第4話 生きた証

 冷たく言い放った二宮さんは何やら操作をする。するとフロント奥にある真っ白な壁に突如映像が映し出された。それは目の前で現実を見ているかのような鮮明な光景だった。


 喪服姿の人たちが大勢映る。かなり盛大なものらしく、参列者もかなり多いようだった。


「ほ、ほら、俺の葬式、こんなに人が……!」


『あいつ飲酒運転で死んだとか馬鹿じゃね?』


 意気揚々と話し出した加賀武志の声にかぶさるように、映像の中の一人が言った。若い男女たちだった。


『元々馬鹿だったじゃん。ただの金ヅル』


『金払いよかったもんなー! それだけがあいつのいいとこだわ』


『親が金持ちなだけだろ? なのに本人偉そうで笑える』


『お前付き合ってたろ?』


『金なかったらあんなアホと付き合ってないって! 他にも彼女いたらしいしさーバレてないと思ってんの。全員知ってるっつーの』


 加賀武志の全身がワナワナと震える。画面が切り替わり、今度は中年の男性と女性が映った。


『飲酒運転……一人で死ねばいいものを、歩行者を巻き込みおってあの馬鹿……』


『自由にさせすぎたんでしょうか、お金さえ渡しておけばあの子大人しかったから……』


『元はといえばお前の教育が悪いんだ! どうする、あの馬鹿のせいで会社の経営にも関わってくるじゃないか、もしかしたら終わりかもしれん!』


『車を貸したのだってあなただったでしょう? ずっと息子に無関心だったくせに、こんな時だけ偉そうに!』


 言い争いを始める男女はおそらく彼の両親なんだろう。悲しみより怒りで満ちた二人は、唾を飛ばしながら延々と喧嘩を繰り返してた。


 その背後には、笑っている加賀武志の遺影がある。


「も、もういい……止めてくれ!」


 隣で彼は叫んだ。二宮さんが指示通り映像を止める。


 加賀武志は真っ青になっていた。十四の資産で、一体来世どんな人生が待っているというのだろうか。

 

 そのまま彼は突然奇声を上げた。甲高くて耳にキンとくるひどい声だった。そしてわからない言葉を繰り返すと、凄い速さでオークション会場へ走り出してしまった。


「あ! か、加賀さ」


「大丈夫です、あちらのスタッフに取り押さえられるでしょう。放っておきなさい、ああいう人間は現実を受け止めるのですらうまくできないのですよ」


 冷たい声にびくっと反応してしまった。相変わらず無表情なのが怖い。


 二宮さんは何も気にしてない様子で続けた。


「高橋様も、見られますか?」


「……え」


「あなたの資産の内容を」


 そう、加賀武志の十四にも驚いたが、なんと言っても僕に二億越えの資産があることも信じられない。だって、無口で友達だってほぼいない僕なのに。


 ごくりと唾を呑む。そっと頭を下げた。


「……お願いします」


 二宮さんが無言で操作する。目の前に映し出されたのは、見慣れた顔たちだった。



 加賀武志の葬儀とは違って、小さくてこじんまりとした葬儀だった。真ん中に置かれた棺に、一人の女性が寄り添っている。


 白髪の増えた髪、いつのまにか深くなった皺。喪服を身にまとい、目を真っ赤にしているのは、紛れもなく母だった。こうしてみると、ぐっと老けたなと感じる。幼い頃自分を軽々と抱いてくれていたあの頃とはまるで違う。


『なんで、こんなことになったんだろう……私が変わってあげたい……』


 涙声が小さく聞こえてくる。その頬には涙の跡がたくさん残っていた。


『晴也……苦労ばっかかけてごめんねえ。でも文句も言わず働いてたあんたは世界一の自慢の子だったよ……ごめんね、幸せにしてあげられなくてごめんね』


 ぼろぼろと涙が棺に落ちていく。その光景を見て、自分の目にも涙が浮かんだ。


 違う、母さん。僕、別に不幸だなんて思ったことなかったよ。不満もあったけど、楽しいこともたくさんあったから。


 母一人子一人の生活は決していいものではなかった。経済的な問題もあったし、母自身疲れてふらふらになっていた。僕も、貧しい生活に恨みがなかったと言えば嘘になる。もっと普通の家庭に生まれていたら――何度そう思ったか分からない。


 それでも僕が道を外さず生きてこれたのは、紛れもなく母の存在のおかげだった。


 お金がなくてもなんとか思い出を残そうと色々連れてってくれたことは忘れていない。誕生日には奮発してホールのケーキを買ってくれたし、遠足の弁当は豪華で手が込んでいた。


 ごめん、母さん。親より早くこっちに来てしまうなんて、親不孝者でごめん。本当はこれから、温泉にでも連れて行ってあげようと思っていたのに。もし結婚とか出来たら、孫だって抱かせてあげられる未来があったかもしれないのに。


 そばにいられなくて、本当にごめん。


 そう心の中で言った時、画面に一人の男が現れた。僕の唯一の友人、トオルだった。友人だったとはいえ、葬儀に来てくれたことは驚いた。時々連絡を取って飲みに行くぐらいで、トオルにとって俺は大勢いるそこそこ仲のいい友人の一人だと思っていたからだ。


 彼もまた、鼻も瞼も真っ赤に腫らせて、棺に向かって話しかける。


『晴也。急ぎ過ぎだよ。俺もっとお前と遊びたかったのに。一緒に飲んで馬鹿なことしたかったのに。こんなアホな俺と友達でいてくれるのなんて、晴也だけなのにさあ……。覚えてるか? 俺がクラスで無視され出した時、晴也だけは話しかけてくれた。あのお礼、まだ出来てないのに』


 泣き顔なんて見たことない男友達の涙に言葉を失う。嗚咽を漏らしながら、トオルはずっと泣き続けている。


 そんなふうに思ってたのか? 


 昔の話だ。つまらない理由でトオルを無視し始める奴らが現れた。確か、そいつの好きな女の子がトオルを好きだった、とかだったと思う。クラスの中心人物だったので無視は広がったが、くだらなかったので僕は従わなかった。それに何より、トオルは明るくて優しいいいやつだったので、そんなことでいい友人を失くしたくなかったからだ。


 無視は少し時間が経つと自然と解消されていた。半分忘れていた過去だというのに、トオルはずっと感謝してくれていたのか。僕こそ、こんなつまらない自分と友達でいてくれたことにお礼を言いたいのに。


 時々飲みに行って近況報告をして、トオルの家でホラー映画を見たり、ゲームをやったり、そんなくだらないことをしている時間が何より楽しかった。


 それを素直に伝えられなくてごめん、トオル。お前はたった一人のかけがえのない友人だった。


 胸が締め付けられる思いで見ていると、更に画面に入り込んできたのは、職場で一緒に働く石田さんという女性だった。これまた驚く。彼女とはほぼ仕事上の会話しかしたことがない。上司などはともかく、彼女が葬儀に参加したのは意外だった。


 真面目で明るいいい子で、いるだけで周りがぱっと明るくなる……僕とは正反対の女性だった。


 石田さんは鼻を真っ赤にして、小さな声で言う。


『わ、私……高橋さんともっと話せばよかった……いつも優しく仕事を教えてくれて、フォローしてくれたのに。私のミスを被って一緒に謝ってくれて。いつか告白しよう、って、そう思ってたのに……』


 ハンカチを強く握り締めながら顔をぐちゃぐちゃにして泣く。息が止まったかと思った。


 まるで気づいていなかった彼女の気持ちに言葉が出ない。どうせモテない自分、と思っていた。誰も僕になんか興味がないんだと思い込んでいた。でももしかして、勝手に壁を作っていたのはこっちだったのだろうか。


 そういえば、美味しいお土産をくれたり、たわいもない雑談を振ってくれたり、彼女はよく話しかけてくれた。


 ああ、僕はそれにちゃんと答えられていたんだろうか。笑顔でありがとうと、伝えられていたんだろうか。


 思い出せない。


 僕の方こそ、明るい石田さんの存在に癒されていたというのに。


 人の少ない葬儀場に、三人の泣き声がただ響いていた。悲痛な声だというのに、どこか嬉しく思ってしまう自分がいた。





 映像が切られる。呆然としている僕に、二宮さんが静かに言う。


「愛される、のは数だけではございません。深さです。あなたは数こそ少ないものの、一人一人に深く愛されている。だからこの数値が現れたのですよ。一億という巨大な数値が」


「え? 僕、二億じゃ」


「ああ、残りの一億はあなたのお父様が残された一億です。一足先にここへ来たお父様からの贈り物ですよ」


 もう顔も思い出せない父を想う。過ごした時間は短くても、父もそれだけ僕を愛していてくれた、ということか。自分が早くこっちに来てしまったことを申し訳なく思い、せめてもの贈り物として、僕に資産を残してくれたのかもしれない。


 そうか、父さんもか……父さんも、僕を想っていてくれたのか。


 ぼんやりとしながら自分の頬に涙が伝ったのに気づく。ここへきて初めて涙を零した。


 ああ、僕の人生ってあれでよかったんだな。短かったしやりたいこともまだあったけど。悔しいけどでも、あんなに愛してくれる人たちに囲まれて幸せだった。


 僕という人間が消えた時、あれだけ泣いてくれる人がいる。


 多くなくていい。数じゃない。


 あの人たちが、僕の生きた証だ。


「凄い数値ですよ二億二千。これならAランクも狙えるかもしれません。どうなさいますか」


 二宮さんの質問に、僕は小さく笑った。そして彼の顔を見てきっぱりと言う。


「僕、普通の人生を選びます」


「…………」


「勿論上ランクの人生も素敵だと思いますけど。普通の人生で、なんとか頑張って、そんな中で出会える人たちを大切にしたい。来世はもっと周りに感謝を伝える人間になりたいです」


 手のひらで涙を拭き取る。二宮さんに笑いかけた。


「残りの資産は、今僕のために泣いてくれた三人に分けてください!」


 それを聞いた二宮さんは、ゆっくり微笑んだ。彼の笑顔を見るのは初めてだった。


「あなたさまのような方なら、きっとどんなランクの人生でも幸せになるでしょう。残された三人も。きっとまた来世で会えますよ」


 彼の優しい言葉に頷いた。深々と頭を下げてくれる二宮さんにお辞儀を返し、振り返る。


 自分の大事な人たちの顔を思い浮かべながら、大きく頷いた。


 もし、またあなたたちに会えたなら、今度はもうちょっと素直になって向き合おう。ありがとうって、僕にとっても大事な人ですよ、って、面と向かって伝えるんだ。


 来世ではきっと、またいい人生が待ってる。


 誰かに必要とされ、愛される人生が。




 僕はオークション会場に向かって足を踏み出した。








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来世オークション 橘しづき @shizuki-h

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