第7話 図書館

 翌日。

 すでにカインツを負かしたロザミアのことは学校中の噂になっている。

 カインツは水魔法の使い手としてかなりの優秀だったらしい。

 その一方、あいかわらず義兄二人に悩まされ続けた。

 本来なら特別やることもないロザミアは寮へ直帰するべきなのだが、どうにもそういう気持ちになれないのは、きっとそのせいだ。

 傍から見れば優しくされてどうして悩むんだと思われるだろうが、これまでの関係性を考えれば、不気味すぎるのだから仕方がない。


 ――私だって引き取ってもらった時から、少しくらい気にかけてもらっていれば、こんな複雑な気持ちを抱かなくていいんだから。私だって被害者なんだから!


 脳裏によみがえる義兄たちの顔はいつだってしかめっつらか、無表情。

 だからこそ、二人のそれ以外の表情を見るのは、機能がはじめてだった。

 それで動揺するなというのがおかしな話だ。

 そんなことを考えながらたどりついたのは、図書館。

 言われなければ図書館と分からない。

 それくらい立派な建物だ。

 公爵家にも書庫はあったが、こんな建物ではなく、あくまで一室だった。

 数百万冊という本が収められた智の殿堂に圧倒される。


 ――こんなにすごい場所を、暇つぶしに使わせてもらうのは申し訳ないけどね。


 館内に足を踏み入れる。磨かれた床に靴音がやけに大きく響く。

 試験期間中だとここが大勢の生徒で埋め尽くされるらしいが、今はぽつぽつと数えるほどしかいない。

 書見台に数人がいる程度。

 天井は五階分の吹き抜けで、所狭しと本棚が並んでいる。

 本の背表紙を眺めるだけで何日間も過ごせるだろう。

 何か面白い本はないかなと棚と棚の間を歩く。

 ネヴィルからの詰め込み教育で読んだ本は文学から博物学までとさまざまな分野にわたる。

 その中でロザミアが興味をもったのは、自然だ。

 ストリートで生きてきた元孤児にとって、鬱蒼と茂る森で生きる動物や植物の存在はとても魅力的に思えた。

 他にも鉱物も好きだ。加工された宝石より、自然界に存在する原石は荒さはあるかもしれないが、美しく見えた。

 宝石は美しさの代わりに、神秘を失ってしまったようで好きにはなれない。

 ロザミアは鉱物の図鑑を取ろうと背伸びをする。


 ――ぎ、ぎりぎり届かないかな? もうちょっと……。


 そこへ脇から手が伸び、図鑑をいとも簡単に棚から抜く。


「どうぞ、レディ」

「ありが――」

 振り返ったロザミアはその人を前に慌てて、スカートのすそを抓んで恭しく頭を下げた。

「ギルディニア公爵家の長女ロザミアが、第二王子殿下にご挨拶申し上げます」

「そう固くならないでくれ、ロザミア嬢。抱き合った仲じゃないか」

「! ご、語弊のある言い方をなさらないでください……」


 頬が赤くなってしまう。

 そんなロザミアを前に、アルバートはこらえきれないと言いたげに微笑む。


「昨日の勇ましさからは考えられない淑女ぶりだ。そのギャップもたまらない。それより、これを」


 押し頂くように鉱物図鑑を受け取る。


「宝石が好きなの?」

「というより、原石が……」

「なるほど。荒削りを好むのか。女性たちはみな、美しくカッティングされた宝石を好むというのに、君は変わっているな。だがその考えは好きだ」

「きょ、恐縮です」


 アルバートは形の良い薄い唇を笑みの形にした。


「それにしても君とここで出会えるなんてね。君と話がしたかったんだ。この国にとって、かけがえのない公爵家の一員として迎え入れられた少女が士官学校に入学すると聞いていて、出会うのが楽しみだったんだ。学校はどうだい?」

「素晴らしいです」

「そうだろう。この学舎は我が国の誇りだから」


 ロザミアの背中に優しく腕が沿う。


 ――殿下!?


 腰を抱かれながら、二人は書見台に向かう。

 ロザミアのためにアルバートが椅子を惹く。


「お、畏れ多いので、そんなことなさらないでください……」

「いいから。座って」

「……ありがとうございます」


 あまり執拗に断っては逆に非礼に当たる、とロザミアは緊張の面持ちで座る。


「美しいなロザミア。君には婚約者がいるのか?」

「いません……。そんな私に婚約者だなんて……」


 もごもご、と後半、うまく言葉にならなかった。


「謙遜は時として嫌味に聞こえるよ。君は公爵家の立派な一族。それに、優れた兄たちか手ずから教えを受けている」

「あれは……教えというより、い、イジメのような……」

「ハハ。兄たちも君の才能に期待しているんだろう」

「そんなことはありません」


 これは本音だ。


「それに、君は美しい」


 アルバートに髪を優しく撫でられるだけで、首筋あたりがゾワゾワした。

 ゆらゆらと頭が揺れる。地震だろうか。

 いや、それにしてはアルバートがあまりに落ち着いている。

 そう、揺れているのはロザミア。いわゆる、眠気に襲われ、船を漕いでいる状態。


 ――なんでこんな時に……。


 瞼が重たくなってくる。

 突然、優しさをみせはじめ、ロザミアを気にかけはじめた義兄二人の異常行動。

 それに振り回され、自覚しないうちに心身ともに疲労困憊してしまったのだろう。


 ――でもからといって殿下の前で眠るなんて絶対に駄目……それだけは絶対にありえない……。


 アルバートの声が遠ざかる。体から力が抜けていく。


 ――ぜったぃだ……め……。

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