第59話 事後

 7月末日、雲ひとつない青空。お昼からの気温は30℃を超えると予報が出ていた。山の中からはセミの大合唱が聞こえてくる。


 鹿ヶ峰村では今日、毎年恒例の奉納祭が行われる予定だ。


 4年ほど前、この村とお祭りは世の注目を一斉に浴びていた。



 村の守り神に捧げる儀式が「因習」ならぬ「淫習」として、動画配信サイトを通じて世界中に配信されてしまったのだ。


 そこに端を発して、他所者は受け入れない閉鎖的な村として、引っ越してきた住民に嫌がらせをする動画までも流された。そこに映っていた人物は後日、村の神社で自殺。


 それらとはまったく別に、村のいくつものパソコンがウイルスに侵され、個人情報が拡散。その容疑者と思われる人物は未だ捕まっていない。



 これらの事件があった翌年、鹿神の奉納祭を実施すべきか村で議論がなされた。しかし、わずか1年の期間で、世を騒がせた事件の注目度合はずいぶんと薄れていたのである。


 ゆえに、1年後も例年通りお祭りは開催された。ただ、噂によると例の「生贄の儀」だけは行われていないという。


 そして2年後も3年後も――、同じようにお祭りは開催され今年を迎えた。



 大学を卒業した山中百合子は都会へ働きに出ていた。しかし、意外にも奉納祭の今日は村へ戻って来ている。


 村を出ていった若者で、わざわざ奉納祭の日に合わせて帰省する者は非常に珍しい。お盆休みや年末年始とも時期がズレており――、なにより元々村に住んでいた人間にとっては、あえて戻って来る理由になるほどのものではないのだ。


 さらに山中百合子に限っては、村に対する嫌悪感を人一倍抱いている女性でもあった。



「百合子ちゃんがまさかお祭りに日にわざわざ帰って来てくれるなんて……。村のみんなきっと大喜びだよ」


「一度出て行くとそれっきり全然顔を見せない子も多いからねぇ。百合子ちゃんは本当に偉い子だこと」



 鹿ヶ峰神社の境内、彼女は誰かとすれ違うたびにこうして声をかけられていた。百合子は愛想笑いを浮かべ、適当に言葉を交わしている。


 そのとき、村人の1人が大きな声を上げた。



「百合子ちゃん! 足元、気を付けて! そこ、蜂がいるからじっとしてて!」



 彼女が足元に目をやると、スズメバチだろうか――、大人の親指くらいある濃い橙色をした蜂が止まっているのが目に付いた。


 百合子はなんの躊躇もなく、地面にいたを思い切り踏みつけた。田舎育ちならちょっとした虫程度では驚かない人も多い。


 ただ、彼女の動きは、それを見ていた村人が逆に驚くようなものだった。


 足を上げるとその場にしゃがみ込んで、つぶれた虫の死骸をまじまじと確認しているのだ。



「百合子ちゃん、蜂を無闇につぶしちゃいけないよ! 仲間が寄って来たりするから危ないんだよ!」



 百合子はしばらくの間、しゃがんだままで死骸をじっと見つめていた。その時間があまりに長く、周囲に異様な空気が漂う。


「ゆっ……、百合子ちゃん。そんなに見つめなくてもさすがに死んでるよ?」


 村人の誰かが言った言葉が聞こえたのか、百合子はゆっくと立ち上がり、笑顔を見せる。



「――ですよね? でも、自分で踏んだら気になるじゃないですか? ホントに死んだのかなって?」



 そのとき――、まだ生きていたのか、それとも単なる死後の痙攣なのか、蜂の死骸の足がぴくぴくと動いた。それを目の端に捉えた百合子は――、またも力強くを踏みつける。



「――気になるはずなんです。放ってはおけないはず。だから、わざわざ奉納祭の日なんかに戻って来たんですもの」



 彼女は足元を見つめながら、誰にも聞こえない小さな声でそう呟いた。




―― 完 ――

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トロイの木馬 武尾さぬき @chloe-valence

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