4-13:運命の先(後)

「知らない方々もおられるでしょう。なので、この場で、はっきりと、私は申し上げておきたい」


 ぐるりと辺りを見回して、ブルーノは私に指を突きつける。


「ここにいるのは、流刑島を出てきた罪人どもです」


 観客がざわめく。


「彼らのニシンがどんなに美味であろうとも、彼らの先祖が流刑されたことは変わらない。そこにいる、女社長もまた――王宮で罪を問われ、流刑にされた当人だ!」


 胸がざわついた。

 ブルーノの最後のあがき。それは、私達が積み上げたものを風評で崩そうとすることだった。

 ログさんが前に出ようとする。


「それは冤罪で……!」

「ログさん」


 私は首を振る。

 ブルーノの顔色の悪い表情が、今は不気味に歪んで、上目遣いに私を睨んでくる。


「王子殿下の婚約者にまで上り詰め、公金横領、背任などなど、多くの罪を背負いました。開拓騎士団よ、流刑島のこの女を信用するのですか?」


 相手が呼び掛けているのは、私達じゃない。

 市場に集まったお客さんだ。

 冤罪であっても、流刑の事実は動かせない。それはまた、この場で、多くの人に私達の商品が流刑地のものであることを、改めて突きつけることになる。


「ログさん。ここで冤罪と申し立てても、無駄でしょう」


 ブルーノは、商人連合会の人間だ。おそらく私が冤罪であることを知っているか、少なくとも感づいている。

 私の追放はそもそも商人連合会が手引きしたのだから。

 王家の醜聞でもあるのだけれど……彼らと王家の繋がりは、すでに『海軍』の件で失われた。隠してやる義理はない、ということでしょう。


 ――罪人?

 ――この人が?

 ――いや、流刑島ってことは、言われてみれば……。


 そんな言葉が辺りから聞こえる。


 ――商聖女……?


 商人が多い街だからか、そんな声もした。彼らの間では、噂になったあだ名というから。

 私は、息を整えた。できるだけ静かな目で、相手を見つめ返す。

 覚悟していたけれど、大勢から『悪女』としてみられるというのは――確かに、ちょっときつい経験だ。品評会を見守っていた目に、疑いや、好奇心が混ざっているような、そんな気分になってしまう。


 流刑地だったという産地を、隠してきたわけじゃない。

 でもここで、社長の私がうろたえれば――終わりだ。

 罪人の、『後ろ暗い人達の品』という印象が生まれ、広まってしまう。

 クリスティナ、とログさんが囁いた。

 目が合って、頷きあう。

 ここで退いてちゃ、損ですもの!


「――それが?」


 最初の反撃は、肩をすくめてやること。


「ほう?」

「罪については、私はあなた方に言いたいこともあります。けれどもう、過去の判決について弁明も、申し開きも、いたすことはありません」


 海風が渡ってくる。


「過去の罪は、知らしめたいならそうなさるといいでしょう。ただし今は、私は罪人としてではなく――ニシン売りヘリンガーとして、この場に立っています」


 私は胸に手を当てた。


「私がどのような者かは、お売りしている品で見てください」

「ふん! 開拓騎士団、そしてお集まりの方々。そのニシンを食べると、地獄に――」

「あら」


 なんて無理筋な理屈。聖導教を絡めた言葉なら、こちらに味方がついている。

 涼やかな声は、観客席にいたオリヴィアさんからだった。


「……そのニシンに、街を救われた者もいますけれど?」


 修道女シスター姿のオリヴィアさんの言葉が、ブルーノに対する明確な反撃だった。

 私達と共に並んでいたエンリケさんが帽子を取って一礼。


「フィレス王国、第四王子エンリケ、不詳私も『海の株式会社』と取引を継続するつもりです!」


 私は胸を張り直す。

 守ってくれる人が、今は大勢いるのだもの。


「私達は、何も隠していません。産地もしっかりと記載し、確かな品質で売っていますわ。島のニシンが商いに耐えうるのは、すでに1年運んで、売っていることからも示されたとおり」


 ブルーノは絶叫する。


「だが罪人に……!」

「私は1年前、今、皆さんが食べているものと同じニシンを食べました」

「……なんの話だ」


 ハルさんが、はっとする。

 初めて島で出してくれた食事のことだからだ。


「本当に美味しい、旬のニシンでしたわ。だから、もし私が悪女であったなら、悪女も改心させるほど美味しいニシン、ということです」


 首をすくめて、私は言葉を重ねる。


「……ま、自分ではそんなに悪いことをした覚えは、ないんですけどね」


 お客さんがどよめく。

 商人連合会の言葉は、もはや空しく響くだけだった。

 「黙れ」と巨体のベアズリーが叫んでも、観客がはやしたり、口笛を吹いたりするのは止まらない。

 じきに王族から正式な出資も実行される。『悪女』という風評は、消えていくだろう。


「し、島のお魚は、美味しいですよっ」


 たまらず声を張るハルさん。

 最後に引き取るように、ログさんはくすりと笑って言った。


「社長のいう通り、ここよりもずっと北、俺達の故郷で獲れた魚は美味い! それと――『流刑島』じゃない。本当は、『楽園島』っていうんだ!」


 ログさんの言葉に、『楽園島』という名前が広場に伝わったのを感じた。

 流刑地という印象が、魚の名産地として、変わっていきますように。

 一人、ギュンターさんがひっそりと口の端を上げていた。


「さすがの商魂だ。立ちかけた風評さえ、宣伝に利用したか」


 苦笑するこの人が、答えだった。

 相手の目的は、私の心を折ること。なら、そうはいかないと教えてあげる他ない。


「静粛に!」


 フーゲンベルクさんが叫んで、やっと広場は静かになる。

 総長様――開拓騎士団総長ベイユーグ様が長い髭を撫でて、ゆっくりと立ち上がった。


「……結果を告げる。まず実食審査は、5人中4人が『海の株式会社』が優れていると選んだ。そして、串で投票を行った結果は――割合6対4で、『海の株式会社』が優れている」


 勝てた……?

 何かを叫ぼうとするブルーノへ、騎士団総長が鋭い視線を投げる。


「商人連合会よ、貴殿らは高価な香辛料をニシンにかけたが……それは本来の『香り』では敵わないという打算がなかったか?」


 ブルーノが押し黙る。

 結果、と短く告げられた。


「『海の株式会社』の塩漬けニシンは、商人連合会の一級品、それに勝る品質。開拓騎士団は、海の株式会社――クリスティナ達から納入をしよう!」


 北方商圏の大きな一歩。幻だった商圏で、実際の産物が動いたのだ。

 楽園島と開拓騎士団の間が、航路で結ばれることになる。


 『海の株式会社』にとっても、年2千万ギルダーを越える大口の契約だ。

 安堵、そして周りから快哉。

 ハルさんが私に抱き着いてきて、ログさんもそんな私達の肩に手を添える。

 ギュンターさんが腕を上げると、船員さん達も歓声をあげ小躍りした。

 周りの商人達も、手を叩いたり口笛を吹いたり。新興商人が商人連合会の一級品に勝った――そんなニュースは、総会の騒動の後なら、なおのこと胸がすくのかもしれない。


 すでに商人達の支持を失っていた連合会に、もはやこの場でも味方は少ないようだった。

 歓声に沸く広場。

 視界の隅で、ブルーノは顔を歪めて、首を振っていた。

 やがてベアズリーが巨体でとぼとぼと、ニシンを焼いていた私達の屋台に近づく。一串を取って小さく齧ってから、もう一串をブルーノに差し出した。


「……確かに、うめぇ。いいニシンは、こんな香りがするんだな」


 気になって追っていくと、ベアズリーがそう呟いたのが聞こえた。

 すすり泣くブルーノ。


「貴様、何を……商人連合会は、一級品を出しながら、敗けたのだぞ――!」

「だが改めて食うとよ。確かに、うまいぞ」


 肩を落として雑踏に去っていく2人は、歴史の中で――もう不要になった陸路の末路のようにも見えた。けれども、私はあの二人が……いえ、商人連合会が、威嚇や妨害によらない、きちんとした商いの道に戻れるよう願った。

 彼らは品評会で負けた。

 でも負けたということは、出てきてくれたということなのだから。

 悪いこともしたし、許せない気持ちもあるけれど――


「まいど」


 今は、お客と商人。

 小さく呟いたのが、聞こえたわけではないだろうけど。

 ブルーノはこちらをちらりと見る。

 赤くなった目で鼻を鳴らし、屋台に100ギルダー銅貨を2つ乗せて、今度こそ雑踏へ消えていった。




 品評会から、さらに2週間後。

 『総会』がすべての議事を終え、商人連合会が掲げていた規制は可決された。

 彼らは外国商人からの仕入れに、関税をかける。王国の中小、新興商人にも似た性格の負担金が課されるが、こちらは王族との折衝があり、金額、対象品目ともに狭められた。


 商人連合会の代償は大きい。

 元々は60を超える都市、500を超える中規模以上の商会が加盟していた。だが、北の海に面する14都市が総会中に脱退を通告。20以上の都市が脱退の準備を進めている。

 事実上、勢力は半減した。


 私達は、北方商圏へと進む。

 やがて大勢の船や人が、古い陸路ではなく、北の産物と海路を求めて動き出した。

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