第2話:ウチの妹(仮)はみんなから人気なんです

 困惑冷めやらぬ中、青年が連れられたのは大きな町だった。


 町、と一言にいってもその光景は彼の記憶にあるものとはあまりにもかけ離れすぎている。大小新旧、様々な建物が群集し多くの人や車が毎日飽くことなく行き交う光景は、慣れない者にはさぞ圧巻であったことだろう。


 青年の視界いっぱいに映る光景の中に、そのような建物はまず一切なかった。


 彼の口から言わせれば、その景観はあまりにも古めかしい。


 青年の時代には確かに存在し、今や誰しもが所持していて当たり前であるものがここには何一つない。


 まるでタイムスリップしたかのような錯覚を憶えさせるその一方で、遠くに見える巨大にして立派な城に青年の顔はますます疑問によってしかめられていくばかりだった。



「――、ここはいったいどこなんだ?」



 青年はすこぶる本気で、そう疑問を口にした。


 それに対する返答が少女からくることはない。


 彼の先頭を歩く彼女は、廃教会のあった森を抜けてから終始上機嫌な様子だった。


 ステップを刻み、ふんふんと鼻歌まで歌っている姿がなによりも証拠である。


 そして、少女の姿を目視した町の住人らは一様に皆優しい笑みを浮かべている。



「リンディアちゃん、今日は随分とご機嫌だねぇ」


「あ、ボブおじさん! こんにちは!」


「リンディアちゃん、これ家で作ったサディンのパイ。持って帰ってみんなでお食べ」


「わぁ! ありがとうポプラおばさん!」



 道行く先々で、誰しもが少女――リンディアに声をかける。


 その様子を背後から見守る青年は、関心の色をその瞳に宿した。


“あの娘……どうやらここじゃかなり人気者らしいな”

“俺が子供のころは、あんなに人気がなかったぞ……”

“どっちかって言うと……いや――”


 そこまで沈思して、青年は自嘲気味にふと笑いながらかぶりを振った。


 ふと、一人の少年と目が合った。


 歳は、十代前半だろう。ちょうど思春期の真っただ中にあろう彼の、青年を見やる視線はどこか鋭い。初対面の相手に対して敵意を露にする少年は果たして何者なのか、と青年は内心で小首をひねる。



「――、なぁお前」



 不意に、少年が口火を切った。


 初対面であるにも関わらず生意気な子供だな、と青年は思った。



「……どうかしたのか?」


「お前……リンディアとはどんな関係なんだよ」


「……どんな関係って、どんな?」


「だ、だから……! その……」



 なるほど、そういうことか――口ごもり俯いてしまう少年に、青年はふと口角を緩めた。


 思春期特有の感情は、別段恥ずかしがるようなものではない。誰しもが必ず一度は通る道だ。


 この少年は、好意を寄せる少女の傍らにいる異性に嫉妬しているのだ。


 それ故に攻撃的な口調になってしまうのも、彼がまだ幼いがため致し方ないことである。


 そして、青年はもう立派な大人だ。そこで真剣に目くじらを立てて怒るような真似もせず、しかしちょっとした意地悪心が彼の胸中にて芽生える。



「君は、あのリンディアという娘が好きなんだな」


「なっ……!」


「だったら、ちゃんと気持ちを伝えなきゃだめだぞ? また明日、また明日って思って先延ばしにしていたら他の誰かに――なんて可能性もあるんだ。明日ありと思う心の仇桜ってな」


「そんな……!」


「例えば、俺とかだったり?」



 青年がそこまで言うと、少年の顔はあからさまに絶望の色が浮かんだ。



「――、今のは冗談だよ。でも、本当に好きならきちんと伝えるべきだっていうのは本当だ。後悔したくないのなら、尚更きちんとした方がいい」


「う、うん……!」


「よしいい子だ。それじゃあ、後は頑張れよ――あ、ムードを作るのを忘れるなよ。いきなり言って成功する確率は低いからな」



 最後にそう言い残して、青年は――早くこいと催促するリンディアの後を追いかける。



「――、そういえばきちんとお互いに自己紹介をしてなかったよな。君は、確かリンディアって言う名前だったっけ? 俺は――風祢龍華かざねりゅうかだ」


「リュカ……リュカ、お兄ちゃん……!」


「あぁ、俺の知り合いもそんな風に呼んでる奴が……って、ちょっと待ってくれるか? さっきから気になってたんだが……なんで俺のことをお兄ちゃんって呼ぶんだ?」



 年下の子供が、目上の相手をそう呼ぶのは別段珍しくもなんともない。


 呼びやすいのがたまたまそうだった、というだけならば青年――龍華も特に言及するつもりはない。


 リンディアの呼称には、明白な親しみが込められていた。


 この娘はあたかも、本当に兄のように呼び慕ってくる。


 単なる気のせいかもしれない、が龍華はどうしてもそうとは思えなかった。



「それは……後で説明します」


「後で、ね。それじゃあもう一つ、君はいったい俺をどこへ連れて行こうとしてるんだ?」



 龍華がリンディアと共にしているのは、単純に行く当てがなかった。


 もちろん大半の理由はそうであるのだが、先の教会にて彼は彼女よりこう告げられている――私のお兄ちゃんがきてくれたんだ、と。


 その意味については未だ解明されておらず、それを尋ねようにも当の本人は後で、と先延ばしにするばかりでまるで教える気がない。


“まったく……何がどうなってるんだ?”

“それに、この娘はいったい何者なんだ?”

“彼女から感じるこの力の波動はいったい……”


 単なる生娘ではない、とはすでに龍華も重々理解しているところで、いずれにせよ行く当てもない以上リンディアと行動を共にする他ない。


 しばらくして、龍華は町の郊外へと出た。


 再び森の中へと足を踏み入れる彼らだが、道はしっかりと舗装されていて周囲の空気も穏やかそのものである。されど警戒心を解くことなかった龍華は、周囲に目をしっかりと凝らしたまま森の中を突き進んだ。



「――、ごめんなさい……」



 不意にリンディアが謝罪の言葉を述べた。


 何故彼女が急に謝ったのか、それがわからない龍華は訝し気な視線を彼女の背に送る。



「リンディアが、わがままを言っちゃったから……リュカお兄ちゃんに迷惑をかけちゃった」


「迷惑もなにも……まだ俺は君に、何か迷惑なことをされた覚えはないぞ?」


「でも……リュカお兄ちゃん、お顔がとっても怖いんだもの」


「ん? あ~……」



 リンディアからの指摘に、龍華は頬を掻いた。


 彼の表情が険しさを帯びたのは、あくまでも周囲を警戒してのこと。


 再びあの怪異のような存在に襲われないとも限らぬ以上、人気のない場所を歩く時に警戒するのは至極当然のことと言えよう。しかしそれがどうやらリンディアに要らぬ誤解を与えてしまったらしい、とそう察した龍華はそっと苦笑いを浮かべる。



「……これは別に、リンディアに対して何か怒ってるわけじゃない。さっきみたいな恐ろしい怪異に襲われるかもしれないから、そうならないように警戒していただけだ――いらない誤解を与えてたのなら、むしろ謝るのはこっちの方だ」


「そんなこと……!」


「でも、君の言う迷惑っていうのはどういうことなんだ? それについてよく教えてもらわないと、俺もどうしたらいいかわからんよ」


「もうすぐリンディア達のお家に着くから、その時にお話ししますね――あ、ほら見てリュカお兄ちゃん! あれがリンディアのお家です!」



 リンディアが満面の笑みと共に指差した先。そこには一軒の立派な洋館が立っていた。


“俺が住んでた屋敷よりもずっと立派じゃないか……?”

“ということは、リンディアはさぞ名のあるお嬢様ってところか……”

“金持ちに拾われるなんて、運がいいというかなんというか”


 龍華が入ることを思わず躊躇ってしまうほど、立派な門が二人の来訪を出迎える。


 るんるんと上機嫌で先行するリンディアの後を追従する彼の表情は、いつになく緊張によって固かった。

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