雑に終わる世界

青空野光

人類の黄昏

 人類の歴史を紐解こうとした時。

 ホモ・サピエンスと類人猿が共通の祖先から明確な枝分かれを果たした数百万年前をその起点とするのか?

 はたまた、有史以降の数千年を対象とするのか?

 そういった学術的なことは無学である俺にはわからないのだが、何れにせよその歴史は今、黄昏を迎えていた。


 俺が生まれるよりかなり、今から数十年も以前。

 百億の大台に手が届き掛けていた人間の数は一気に減少した。

 それは第三次世界大戦が勃発したわけでもなければ、高い確率で死に至るようなパンデミックが発生したというわけでもないし、外宇宙から飛来した彗星が地表に大きな穴を穿ったのでもない。

 数十年前のある日ある時、突如として世界人口の九割以上が消滅したのだ。

 死滅という言葉を使わなかったのは、それが凡そ現代人類が共有していた死という概念からは大きくかけ離れており、文字通りにからに他ならない。


 ある者は、自動車を運転している時に突然居なくなり。

 ある者は、隣人と立ち話をしている最中に霞のように消え去り。

 またある者は、布団の盛り上がりと僅かな体温にだけにその痕跡なごりを残し、いつの間にか消滅した。

 そういったことが特定の国や人種、性別などに偏ること無く発生したのだ。

 それから十数年間。

 消滅から取り残された人々は混迷を極めたと聞くが、それも当然のことだろう。


 その日を境に、まず世界から国際社会という概念が消失した。

 理由は簡単で、世界中の為政者の殆どが消え去ったからだ。

 消滅を免れた者によって辛うじて国体は維持されたのだが、その新時代の政治家達も入れ替わりは激しかった。

 理由は言うまでもないだろう。


 とにかく人類は、国際社会どころかひとつの国の中でも大きく分断され、その小さなコミュニティーの中で辛うじて生き延びていた。

 形だけの政府がしてくれることと言えば、やはり僅かに生き残った人間を集めて結成した部隊によって、かつて海外と呼ばれていた海の向こうからの来訪者を排除し、目に余るような犯罪行為に限って取り締まることだけで、日々の生活の保障などはもう、この世界のどこにも存在していない。


 俺の住むこの日本国に於いては、東京や大阪といった大都市に居住する人はもはや皆無であった。

 AIによるのちの研究によれば、大都市では人類の消滅係数が非常に高い数値であることと、あとは単純に文化的な生活を送ることが出来なくなった今では、都市部ほど住みにくい場所などないということだった。


 そんな世界になってしまっても辛うじて人類が絶滅を免れていたのは、消滅現象によって人間の頭数が減ったことにより、辛うじて食料の供給が途絶えなかったことにある。

 もっとも、それも私が生まれるより以前から配給制となっており、その量も内容も生命活動を維持するのに最低限必要なだけであった。

 多くの家庭では農作物の自家栽培を行っており、それらを物々交換をすることで生活に雀の涙ほどの潤いが出てきたのはここ十数年でのことらしい。

 それでも、やはりこの世界が尻すぼみの螺旋階段を転がるように駆け下りていることに変わりはない。


 人類の消失現象は何故、起こっているのだろうか?

 それを知り得る方法などありはしなかった。 

 だが多くの人は、その規則性ルールだけは気付いていた。

 そういう俺も、先月それを知った。

 知ったというよりは理解したと、いうべきだろうか。


 うちは母子家庭だった。

 その言葉自体が既に使われなくなって久しい。

 何故なら今の時代、殆どの家庭では両親のどちらかしか居ないか、そのいずれも存在していないのが当たり前なのだから。

 俺が生まれた日から丁度一ヶ月後に父が消えてから、俺と母はたった二人だけでこの終わった世界を生き延びてきた。


 今から二ヶ月前。

 自分と母親以外の誰も信用出来ないこの世界で、俺は初めて母親以外の女性たにんから強い好意を受けた。

 俺も彼女に強く惹かれ、その日のうちにも交際が始まった。

 ただ、その彼女はもういない。

 丁度一ヶ月前の今日。

 目の前で自らの母親が消滅してしまったのを目の当たりにした彼女は、直後に俺の制止を振り切ってマンションのベランダの手摺りを乗り越えると、アスファルトの黒い地面に真っ赤な大輪の花を咲かせた。

 彼女が自ら命を絶った理由は、母親が消滅した原因が他ならぬ自身のせいだと気付いてしまったからだろう。

 だとしたら、俺もそのとき彼女の咲かせた花の上に、もう一輪分のそれを咲かせるべきだったのかもしれない。


 その日の夜。

 俺の母は風呂に行くと言ったきり、そのまま戻ってくることはなかった。

 脱衣所には脱いだ服がそのまま置かれており、誰も居ない浴室ではシャワーが床に当たるバシャバシャという音だけが響いていた。



 いったい誰が、どんな方法で行っているのかはわからない。

 この世界の人類は、数十年前に始まった黄昏の日から、自分のことをもっとも愛する人がいなくなると――言い換えれば、誰にも愛されなくなった人間は消滅してしまうという、不可解で理不尽で雑としか言いようのないルールを押し付けられてしまったのだ。

 

 まるでコンピューターが定期的に不要なデータを削除して記憶領域を確保するように行われるそれは、あたかも誰からも愛を受けない人間は無駄だと言わんばかりだった。

 もしかしたら、世界のリソースはあの日に溢れてしまったのかもしれない。

 だとすれば、削除が進めばいつか世界は元のルールに戻るのだろうか?

 もし、そうだとしても。

 それは最早、俺には関係のない話だった。


 愛されることがなくなった人間が消滅するまでに、丁度ひと月の猶予があることを自らの経験で知った俺は、同時に母から受けていた愛の深さを知ることにもなった。

 もし、あの世というものが本当に存在するのであれば、俺は母に





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