応に飢えていた。だから問題を起こそうと決めた。
家を追い出されるかもしれないとも思ったが、『存在しない』かのように扱われるよりマシだと当時のロザミアは考えたのだ。
貴族の学校は見てくれた綺麗だが、中身はストリートと大して違わない。
虐げる者と虐げられる者が上等な服を着て、見てくれがいいだけ。
強者は弱者を平然と虐げたる構図は外となんら代わることがないのだ。
ロザミアはそういう強者と問題を起こした。
弱い人間はかつての自分。
虐げる上級生を痛めつければ後ろめたくもない。
問題を起こすたびに義父が呼ばれたが、結果は変わらず、だった。
ロザミアは何ら罰を受けることもなかった。
学校でロザミアは札付きの悪女として誰も近寄らなくなった。
中等部に入ったロザミアはすでに問題を起こしても義家族たちからは何もリアクションが得られないと理解し、自主的に問題を起こすことはしなくなった。
しかしすでに『ギルディニアの狂犬』の噂は貴族の子弟の間で噂になり、中等部になると、初等部の頃にボコボコにした連中から報復されることも多くなった。
相手は複数。ロザミアは一人。
だがクリストフやネヴィルから『公爵家に相応しい人間になるため』スパルタ教育を叩き込まれていたロザミアの敵ではなかった。
向こうから仕掛けてきても何故か教師の耳に達する頃には
問題を起こしても退学にならなかったのは公爵家の令嬢、だったからだろう。
――貴族ってどうしようもないのね。爵位さえあれば大抵の問題は目をつむられてしまうんだから……。
狂犬に加え、男好き、と言われるようになったのは中等部の頃だ。
これは完全な誤解だ。
狂犬に友人ができるわけもなく、休み時間になると一人になれる場所を求めてさまよっていた時、とある場所で男女がキスをしている場所に遭遇した。
さすがのロザミアもこれには赤面し、すぐに立ち去れば良かったものを動けなくなり、結果的に二人のキスを夢中で見る、という格好になってしまった。
そしてキスをしている女子が気付き、悲鳴を上げたのだ。
あっという間に学生や教員が集まった。
そこでなぜかロザミアが男にキスをしようと迫り、その現場に偶然鉢合わせた女子が気付き、悲鳴を上げたという話にすり替わっていた。
男もそれに同意し、「違います!」と声を上げたロザミアの訴えを聞いてくれる人は誰もいなかった。
問題をややこしくしたのは、二人にはそれぞれ婚約者がいたからだった。
狂犬から、婚約者がいる者を寝取ろうとした悪女へと知らないうちにクラスチェンジしたロザミア。
――そう言えば、あの時だけはお義兄様やお父様たちが少し反応を見せたわね。
それまでは問題に無関心だった義兄や父があの時は、詳しい事情を聞いてきた。
ロザミアは真実を訴えると、納得してくれたようだった。
その当時は、家族に対して何かを期待することをすっかり諦めていたロザミアは、家族が感心を寄せてくれても、特別嬉しくも何とも思わなかったけれど。
さすがに嫁入り前の義理の娘が色恋沙汰を起こすのは問題だと思ったのだろうか。
――……狂犬という呼び名も、十分公爵家の品位を傷つけるとは思うけど……。
それでもこうして士官学校を選んだのは弱い人々を守りたいと思ったからだ。
かつての虐げられる側だった自分と同じ境遇にある人々を救いたかった。
騎士の仕事は主に王国内に出没する魔獣退治、盗賊や犯罪者などの取り締まりも行う。
幼い頃ストリートで生きたロザミアは、孤児たちを利用する犯罪集団や子どもを奴隷にする人間たちを大勢、見てきた。
子どもを利用し、搾取する連中を取り締まるのには力だけでは足りない。相応の地位が必要だ。だからこそ、士官学校に入学したのだ。
大講堂に入ると、新入生たちが成績順に並んでいる。
外ほど露骨ではないが、ロザミアをチラチラ見ては囁く、という動作が目に付く。
しかしロザミアは構わず席に座ると、罵詈雑言の囁きがどよめきに変わった。
ロザミアが座ったのは首席の席だったからだ。
「マジ? あいつ、孤児分際で首席とか……」
「まさか公爵家が手を回した?」
「いや、それはさすがに……」
ざわめきの中から声が聞こえた。
――本当にくだらない。
ロザミアは小さく溜息を吐き、目を閉じて、耳障りな外野からの声を無視する。
やがてその囁きが下火になっていた時に目を開けると、式が開始されていた。
学校長の挨拶にはじまり、在校生代表の挨拶とプログラムは進み、新入生代表挨拶の時間を迎えれば、ロザミアは胸を張り、立ち上がった。
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