4-11:品評会
神聖ロマニア王国の『海軍』は、北方商圏を邪魔しない――!
その情報は、瞬く間に街中に広がった。
第二王子アーベル殿下は、商人連合会が催していた夜会で、海軍が動かせる状態にないことを言明。
事実上、王家と商人連合会が方針を違えたということだった。
北方商圏には『海図』があり、王国の中小商人には『株式会社』という仕組みがあり、阻む海軍ももういない。
港では新商圏の商談が次々と持ち上がり、品評会にも参加申請がどっと押し寄せた。
楽園島に行っていたギュンターさんも、今期の『初ニシン』を満載して帰港する。
船倉に並んだ私達の産物――『塩漬けニシン』、『トマトの瓶詰』、『ワイン』に、みんな目が輝いた。
品評会は、今や北方商圏の見本市と見なされていた。
楽園島近郊以外にも、さまざまな都市や商会が出品する。
北方の魚介類はもちろん、織物や毛皮、船にも家具にもなる材木。王国内の中小商人も、北方商圏への進出を見込んで参加するから、穀物や蜂蜜、果物などもある。
きっと『いいもの』が並ぶだろう。
新しい航路を拓くような気持ちで、私は当日に臨んだ。
◆
開拓騎士団が開催する、『品評会』の日がやってきた。
今日で、第6月も終わり。初夏の陽気の中、広場には大勢の商人が詰めかけていた。
開催場所は、小高くなった丘の上にあり、海が見える。そよいでくる風や、鳥の声が気持ちいい。
『海の株式会社』は、準備に大忙しである。
ハルさんがくるくる走り回っていた。
「その樽は、屋台の方へおいてください! ギュンターさん、そのサンドイッチはつまみ食いダメですよっ?」
「長旅だったんだ、ちょっとはいいだろ?」
「……むぅ、1つだけですよ?」
「――う~ん、うまい。さすが、初ニシン」
上機嫌に笑って、ギュンターさんも天幕の準備に混じっていく。
ギュンターさんは、漁期
そしてこの人は、楽園島の近くから、商売仲間を連れてきていた。
「まさか、また都でワインを売れるなんてねぇ」
そう言って、おっとりと頬に手を当てるのは、オリヴィアさん。金髪が海からの風になびいている。
島に届けられた私の手紙を、この人も見たらしい。
――交易の見本市で、ワインがないのはダメでしょう?
そうして興味をもった
こちらも見事な手際で、船員さん達を仕切って屋台の準備を進める。
「――全能神のご加護がありますように」
私とすれ違い際、オリヴィアさんはそう囁いた。
会えてよかったと思う。
「ありがとうございます、オリヴィアさん」
この人とお父様は、楽園島で協力して、お母様の過去を明かしてくださったという。
お父様にも、リューネで知ったお母様のこと、そして北方商圏のことを伝えたかった。だから、お父様の方でも真相に辿り着いてくれたというのは、とてもありがたい。
オリヴィアさんは笑みを匂わせた。
「あら、大変なのは今日でしょう?」
「――ええ! もちろん、そうですね」
私は、軽く両頬を叩く。結った髪に海風が涼しい。
この品評会は見本市である以上に、海の株式会社にとって重要だ。
屋台の脇に置かれた『塩漬けニシン』の大樽を、ぽんと叩く。
午前は各商人が期待する、北方商圏の見本市。
『海の株式会社』も、午前中には宣伝用の屋台を出すけれど――決戦は、あくまで午後だ。
午後には、商人連合会が用意した一級品のニシンと、私達のニシンが、大勢に実食されたり、
目的は、開拓騎士団がニシンの仕入れ先を決めるため。
納入されるかどうかは、結局は開拓騎士団――フーゲンベルクさん達の裁量だ。けれど注目は高く、品質をアピールする絶好の機会でもある。
逆に商人連合会にとっては、反撃をする最後のチャンス。
北方商圏はもう止められない。かといって、本当に『商人』ならば、ここで自分たちの品質を知らしめて、『北方商圏など大したことない』と話をもっていこうとするだろう。
私はぐるりと広場を見渡した。
海が見える広場、その外周にぐるりと設けられた屋台という屋台。
一方、広場の中心部には柵で丸く区切られたエリアがある。まるで決闘場だ。
午後の審査は、そのエリアに商品の樽を持ち込んで行われる。
大勢の前で審査され、味を比べられるわけだが――その方が納得感もあるだろう。開拓騎士団は聖導教を篤く信じる人たちだから、勝負に嘘をつかないという決意もあるのかもしれない。
ログさんが樽を運びながらやってきた。
「……よくこれだけの商人が、リューネに残っていたな」
私が両手でやっと持てる満杯の小樽を、この人は肩に一つずつ担いでいる。
さて、こちらもそろそろ準備を再開しよう。
「ログさん、その樽はテントへ」
備品置き場となる天幕へ入る。
手にメモ用の木板を持って、資材の準備状況をチェックする。
あれだけ海図を紙でばらまいたけれど、やっぱり節約する時は、紙ではなくて木片に限るのです……。
チェックしながら、ログさんの疑問に答えた。
「商人が多くいるのは、『総会』のおかげでもありますね。開始から時間が経ちましたから、情勢を見て帰ってしまった人もいるでしょうけれど」
それでも多くの商人が残っているのは、『総会』という大会議の性質ゆえ、だろう。
「ただ、『総会』はもともと長引くものなのです。半年近くもかけて、人を集めるのですもの。関税などの規制は議題の一つで、他には商人連合会の分担金の徴収に、商人同士の紛争の仲裁、役員の選任……」
「あー、揉めそうなことばかりだな」
「だから、大変なのです。開催は数年に一度ですけれど、その分、長いものだと3か月も終わらなかったことがありますわ」
時には議論相手が3週間経っても現れず、片方が途中で帰ってしまったという例も。帆船や馬車で大勢を一箇所に集めるだけで、とても大変なのだ。
「だから、来た以上は、ちょっとでも得をしようとする。そこに商品宣伝の機会があれば……」
「なるほど。大勢が参加するってわけか」
確認を終えて天幕の外へ出ると、商人同士の力強い笑いが聞こえた。
広場には、すでに大にぎわいの予兆がある。
私はほっと息をついた。
「……ずっと、こういう光景を見たかったのかもしれない」
楽園島の、塩漬けニシンと瓶詰野菜。修道院のワイン。
毛織物も出品されていて、特に新たに注目されているのは、北の海で長い歴史を持つ
船や家、それに家具に使う材木を扱う商人も出店していた。
『いいもの』が、消えることなく、知られていく。
知りたいこと、話したいことがあっても、手からすり抜けるように消えてしまうことが、以前はたまらなく切なかった。お母さまがそのように先立ったせいかもしれない。
でも今は、たくさんの産物が消えることなく、市場で初夏の陽を浴びている。
「……ログさん」
私は両腕を抱く指に、力をこめた。
「なんだ?」
「聞いていただきたいことがあります」
「うん」
「私は、まだまだ商いを続けると思います。北方商圏で『ニシン』を売っていますけれど、もし船の往来が盛んになれば、ビンが安く手に入る。そうしたら島の豊富なお魚だって、塩漬けだけじゃなくて、瓶詰で売れるかもしれない」
ぱちん、と頭で算盤の音が弾ける。私はもう次の商いを考え始めていた。
「もっと北には、一年中解けない氷河があるそうです。『氷室船』という仕組みが考えられたことがあるのですけれど、大きな氷は、なかなか溶けないものです。船室に氷を詰めて、冷やして、新鮮な魚をできるだけ遠くへ持っていく……」
実は鮮魚飛脚という職業があって、彼らは同じことをやっている。海岸でとれた魚を、氷一杯の鞄に詰めて、早馬で内陸を目指すのだ。
ログさんがやさしく見守るような微笑。
「……ずいぶん、大きな話だな」
「ええ。まだまだ、先の話です。でもね、ログさん。私は、きっとこういうことを考え続けると思います」
私はログさんを見上げた。
「そ、そういう女でも……ログさんは大丈夫なの?」
ログさんはきょとんと眉をあげた。やがて、くつくつと笑う。
「確かに、俺は商いのことは君ほどはわからない。でも、分からないなりに、君を信じることはできるよ」
品評会の、開場が近いからだろう。
帽子に白や赤の羽をさした商人連合会の人達も、続々と会場にやってきた。
いよいよだ。
「クリスティナ、少しいいかい」
緊張した私の手を、ログさんが取る。
資材置き場である天幕、その内側に彼は私を引き入れた。
少し、暗い中。琥珀色の目が、隙間から差し込む陽にきらめいて、細められる。
「君は、何を思いついても、悪いようにはしない。わかるんだ。だから……平気だよ」
微笑みが眩しくて、胸がぽかぽかと温かくなる。
「私も……ログさんが好きです」
それは、ぽろりと口からこぼれてしまったような告白だった。
私は目をぱちぱちしたと思う。続いて、猛烈な熱が頬に駆け上る。
……こんな、仕事の直前に何言ってるの!?
「く、クリスティナ」
「え、ちょ、ま、待って今のは……」
ナシで、とは言えない。
上目遣いに様子を伺う。
ログさんが少し身を屈めた。琥珀色の目が近づいてきて、心臓が跳ねる。
額に、ログさんの唇を感じた。
「……!」
「す、すまん、驚かせたか?」
「い、いえ……!」
額へのキスは、友情や忠誠を告げるもの。
騎士教育を受けたログさんらしいけれど……唇の方じゃなくてちょっと残念に思ったのは、きっと気のせいでしょう。うん、うん。
「俺も、愛している」
抱き寄せられ、今度こそ、心臓が飛び跳ねた。
頬から湯気が出そうだ。
「は、はい」
「この場でも、島でも、ずっと守る。だから安心して、前を向いてくれ」
「――はい!」
折よく港から鐘の音が聞こえた。取引所が開いたのかもしれない。
表から仲間が呼ぶ声がしなければ、おそらくもう半刻は仕事モードに戻れなかっただろう。
天幕から外へ出た。
ハルさん、ギュンターさん、エンリケさん。その裏にはワイン樽を担ぐ船員と、得意げに頬に手をやるオリヴィアさん。
準備はもう終わって、後は品評会が開くのを待つだけのようだ。
「さ、さて、リューネでの、最後のお仕事ですね」
私はちょっと頬をあおぐ。
咳払いすると、いつもの調子が戻ってきた。
「『海の株式会社』も、エンリケさんの『海洋の翼株式会社』も、ギュンターさんの交易船も、聖フラヤ修道院も――みんな幸せにする力を、この品評会は秘めています」
ふっと自然に笑えた。
「なら、成功させるしかありません!」
船員さんも併せて、どよめきと笑いが起きる。私は手を振った。
「では、最後に分担確認を。ハルさん、お料理チームの監督をお願いします。私達も練習はしてきたけれど、レシピはあなたが一番詳しいですものね」
「ハル、頑張ります!」
「びしびし指示だしていいですからね」
「だしますっ」
うん、いいお返事です。両拳を作った動作が可愛らしい。
「ギュンターさん、島との往復、ありがとうございます。品評会では、材木などの商いもあるようですけど……」
「俺は、この品評会では君らを手伝うさ。客としてもちょっとは巡るが、あの婆さんにも貸しを作りたいしな」
「エンリケさんは――」
「これほどの品評会だ、僕は販売会社として、すでにかなりの引き合いが……申し訳ないが、自分の会社を優先です」
「もちろん」
うーん、逞しい。
「ただ、『海の株式会社』の行く末は見守りたい。あなた方を、しっかり宣伝してきますよ」
「――ありがとうございます」
こちらも心強い。ライバルの面もあるけれど、共存と共栄もできそうだ。
ログさんとエンリケさんが、一瞬、視線を交わす。エンリケさんは少しだけ微笑んで首をすくめ、商人達の中へ混ざっていった。
……かつて、私の手に口づけをしたエンリケさん。
ログさんから気持ちに気づいてから、ふとあの時のことを考える。でも、私は……やっぱり、今を選ぶだろう。
結った髪をなでてから、私はオリヴィアさんへ振り向いた。
「オリヴィアさんは――」
「お隣で、ワインの方を売らせていただきます。あとウィリアム殿から、利き酒の任務をいただいておりまして……」
「人が集まりそうで助かりますけど……飲み過ぎには、注意してくださいね?」
というか、あなた
肩をすくめるオリヴィアさんに、緊張が緩んだ。
審査官も商売敵も酔っぱらって……などという展開はごめんである。
やがて、開場を告げる鐘が鳴った。
「では、お店を開きましょう!」
おう!と気合をいれる掛け声が、夏空に響いた。
―――――――――――――――
長らくお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
あと1話+エピローグで完結となります。
クリスティナの物語に、最後までお付き合いいただければ幸いです。
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