第5話:お兄ちゃんとして頑張ります!

 穏やかな空気の中、龍華が次に案内された空室は生活感がまるでなかった。


 必要最低限の家具こそあれど、人のぬくもりがまるでない。


 長年無人であることが容易にうかがえ、だが今日からここが龍華の新たな住まいとなる。


 広さはおよそ七畳半といったところ。実家の彼の自室と比較すれば若干狭いものの、住むという点においては文句の付け所は微塵もない。殺風景でこそあるが、清潔感ある空間は大変好感が持てる。


 その一室を目前にして、龍華の胸中に一つの不安がよぎった。



「なぁリンディア。今日から俺はここに住むってことになってるけど、本当に大丈夫なのか? 家主というか……というか、この屋敷の持ち主ってリンディアか、それともお姉さんのだったりするとか?」


「ううん、このお屋敷の持ち主はテオドールおじいさんだよ。リンディアや、フランちゃん……このお屋敷に住むみんなの大切なお父さんみたいな人です」


「お父さんみたいな人……?」



 龍華はハッとして、その後口を閉ざした。


 さっきの彼女の言葉で真意がわからぬほど、彼も愚鈍な男ではない。


 リンディアとフラン……姉妹という関係でありながら、二人はあまり似ていない。


 そこから彼女らが真の姉妹でないと察するのはそう難しいものではなく、そしてわざわざ当人らを前にして言及すべきことでもない。何故彼女らが【天使の館】にて集い、共同生活をしているのか。それを理解した龍華は流れを変えるべく、別の話題をリンディアへと振った。



「――、そのテオドール……さん? がここの家主だったら、やっぱり断りもなく俺が住むのはよくないんじゃないか?」


「大丈夫です」



 そう答えたリンディアの言葉には、揺るぎない自信で満ちていた。


 なにが彼女にそういわしめるのか。龍華は怪訝な眼差しを送った。



「リュカお兄ちゃんは優しいし、とっても強いから。だからきっと、テオドールおじいちゃんもわかってくれます」


「あー……ちなみになんだけど、そのテオドールさんは今どこに?」


「テオドールおじいちゃんは今、隣のオルトリンデに行っててしばらくは帰ってこないと思います。だから、帰ってくるまでの間はリンディアたちがこのお屋敷を守ってるんです」


「……そうか。リンディアは、まだ小さいのにえらいな」


「あ……えへへ」



 リンディアの頭をなでる傍らで、改めて龍華は意識を沈思した。


“テオドールって人がどれぐらいで帰ってくるかわからないけど、いずれにせよ長居はできないな”

“どうにかして早いところ、一人で暮らせる場所を見つけないと……”



 この時、龍華の選択肢に元の世界に帰還する・・・・・・・・・、はなかった。


 もとより、あるべき世界に彼は毛ほどの未練もない。


 万が一帰ったとして、すでに故人扱いされていよう己に帰るべき場所などもうどこにもない。


 だからこそ龍華の選択肢としては、せっかくの縁ができたこのメルフィランドで第二の人生を送ることを決意した。


 そうと決まったからには、生きていく上で必要不可欠なお金がいる。


 いかなる世界であろうと、金の切れ目が縁の切れ目。


 稼ぎ口を見つけること、それが龍華が真っ先にすべき最優先事項だった。



「それじゃあリュカお兄ちゃん。今日はゆっくりと休んでくださいね。多分、もう少ししたら――」



 不意に、呼び鈴の音が館内に反響した。


 来客者であるらしい。それはリンディアも予期せぬものだったらしく、不可思議そうな顔を浮かべている。



「あ、お客さんみたい。リュカお兄ちゃん、リンディアちょっと行ってくるから、リュカお兄ちゃんはゆっくりと休んでてくださいね?」


「え、あぁ。わかった」



 ぱたぱたと退室するリンディアを見送って、龍華はベッドへと身を投じた。


 柔らかく暖かな感触はすぐに心地よい眠りへと誘い、しかし龍華はそれを一蹴して見慣れない天井をぼんやりと眺める。



「さてと……俺はこれから、どうしていくべきかなぁ」



 誰に問うわけでもなく、そうもそりとつぶやく。


 行く当てがないのは確かで、だからと言って別段何かをやりたいという気持ちにもならない。


 とりあえず、まずは生きること。そうした中で自分が真にやりたいことを見つけていけばよかろう。


 とはいえ、果たしてやりたいことが本当にあるのだろうか。


 異世界を旅する――これも確かに、御伽噺であれば王道だろう。


 それも悪くはないのだが、着の身着のまま無一文である身を脱却しない限り当面は不可能と断言してよかろう。


 結局のところ、何をするにしても金がいるのだ。龍華は小さく溜息を吐いた。



「――、う~ん……どうしたらいいんだろう」


「ん?」



 扉の向こうよりしたその声は、ひどく悩んでいた。


 龍華は部屋の外へ出れば、そこにはうんうんと小難しい顔をしてうなるリンディアの姿がぽつんとあった。



「――、リンディア?」


「あ、リュカお兄ちゃん……」


「その顔、何かあったみたいだな」


「う、うん……実はさっき、お城から使者の方がきてテオドールおじいちゃんに魔物を退治してほしいって」


「魔物退治か。でもテオドールさんはいないんだろ?」


「うん、だからそのことも伝えたんだけど……至急どうにかしてほしいってことだからリンディアたちにって……」


「……ちょっと待って。リンディアたちに白羽の矢が立ったのか?」



 力なく首肯するリンディアに、龍華はひどく驚愕した。


 魔物が人々に害をなすのであれば、当然これを処理する必要がある。


 そのための戦力として、あろうことか年端もいかぬ少女が導入されようとしているのだ。


“魔物退治なら自分たちがまずするべきだろうに……”

“いや、仮にすでに失敗していたとしてももっと他にも方法があったはずだ”


 はっきりと言ってとても正常な判断であるとはお世辞にも言えない。


 さしもの龍華も、今回の決定には異を唱えた。



「――、で、でもね? リンディアやフランちゃんだって戦えるんだよ? そ、それはカリナお姉ちゃんや、マリアンお姉さまにはまだまだ敵わないけど……で、でもこれでもリンディアは、テオドールおじいちゃんの弟子でもあるんだから!」


「……戦える、のか?」



 いぶかしげな視線をリンディアへと送る。


 無理がありすぎるだろう、と龍華はすこぶる本気で思った。


 リンディアが年端もいかぬ、いたいけな少女であるのはもちろんのこと。戦いに対し、絶対に必要である闘争心が彼女からはまるで感じられない。小動物のような愛くるしさこそ少女が戦う姿を、龍華はどうしてもイメージすることができなかった。


 このままでは、仮にいったところで犬死するのは火を見るよりも明らかだ。


 気丈にふるまい、不安の色が拭えずにいるリンディアに龍華は口火を切る。


 もとより、そうするのが一番の策であると理解しての提案だった。



「――、その魔物っていうのは……強いのか?」


「う、うん……とっても」


「そうか……よし、わかった。それじゃあ俺が代わりに行ってこよう」


「えっ!? リュカお兄ちゃんが……!?」


「あー……そりゃあ、テオドールさんと比べられたら頼りないかもしれないけど。でも、俺もある程度の修羅場はくぐってきている。だからまぁ、なんとかなるだろ」



 龍華のこの提案は、曇っていたリンディアの表情かおに太陽を取り戻させた。


 パッと花が咲いた可憐な少女のその笑みに、龍華もつられて優しく微笑む。


“妹がほしい……なんて、俺も願った手前。さすがに無視はできないからなぁ”


 実の弟に手痛い裏切りを受けた。


 その経験があったからこそ、あの日妹がほしいと心のどこかで臨む己がいた。


 それが血のつながりがない、まったくの赤の他人であるのは否めずとも龍華にはかわいらしい義妹が二人もできてしまった。


 現在、かわいい義妹が危険にさらされようとしている。


 ならば彼がやるべきことは、もはや一つしかあるまい。


 義妹を守るために、テオドールに代わって件の魔物を討つ。そう固く決意した龍華を見やる、リンディアの瞳はいつになくきらきらと輝いていた。


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