エピローグ:この海の向こうへ


 私は、舳先の手すりに白い手袋をした指をそえた。

 海を見て、ほうっと息をつく。

 ニシンの群れが、水面下で銀色にはためいていた。楽園島で迎える三度目の初夏も、爽やかな風が心地いい。


 振り返ると、豊かになった島が見えた。

 壊れがちだった桟橋は修理され、しかも数が3つに増えている。この船が停泊しているのは、浜に近い1つだ。

 港には灯台も設置されている。楽園島を目印に北方商圏へ向かう船が多いためで、建材はシェリウッドから、技師は開拓騎士団から招いたものだ。


 今や島の周辺は、かつてのリューネに代わる交易拠点である。

 西方からの船は、シェリウッドで一度投錨とうびょう。物資を補給して、楽園島から北方商圏の航路へ入る。

 北方からの交易船も同じようにシェリウッドを訪れ、西方の船が置いていった物資と北方の産物を交易する。

 商業の重心は、すでに北方に移っていた。


 一際強い風がやってくる。マストの上で畳まれた帆やロープが鳴り、船が少しだけ揺れる。

 私が閉じていた目を開けると、礼服に身を包んだお父様が、舳先への階段を上がってくるところだった。お父様は私を見つけ、目を細める。


「今日はおめでとう、クリスティナ」


 涙が出そうになったのか、お父様は少し目頭を拭った。


「最初に島に来た時はどうなるかと思ったが――きっと、よかったのだろうな」


 私とお父様は、並んで海を見つめる。

 島が発展しても、美しいこの海はずっと同じままだ。


「こんなに幸せそうな君を見ることができた」


 私はくすりとしてしまう。


「あらら、急に改まって」

「今日くらいは改まるさ。娘の晴れ姿だもの」


 私は、島に来て初めてというくらいに着飾っていた。

 いえ、人生で一番かもしれない。王宮でドレスを着た時も、今日ほど幸せを感じることはなかった。


 青を基調とし、夏花の刺繍をあしらった薄手のドレス。楽園島のお母様方がエンリケさん、そしてギュンターさんに直談判して、船倉にいくつものドレスを詰め込ませたらしい。

 ありがたいことに、私はその中の一つを選ばせてもらった。

 シンプルに結い上げていた茶髪も、島の女性らに手伝ってもらって服にそぐう髪型に変えている。本物の白い夏花も、いくつか髪飾りにさしていた。

 王宮で婚約者であった頃は、もっといいものを着ていたのかもしれない。

 でも今ほど――自由で、晴れやかではなかった。


 かつん、と杖をつく音。

 領主様も杖をついて、ゆっくりと階段を上がってきた。


「おめでとう、クリスティナ」


 そう言って、領主様は深々と一礼する。


「全能神が、今日という日をよくしてくださいますように」

「――ありがとうございます、領主様」


 お父様が、島に来たばかりの頃を言ったせいだろうか。私の心にも、きらめく海と空に囲まれた、初めて見た時の楽園島が浮かんだ。

 丁度、これくらいの、初夏の時期でしたもの。

 海風の爽やかさはいつだって変わらない。

 私が島にやってきてから2年が――『総会』にまつわる騒動から、1年が経過していた。

 来た時17歳だった私は、今は19歳になっている。


「そしてありがとう、クリスティナ。島をごらんなさい」


 楽園島は、お祭りのようになっていた。

 家のひとつひとつに慶事を祝う白と青の旗が掲げられ、島唯一の食堂であるハルさんのご家族が、魚介や島野菜を屋台でも料理している。そこまでするのは、外からの来客が多いからだ。


 シェリウッドの市長様や神父様、聖フラヤ修道院のオリヴィアさん達、島で馴染みになったたくさんの交易商人――特にギュンターさんにエンリケさん、そして開拓騎士団。

 初夏は漁期、かつ商談期でもあり、商いで繋がった人たちが島にやってきてくれていた。


「盛況ですねぇ」


 我ながら、あまりの賑わいにぽかんとしてしまう。

 領主様は呆れたように笑った。


「お店じゃあるまいに。それに、こういう日を選んだのでしょう」

「ええ。まぁ……結婚式ですので」


 私は首をすくめた。首周りを出したドレスが新鮮で、涼しくて、ちょっと面ばゆい。

 領主様に振り返る。


「でも、領主様? こちらこそ、領主様にはたくさんのお礼を言わなければいけないのですよ?」


 領主様は口の端に、ひっそりとした笑みを浮かべる。商人は、仕事でたくさんの笑顔を作る。ささやかな微笑は、あまりに多くの笑顔をしてきたこの方の、本当にやすらいだ表情なのだと今は気づけていた。


「あのリューネの時も、お手紙でしっかり助けていただきましたもの」


 実は私達がリューネで必死に頑張っている間、遠く離れていた島から、領主様も活躍していたのである。

 私を通じて、ギュンターさんに渡された手紙は、王家ゆき。大商人がやるような、多額の貸付を強みとした王族への要請――王侯金融を、この方もかつての財産を利用して行ったのだ。

 ……なお、前もって教えてくれなかったのは少し悔しいので、私はたまにあてこすっている。

 今回は、純粋に感謝ですよ。


「言ったでしょう? 魔法を使ってでも、あなたを助けると」


 そう笑みを深めてから、ダンヴァース様は苦笑する。


「でも、王妃への手紙はあくまでも保険。本来は島の商いだけを守るためのもの。あなたが王族を動かさなければ、北方商圏は成らなかったでしょう」

「王族の動きがスムーズだったわけですね」


 その王妃様への手紙こそ――私がリューネへ向かう時に託された手紙、その一つ。だとすれば、領主様は何手先まで読んでいたのだろう。

 ただ手紙の本来の意図は、あくまで島の事業を守ること。

 そのために『株式会社』という制度の追認と、『北方商圏』に備えた島の保護を、王家へ願った。


 前者は、『株式会社という制度全体』というよりは、『海の株式会社』を認めてもらうため。

 後者も、『海の株式会社』を商人連合会から守ってもらうため。


 でも私達がリューネで働いた結果、『株式会社』には大きな注目が集まり、『北方商圏』も同様。

 結果、『海の株式会社』を守るための取引は、効果を強める。その頃には私達を守ることは、株式会社という制度を王国に広め、北方商圏をも王家がかばうことと、同義だったのだから。


 領主様は、リューネで私がどう動こうとも、王族が敵にならないような――願わくば味方になるような、手を打っておいてくれたのだといえる。

 ……そして、事前に手紙の内容を私が知っていても、役立てられたかというと……うーん。多分、混乱するばかりだっただろう。

 さらにもっと怖いのは――用意していた保険の手紙が、私の動きでより大きな効果を出すことも含めて、領主様の読みだったのかもしれないこと。


「――魔女ですねぇ」


 ぼそっと呟く。

 たぶん聞こえたわけではないと思うけれど、領主様は首をすくめた。


「ただ、あのような魔法は、もうありませんよ」

「――ええ。債権放棄が、商人にとってどれほどの痛手であるかは、わかっています」


 楽園島の商いは、領主様から私に託された――そういうことなのだと思う。

 私は船縁に寄り、手すりをぽんと叩いた。


「どうぞご安心を。こんなに立派な船を持つことも、許してくださいましたし!」


 全長13メートル、船首と船尾が高くなったこの船は、『海の株式会社』が2年間の稼ぎを投資して購入した。

 バス船という型で、今は外しているけれど網用の巻き上げ機ウィンチを付けることもできる優れものだ。

 ……いやまあ、中古なんですけどね。

 お父様が大きく頷く。


「次はタラ漁と言っていたね?」

「ふふ、年寄りはもう引退かしらね」

「あら、領主様? まだまだお仕事はいっぱいありますよ。お元気でいてもらわなければ」


 私達が談笑をしていると、舳先の階段を女の子が登ってくる。ぴょこんと揺れる、赤毛のおさげ。ハルさんは私の姿に目をキラキラさせた。


「く、クリスティナ様! す、すごく、素敵ですっ」

「ありがとう」


 ハルさんは、11歳から、13歳に。背が伸びて、顔や体つきも少し大人っぽくなっている。

 あと2年経てば、仮に社交界だったらお披露目デビュタントの時期になるわけで――私はドレスを着たハルさんを思い描いて、どれも似合いそうとニコニコした。

 小さな手が、私の腕を引く。


「みなさま、そろそろこちらへ! ログが待っています」


 どきりとした。

 今日という日を思い出す。


 ――『結婚式』なのだ。


 漁のために新たに用意した船で挙式を行い、その後、島で宴を行う。なんとも私達らしいやり方だ。

 私はちょっと歩きにくいドレスで、苦労して階段を降りる。みんなと一緒に甲板を渡って、少し高く作られた船尾部分へ向かった。


 途中、聖導教として祝詞の準備をしているオリヴィアさんとすれ違う。島の方を見ると、ギュンターさん、エンリケさんも私達を見上げていた。

 目が合ったので軽く手を振ると、お酒のカップを掲げられる。今日は賑やかになりそうだ。

 島には開拓騎士団のフーゲンベルクさんも寄ってくれている。シェリウッドが交易の中継点になったので、式のことを告げると、日程を繰り合わせてくれたのだ。

 恩人と、親友の息子の結婚式にどうして出ないことがある――と、鼻息が荒かったらしい。

 船尾の階段を上ると、ログさんが正装して待っていた。


「クリスティナ」


 胸が熱くなる。はい、と短く答えた。

 今日のログさんは黒髪を後ろに流し、白の礼装となっていた。背が高く、がっしりとしているので、騎士の礼服姿を思い出す。

 ……フーゲンベルクさん、そしてもし生きていらしたらログさんのお父様は、今の姿をきっと喜ぶだろう。

 お父様たちが退出をして、私はしばらく、ログさんと2人で海を見る。


「……次は、この船で」

「タラを獲ることになりますね」


 普通に応じて、顔を見合わせる。2人して、思わず笑ってしまった。

 だって、どっちもこんなに着飾っているのに、もうお仕事の話をしているのですもの!

 夏風が涼やかに渡る。

 目を凝らすと、水平線にはちらほらと帆を張った船が見えていた。シェリウッドへ向かう交易船が、天気がよいと島から見えるのだ。

 絶海の孤島にも思えた楽園島だけど、今ではいくつもの航路で世界と結ばれている。


「これから、島はどうなるんだろうな」

「よくなります」


 私は確信をこめて言う。


「島でとれたニシン、そしてこれからはタラ。そうしたお魚が塩漬けや瓶詰にされて、シェリウッドや島の港を経由して、世界中で味わってもらえるようになりますわ」

「北方商圏、か」

「それだけではありません。神聖ロマニア王国でも、大商会に押さえられていた商人達が、だんだんと輸出を始めています。連合会が自分達を守るために行った関税、そのせいで、王国の中小商人が輸出する時にも買い手側の関税がかかりますけれど……」


 私は指を一つ立てる。


「逆に言えば、関税があっても買い手がつくほど、ものはいい」


 王国でも、商いに変化が起きた。

 『株式会社』といった制度が西方同様に広がり、中小・新興商人がお金を集めて事業をしやすくなっている。制度の整備を行ったのは、第二王子アーベル殿下だ。


「第二王子殿下が、株式会社を認める制度を巧く作っているようです」


 『海の株式会社』が王国の株式会社の見本となり、制度ややり方について、私達は王家や大臣から何度も問い合わせを受ける。

 ログさんが複雑そうに頬をかいた。


「……あのお方か」

「お忍びで島に視察へ来て、謝って帰られましたね」


 私は肩をすくめる。

 王家は『海の株式会社』を認める体面上、私達に30万ギルダーほど出資していた。比率はエンリケさんより少し下、つまり第3位株主である。

 春先、株主たちを集めて、配当や事業計画について説明する機会を設けたのだけど、その時の情景は――まるで国際会議のようだった。

 領主ダンヴァース様、フィレス王国のエンリケさん、そして神聖ロマニア第二王子が、当社の出資者である。


「よかったのか?」

「何がですか?」

「――『冤罪』を晴らす、と申し出られたようだが」


 私はログさんへ苦笑する。


「お父様も固辞されましたしね。私達だけが罪を取り消されても、開拓騎士団や、ログさんのお父様のように、取り返しのつかない方もいる。今のままで――彼らのかつての判決があてにならないと示し続けた方が、よいでしょう」


 そんな理由で、第二王子の謝罪は受け入れたものの、追放の取り消しは固辞した。

 ただ王家、特に王子殿下はよくやってくださっていると思う。

 商人連合会との争いで、王家はひどく消耗したらしい。民を守るのは本来の責務だ。でも、商業制度の発展は、今までの王国からすれば大きな変化だろう。


 商人連合会は、七つの大商会を核にまだ存続していた。ただこちらは、影響力が少しずつ小さくなっている。

 リューネも国際的な中継貿易の都ではなく、大小の商人らが集まる手工業の街として、再出発をしようとしていた。

 そこにはもちろん、新たな存在――『株式会社』がいくつも誕生している。


「過去よりも、今が大事です」


 私は手を広げ、くるりと回った。


「王国のある大陸商圏も、北方商圏も、この島の位置なら繋げられます。北方商圏、大陸商圏ではなくて、大きな一つの商圏のように、いずれはなるでしょう」

「大きな話だな」

「当然です。海の話ですもの」


 私はにっこりした。

 甲板の方からオリヴィアさんが呼びに来る。

 式の時間だ。


「出ようか」

「――ええ!」


 私はログさんと手を繋いで、船尾階段をゆっくりと降りる。

 甲板には、みんなが集まっていた。

 お父様、領主様、ハルさん、ギュンターさんとエンリケさん、開拓騎士団のフーゲンベルクさん。入りきらない島の漁師さん達や、いつも魚の処理を手伝ってくれている方々は、島から声援を送ってくれていた。

 ログさんは私にまっすぐ向かい合う。

 誓いの言葉を、口にして。


「愛している、クリスティナ」


 琥珀色の瞳。

 何度聞いても、心がときめく。

 私も頷いて、その言葉を伝えた。


「私も、愛してします」


 かぁん、と鐘が鳴らされた。何度も、何度も。船の来航を告げるその鐘は、今は祝福のために。

 海風と鳥の声。まるで、海も私達を祝福してくれているみたいだった。


「では、誓いの口づけを」


 オリヴィアさんが告げるのに合わせて、私はログさんと――いえ、ログと見つめ合う。

 胸に入りきらないほどの幸せを感じながら、私達は唇を重ね合った。



―――――――――――――――


お読みいただきありがとうございます。

これにて、物語は完結となります。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。


近況ノートにあとがきや、物語の最後の地図、ほか『海の株式会社』の財務諸表を

置いておりますので、よろしければご覧くださいませ。

また、これを機にコメントなどいただけましたら、とても嬉しいです。


それでは、重ね重ね、お読みいただきありがとうございました!

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追放令嬢の孤島経営 ~流刑された令嬢は、漁場の島から『株式会社』で運命を切り開くようです~ mafork(真安 一) @mafork

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