第4話:妹と楽しい一時を

 当然ながら、異世界にいるという現実をすんなりと許容できるほど龍華の肝は据わっていない。


 わけのわからないことが、たくさんありすぎる。


 龍華は深い溜息を吐いた。それを目前にしたリンディアの表情に、再び暗雲が立ち込める。


 あからさまに落胆の感情いろを示すその様子を、龍華は黙して見守ることにした。



「――、ごめんなさい」



 それが、リンディアの口から真っ先に出た言葉たった。



「リンディアが、お兄ちゃんが欲しいなんてお願いしちゃったから……」

「あー……それについてなんだけど、俺は全然気にしてないぞ? むしろ助かったというべきか」


「え? そ、そうなんですか?」


「あぁ、まぁだからアレだ。そう気に悩むことはないぞ」



 そう言って龍華はリンディアの頭をそっと、優しく撫でた。


 頭を撫でられた当の本人は最初、過剰なぐらいびくりとその小柄な体躯を打ち震わせ、だがそれも束の間のこと。


 今ではすっかり彼からの愛撫を自らの意志で受け入れている。目を細め気持ち良さそうな顔をするリンディアに、龍華はまるで実家で飼っていた猫とそっくりだ、とそんなことをふと思った。



「それにしても、俺がまた兄貴……かぁ。まさか、俺の方も願いが叶うなんてなぁ」



 龍華は自嘲気味に小さく笑った。


 あろうことか、実の兄妹に龍華は殺されそうになった。


 原因はどうということはない、跡目争いだ。党首の座に着くのは果たして誰が相応しいか。大抵は我こそが、と他人を牽制するものだが龍華という男は全然違った。


 まず跡目に対して彼はまるで興味がなく、自由気ままに自堕落な生活が送れればそれで全然構わない、とこうあっけらかんと豪語するような男である。


 だから跡目については残った者で勝手にやればよい、とすでに放棄表明をしたにも関わらず、白羽の矢が立つばかりかそれによって嫉妬心を煽られた弟達に命を狙われる始末だった。



「リュカにいちゃま! お茶どーぞ!」



 ぱたぱたと慌ただしくやってきた少女の手には、銀のトレーがあった。


 その上にて鎮座する三つのカップからは、甘くていい香りが鼻腔を優しくくすぐる。



「あ、あぁ。ありがとうフラン。ありがたく頂戴するよ」


「えへへー」



 にぱっと満面の笑みを浮かべるフランの頭をそっと撫でて、龍華はカップを手に取った。


 紅茶を飲むのは、思えば随分と久しいかもしれない。最後に飲んだのは――懐古の情に浸りつつ、龍華は紅茶をくっと口に含んだ。


 ほのかな甘みが口腔内に広がる。どうやらアップルティーらしい。



「ねぇねぇ? リュカにいちゃま、おいしい? フランが淹れた紅茶、おいしい……よね?」



 不安そうで、それでいて期待に満ちたフランに龍華はふっと笑みを浮かべた。


 ほめてほしい、と思うのは幼い子供特有のかわいらしい反応だ。


 そこでほめれば、今後さらなる成長と意欲がフランには与えられよう。



「あぁ、とてもおいしいぞ。ありがとうなフラン……って、呼んでいいのかな?」


「うん! フランのことは、フランって呼んでね!」


「あぁ、わかった」


「えへへ~フラン、にいちゃまができてすっごくうれしい!」


「フランも、お兄ちゃんが欲しかったのか?」


「うん!」



 屈託のない、穢れを知らない純粋無垢な少女は力強くうなずいた。


 それだけで彼女がいかに、兄を欲していたかひしひしと伝わってくる。


 龍華があえて不安を抱くならば、何故自分が彼女らの願いの対象となってしまったのか。


 兄が欲しい、というその思いに答える者はきっと他にもたくさん存在していよう。


 どうして自分が選出されたのか。龍華は未だによくわからなかった。



「――、ちなみになんだけど。フランはどういったお兄ちゃんがほしかったんだ?」


「えっとね、えっとね」



 龍華の質問に、フランは顎に手を添えて考える仕草を見せた――外観相応の反応は、小動物のような愛くるしさがあった。


「かっこよくて、強くて、それでフランのことを守ってくれる騎士様みたいなにいちゃま!」


「……ずいぶんと欲張りセットだな。リンディアだってもう少し控えめだったぞ?」


「そ、そんなことないですよリュカお兄ちゃん……!」


「……しかし、あれだな。フランが思い描く兄のイメージだけど、俺だと該当しないんじゃないのか?」


「そ、そんなことありません!」


「お、おぉ……」



 鬼気迫る様子のリンディアに、龍華は気圧されてしまった。



「リュカお兄ちゃんは、とっても強いです! だってあれだけの数のゴブリンを、たった一人でやっつけたもん!」


「あ、あの小鬼はゴブリンっていうのか……まぁ、あの程度だったら、俺じゃなくても簡単に倒せるだろ」



 龍華がそういった瞬間、リンディアとフランの目がぎょっと丸くなった。


 彼女らが驚愕しているのは明白で、しかし彼の口から言わせれば過剰極まりないその反応に、龍華は逆に狼狽してしまう。


“なにか、間違ったことでもいったか?”


 困惑禁じえぬ中、リンディアが驚きの表情かおを示したままで口火を切った。



「ゴ、ゴブリンはたしかに小柄だけど、でも普通の人じゃ勝てないんです! 王国騎士団の騎士だって、単体で勝てるかどうかなのに……」


「えぇ……? それは、本気で言ってるのか? 俺をからかったりしてるわけじゃなくて?」



 今度は龍華は驚愕した。


 ちなみに、メルフィランドに存在するゴブリンはリンディアが言ったとおり凶悪な魔物として知られている。


 小柄でこそあるが、その膂力は常人の何倍以上もあり大の男でさえも純粋な力比べでは圧倒的に劣る。


 熟練である騎士がようやく、単体で討伐できるほどの相手が多数もいればこれほど脅威なこともあるまい。


 ここにきてまだ数時間と経たない龍華は言うまでもなく、ゴブリンの恐ろしさについてまったく知らなかった。


 知らないままで、あぁも圧倒的強さを披露したのだから彼女らが見やれば龍華は強者なのは必然だった。



「――、ゴブリンが弱いだなんて……リュカお兄ちゃんは、いったいこれまでにどんな魔物と戦ってきたんですか?」


「あー……う~ん、魔物というか怪異というか。まぁ、いろいろだな」



 リンディアの質問し、龍華はふっと笑みを返した。

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