4-12:運命の先(前)

 午前中の見本市は、魚やワイン、パンに加えて、チーズや蜂蜜漬けの果物屋台まで出て、食べ物だけでも大変な盛況だった。

 交易品がメインということで、やっぱり保存が利くもの――つまり、しょっぱいものが多い。そのため甘味や、辛みに合う甘口ワインの人気も格別で、オリヴィアさんがいてくれてよかったと思う。

 ワインの種類が豊富にあったし、修道院の燻製ニシンもまた飛ぶように売れたのだもの。


 同じくらい商談が盛んだったのが、服飾関係だ。

 寒い北方には、羊毛産地が多い。それをリューネに持ち込んで衣服へ加工していたのだ。けれど、もともと北方にあった北方柄ノルディスクが、品評会で多くの商人の目にとまる。

 リューネに羊毛を持ち込まず、北方の拠点で編み上げて、西方へ出荷すればよい。このルートはエンリケさんが早速、交易に加えようとしている。

 王国内の中小商人も負けじと、柄の導入に熱心だ。元々北の模様だから、高級品の定番である毛皮と相性もいいし、商圏内で流行るかもしれない。


 主催の開拓騎士団は、公証人まで用意して商談を後押ししつつ、商人達に名前を売っていた。

 もちろん私達の屋台も大忙しである。


「ニシンとトマトのサンドイッチをこっちに!」

「はいはい!」


 ハルさんはくるくると働いている。

 私とログさんも同じだ。


「こっちは、トマトソースってやつを……!」

「燻製はあるかぁい!?」

「焼きニシンで!」

「お客さん、ニンニクと合わせても都会風で美味しいですよ!」


 そんな、あれやこれやの大騒ぎ。

 両手にお皿を持って給仕を手伝ったり、屋台で焼くのを手伝ったり。お客さんの美味しそうな顔に、嬉しくなる。初めて島でトマトをふるまった時のことをつい思い出した。


「『海図』をありがとう!」


 商人からはそんな声もかけられた。

 以前に海図を配ったことに加え、取引所を騒がせたエンリケさんが私達を宣伝してくれている。『海の株式会社』の屋台に、客足は途絶えない。

 手が足りなくなると、手伝ってくれる人まで現れる。それは、私がリューネに来た時、『塩漬けニシン』を売ったあの食堂の店主さんだった。


「手伝いますよ。あの時の、いいニシンの縁です」

「――ありがとうございます」


 短い間だったけれども、ちょっとは、街の役にも立っていたみたいね。

 午前中は慌ただしく過ぎていく。

 そんな中でも、私は広場の中央、円形に区切られた決戦舞台をつい見てしまう。

 そこでは、すでに一番早い『審査』が始まっていた。


 円形スペースの中に、屋台が一つだけ出ている。

 そこでは商人連合会と、『海の株式会社』、それぞれの塩漬けニシンが串で焼かれていた。

 お客さんは、必ず両方の串を取る。そして、美味しかった方の串を屋台近くの投票箱に投げ入れ、選ばれなかった方を店に返す。


 お客さんはどちらの串が海の株式会社かは、わからない。

 係員だけが判別できるサインが串に刻まれていて、どちらのニシンがより『おいしい』と思われたか、あとで集計する。

 目隠し投票というわけだった。

 審査はこの後、午後の『保存状況審査』、『実食審査』へと続く。


「……どっちが勝ってるのかなぁ」

「気になるよな」


 呟いた時、ギュンターさんが近くにいて驚いた。

 この人の手には、屋台の串焼きがいくつか。ワインも少し飲んでいるようだ。

 上機嫌ににやりと笑ってくる。


「安心しろ。開拓騎士団は、立場上、どうあっても『海の株式会社』から納入をするさ。商人連合会も、そこはわかっているだろうよ」


 私は小さく頷いた。

 商人連合会が品評会を受けたのは、要は時間稼ぎである。開催までに、『海軍』を動かしたり、商人を脅しつけたりして、北方商圏を潰してしまおうとしたのだ。

 ただ、海図や株式会社の上場で、北方商圏はむしろ盛り上がってしまったけれど。

 ギュンターさんは美味しそうにカップを傾ける。


「開拓騎士団への納入という意味では、もう勝負はついてる。関税に反発して、騎士団は連合会から抜けるんだぜ? ニシンだけはお得意様、とはいかんだろう」

「ええ。でも、私、ちょっと意外だったんです。彼らはそれでも、産物はしっかり『よいもの』を用意したようですので」


 おそらく、これはブルーノの意地だろう。


「開拓騎士団は、きっと『海の株式会社』の品質は認めてくれる。けれども、商人連合会もまた、一級品の品質を示して、私達の宣伝にのっかりたい」

「……まぁ確かに、向こうにとっては名誉挽回の機会か。モノがよければ、小口で納入が認められるかもしれんしな」


 緊張は解けない。

 『開拓騎士団』には私達を勝たせたい気持ちはあると思う。

 けれど、商人連合会側は公平な審査をもちろん求めている。現に、連合会からニシン審査官ヘリング・インスペクターが派遣されていた。

 彼らは塩漬けニシンを検査する人達で、意識がとても高い品質の番人。

 楽園島に来た時も、『流刑地』のニシンだからといって差別せず、優良品の評価をしてくれた。

 彼らは公平にニシンを比べるだろう。


 観客による目隠し審査などもある。

 副団長フーゲンベルクさんは分からないけれど――少なくともトップである騎士団総長は、ニシンの品質を正確に見極めようとしているように思えた。

 私達はまだ生まれたばかりの会社。

 どれだけ信頼ができるのか、確かめるつもりかもしれない。

 年に数千万ギルダーが動く取引だもの。当然、目も厳しくなるか。


「……まだ、一波乱、あるかもしれませんよ」


 私は口を結んだ。

 屋台から出てきたログさんが呼びかける。


「そろそろ時間だな」

「ええ、まいりましょう」


 正午を告げる鐘が鳴る。

 ほどなく今日のメイン、『塩漬けニシン』の本番審査となった。

 賑わいの中、私達は柵で円く囲われた区画に入る。

 フーゲンベルクさん達が座るのは、南側の一列だ。

 私達は西側で一列に立ち、商人連合会は同じ姿勢で東側。

 こちら側には、私、ログさん、ハルさん、ギュンターさん、そしてエンリケさんが並んだ。

 向こうは商人連合会のブルーノ、そしてシェリウッドでも相対した大柄な商人、ベアズリーである。やはりというか……同じ商会に収まったらしい。


 東西の商人達の前には、『塩漬けニシン』の大樽が5つ置かれていた。

 なお、この審査への参加希望は、他のニシン商人からもあったという。ただ、年に一〇万尾以上の納入が可能で、品質も良好と条件は厳しい。

 事前の協議で、結局はここにいる二者だけが候補として残ったのだった。

 フーゲンベルクさんが声を張る。


「ではこれより、『海の株式会社』、そして『商人連合会』、それぞれの塩漬けニシンを品評したい!」


 歓声が起こったのは、勝負が北方商圏の試金石と見なされているからだろう。

 塩漬けニシンは、聖導教の生活に欠かせない。なじみある食材の方が、高級品よりもかえって注目されるものだ。


 私達は大樽の蓋を開ける。

 黒い帽子を被ったニシン審査官ヘリング・インスペクターが、ニシンの積み方や臭いを改めていった。観客向けのパフォーマンス――という冷めた見方もできるけれど、食材なのだから、何度やっても悪いということはない。

 なにより、『きちんと審査して格付けされます』と示す意味もある。


「『海の株式会社』、5樽全て問題ありません!」


 同時に、商人連合会の方で声があがる。


「『商人連合会』側、1つ脱落!」


 え、と私は思った。ブルーノが舌打ちし、ベアズリーが狼狽する。

 審査官が樽を傾けて中身を見せつつ、塩漬けニシンを金属の棒で押しやった。すると、水で浮かんでいるかのように、ニシンの層が人差し指ほど底へ沈む。

 私は呟いた。


「……積み方が悪かったのね……」


 塩水に漬かったニシンは、身が縮む。そのためしばらく経つと、塩水に対してニシンの嵩が減って、浮いてくるのだ。一種の上げ底のようになってしまうのである。

 お客にとっては、一樽あたりのニシンが減るので、損だ。

 このため適宜検品して、ニシンが浮いてくるようなら、別の樽からニシンを移す。

 いわば、検品不足だろう。もちろん水が不必要に多いと、痛みも早い。


「他はよし、続行!」


 ハルさんがそっと囁いた。


「……品評会に、わざわざ悪いニシンを、出したってことですか……?」

「一級品を出してくるはずだけど」


 私は、彼らの樽にふと気づいた。


「見て? 樽の大きさや紋章が、バラバラでしょう? おそらく商人連合会は、それぞれの商会から一つずつ品物を出してきたのだわ」


 大きな組織だから、『各商会から一樽ずつ供出』という指示でもあったのかもしれない。その中には、ニシンの品質があまりよくないのに、一級品の評価を下されていたものもあったのだろう。

 一級品の判定は、癒着と賄賂の巣窟と言われていたけれど……なるほどねぇ。

 ギュンターさんが腕を組んだ。


「過去の間違った判定が、ここぞで悪さをしたな」


 観客にも、どこか弛緩した空気が流れる。

 商人連合会こそ、実はたいしたことないではないか、と。

 でも、ブルーノの平静が少し気にかかる。


 続いて、料理の審査だった。

 こちらで最後の裁定となる。

 さまざまに料理されたニシンを、5人の審査員に食べてもらう。メニューは3つまで許されており、『塩抜きをして焼いたもの』が1つ、後の2つは自由だった。

 ちなみに審査員の1人は副団長フーゲンベルクさんご本人、そして騎士団総長。トップと、輜重関連の責任者ということだろう。残りの人はニシン審査官ヘリング・インスペクター2人と、市参事会の有力者。


「どうぞ!」


 ハルさん達が、焼かれたニシンの他、トマトソース添えや、南方風サンドイッチブルスケッタを審査員席へ並べていく。

 私は声を張った。


「漁獲してすぐきれいな水で下処理したニシンを、塩漬けにしています。そのため香りもよく、シンプルなお料理でも美味しくいただけますわ」


 柵の外側にまで美味しそうな匂いが漂ったのか、観客が屋台へどっと流れるのが見えた。

 公平な審査官、ニシン審査官ヘリング・インスペクターも目を丸くしてトマトソース添えやサンドイッチを食べている。ハラハラする私達とは対照的に、フーゲンベルクさんが得意げで、ちょっと緊張が緩む。

 結局、小さく切り分けられたお料理は、全員がぺろりと食べてしまった。

 続いて、商人連合会の料理。

 おお、とどよめきが起きた。


「これは……」


 フーゲンベルクさんが顎をなでる。

 ハルさんが鼻を鳴らした。


「これ、この匂い……!」


 私は苦笑する。


「く、黒コショウをかけていますね」


 東方由来の香辛料は、それはもうお高い調味料だ。これがないために、島のトマトソースは王宮のレシピは再現できていない。

 ブルーノは右手を挙げて言った。


「ルールに、高価な食材を使ってはいけないという文言もありませんでしたのでね」


 いい匂いに触発されたのか、これまた大勢が屋台へ向かう。商人連合会は、この時間帯だけ、一般向けの屋台でも同じくコショウを使うのかもしれない。

 財力のいいアピールだ。


「……1尾100ギルダーのニシンに、1瓶で1万ギルダーの黒コショウをかけるなんて……!」


 新大陸や遥か東方から輸入される黒コショウは、ほとんど貴族しか使わない高級品だ。

 気を緩めていた自分が、少し恥ずかしい。

 商人連合会は、今回の規制で負け戦となったが――最後まで、勝負は投げないようだ。

 相手方の実食は、規定の焼きニシンに、宮廷風のニシンパイ、黒コショウをふんだんに用いたグリル。

 食べ終えた面々が口を拭き、少しの間、別の天幕へ移る。

 品評会の結論が出るのだ。


 待っている間のことは――あまり覚えていない。気が張っていたせいか、ほとんど一瞬に感じた。

 やがて審査員が出てくると、フーゲンベルクさんが口を開く。


「では、審査の結果を――」

「お待ちを」


 ブルーノの堂々とした声が、広場に渡った。ざわめきが、止まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る