きみ待たせ よもつひらさか

笹 慎

あしはらのなかつくにを出立す

 私の田舎には、少々変わった風習があった。


 未婚の男性が亡くなると、同じく未婚で亡くなった女性と結婚させるというものだ。葬儀の代わりに当人たち不在の祝言をあげる。


 そういった風習を「冥婚」と呼ぶことを、大学進学のために上京してから知った。意外にも中国などでは、わりとあるらしい。


 うちの田舎では、この冥婚の儀式は未婚で死んだ男性の時のみ行われ、未婚で死んだ女性は花嫁候補としてストックされていく。


 ただ、我が田舎はすでに限界集落と化しており、残された未婚で死んだ女性は最早最後の一人で、しかも半世紀以上は遡る必要があった。




 私は、坂をのぼる。月明りに照らされた夜道の坂。


 お名前は、律子りつこさんというらしい。二十歳の頃に結核で亡くなったと、母からの手紙には書いてあった。


 二十歳……。随分と年下だ。大丈夫だろうか。


 そんな心配をしながら坂をのぼりきると、着物の女性の後ろ姿が見えた。綺麗に結い上げられた髪と細く白い儚げなうなじ。


 彼女は私の気配を察したのか、そっと振り返った。


 真っ白な雪のような肌。少し緊張が表情から読み取れる。紺と茶の縞模様。木綿の着物は質素ながら、彼女によく似合っていた。


「こんばんは。律子さんですか」


 私が声をかけると、彼女は小さく頷く。


「随分と、お待たせしてしまったのではないでしょうか」


 そう私が続けると、彼女は今度は首を横に振る。


「いいえ、ずっと寝ておりましたから」


 初めて聴けた律子さんの声は、水仙の花のような静謐さだった。彼女のまだ少女のような清らかな美しさを前に、私はまた彼女との歳の差や自分の見かけが心配になり目をそらす。


「そうですか。では、ゆっくりと眠れたのですね。僕も最後の方は、肺に水が溜まってしまって苦しくて、よく眠れなかったのですよ」


 会話の間をもたせるように、私は急いで彼女と自分の共通の話題を探った。


「ふふふ」


 私の焦りを見透かしたかのように、彼女は着物の袖で口元覆って微笑む。気恥ずかしさを覚えて、私は頬を掻いた。


「こんなみっともないオジサンで、さぞガッカリされたでしょう?」


 着物の袖を口元に充てたまま、律子さんは首を横に振る。目元には柔和な笑み。彼女はとても可愛い。


「私、骸骨みたいだったんですよ。最期」


 いたずらっぽく再び「ふふ」っと笑いながら、彼女はいう。でも、いま目の前にいる彼女の姿は、色白だが病人といった様子もなく、頬もふっくらとして柔らかそうだ。まだ元気だった時の姿なのだろうか。


「だから、あなたもきっと」


 彼女に指摘されて、私は自分の手を改めて見てみる。そこには病気をする前の血色の良いキレイな手の甲があった。次に襟元を少し引っ張って、鎖骨を見る。治療のために埋め込んでいたカテーテルは、初めから存在していなかったかのように消え去っていた。


 最後に、恐る恐る頭頂部に触れる。そこには治療を始める前にように髪の毛がフサフサと生えていた。


「お義母さまからのお手紙では、四十歳とありましたけれど、私と同い年くらいに見えますよ」


 律子さんは、きっと気遣いからそう過大評価してくれているのだろう。袖で口元を隠して微笑む様子がとても愛らしくて、出会ってまだ間もないのに私はすっかり彼女の虜だった。


「こんな特典があるんですね、冥婚は」


 私は照れながら嘯く。それから、彼女の方に手を差し出した。律子さんも少し頬を赤らめながら、私の手を取ってくれた。


「あの世までは、まだまだありそうですから、ゆっくりお話しながら行きましょう」


 彼女は私の言葉に頷き、歩を進める。



 祝言だけ先にあげてしまった私たちは、黄泉比良坂よもつひらさかをお見合いしながら、手をつないで歩く。


 律子さんが歩くと、カランコロンと下駄が鳴る。



 ご趣味はなんですか?


 お好きな食べ物はなんですか?



 律子さんが歩くと、カランコロンと下駄が鳴る。



 苦しかった現世に、さようなら。可愛いこのひとと向かいましょう。


 黄泉までの新婚旅行。



(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみ待たせ よもつひらさか 笹 慎 @sasa_makoto_2022

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画