薄呪 <ウスノロ>

高巻 渦

薄呪 <ウスノロ>

 人を嫌いになるといつも私の頭の中で黒く重く、世界中の悪を集めて重ねたみたいな塊がぐるぐる回る。

『それ』は私の脳髄を削り取るみたいにひとしきりぐるぐるぐるぐる回転したあと、コンクリートを突き破って地中に沈んでいくドリルの刃の如く私の鼻筋を通り、喉を通り、鎖骨の間を貫通して、胸のまんなかでバシャッと潰れる。コールタールのような粘着性のある漆黒が飛び散って、私の胸の内側をドス黒く汚していく。人を恨めば恨むほど強大になっていく、この黒光りする異様な塊は、私だ。


 私は人より頭が足りていない。他のクラスメイトと同じスタートラインに立ってもいつの間にか周回遅れだ。返却されたテストの解答用紙を奪われて、自分でもひどいと思う点数を大声で読み上げられ笑われる。他の生徒が簡単にできることがやっと出来て喜べば、それでも笑われる。出来ても出来なくても嘲笑の的になる負のスパイラルとスクールカーストの底。そこでもがく私の「野呂」という姓は「ウスノロ」と呼ばれるには相応し過ぎるほどで、そのあだ名が浸透するまでそう時間はかからなかった。


 自分の馬鹿さ加減や野呂という苗字に産まれてきたことを恨んだこともある。しかしその感情は最終的にいつもクラスメイト達へ向かって行った。周回遅れのこの状況で、スターを取って無敵の人になることもできず、むしろバナナの皮で滑って尚遅れをとるような自分自身が情けなくないと言えば嘘になる。でもやっぱり悪いのは私じゃなく、クラスメイト達だと思う。この状況を打破するにはどうすれば良いかを足りない頭で考えるが、考えれば考えるほどに黒い塊は回転速度を増し、私の中を壊して回るのだった。


 ある日、下校の途中で必ず立ち寄る小さな古本屋の片隅に、埃を被った一冊の本を見つけた。

『完全呪殺マニュアル』と書かれた黒いハードカバーのその本には、太古から伝わる世界各国の呪いの方法が記されていた。老いぼれた店主に千円を渡して受け取ったその本を持ち帰り、明かりを消した部屋で一頁読み進めるごとに、頭の中の黒い塊の回転は緩やかになっていく気がした。

 こんなに心が躍ったのはいつぶりだろう。自分の半生を遡ろうとしてすぐに、今日が十七歳の誕生日だったことを思い出した。

「いつかクラスメイト達を死ぬほど苦しめたい」と考えるばかりでその実途方に暮れることしかしてこなかった私の頭の中で、回転していた黒い塊が完全に静止し、形取られていく。

『それ』は頭の足りない、暗く猫背で痩せぎすの、常に困ったような半笑いでボサボサの前髪が目にかかった、スカートの長い制服からカビ臭さを漂わせている小汚い、しかし呪いという希望を手に入れた、私だ。


 翌日クラスメイトの一人が欠席した。会話を盗み聞きしたところによると、派手に転倒して腕を骨折したらしい。翌々日には別のクラスメイトが急性胃腸炎に、更にその翌日にはもう一人が部活の朝練中に歯を折って早退した。一日ごとに空席が増えていく状況をクラスメイトたちは気味悪がった。不安な声がそこかしこで上がる中、私だけがいつも通りだった。


 十七歳の誕生日、そしてあの本を買った日。私はウスノロの名の下に、クラスメイト達を呪った。本に書いてあった内容を和らげたお手製の方法で。

 時間帯は丑三つ時を避けて空が明るくなりかけた四時に、頭にはロウソクの代わりに百円のライターを数本、藁なんてないから紙を切り抜いて作った人形に、五寸釘の代わりに画鋲を刺した。生徒の過半数が欠席し学級閉鎖となった教室に一人登校し、勝ち誇った表情を浮かべた私は呆れるほどにみっともなかった。今この瞬間に教師がやって来て、個別に授業を教えてこれまでの遅れを取り戻せたらどれだけ健全だろう。そんな考えも虚しく、私のかけた呪いは鉛色の青春にたった数日間の休日だけをもたらして過ぎ去っていく。一週間もすれば今休んでいる連中のほとんどは快復し、また私を嘲笑の的にすることだろう。


 後々なぜあのとき殺しておかなかったのかと悔いることがわかりきっていても尚、クラスメイトを誰一人として死に至らしめることのできなかった私の臆病さを、中途半端さを、無力さを、愚かさを、無駄使いした優しさを、この情けない満足感を、笑ってくれてもいい。

 薄く呪われる覚悟があるのならば。

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